内海桂子さん、24歳年下マネージャー夫と2人でつないだ「100歳まで現役」の夢

週刊女性PRIME / 2020年9月1日 11時0分

2017年、三越劇場で当時94歳とは思えないほど力強く三味線を弾いていた内海桂子さん

「死んだら終わりってことはないですよ。人は死んだ後も生きた証を残すから、歴史が積み重なっていく」

 そう週刊女性に語っていた内海桂子さん。8月22日、多臓器不全のため都内の病院で息を引き取っていた。その人生は波瀾万丈のひと言。

「1922年に千葉の銚子で生まれました。家計を支えるため、小学校を3年生で中退し、働き始めたそうです。12歳のときに母親のすすめで三味線と踊りを習い始め、稼いだ少ない給料から月謝を払っていた」(スポーツ紙記者)

 16歳で漫才師としてデビューしたが……。

桂子師匠は当時、珍しかったシングルマザーのはしりでした。19歳のときに相方芸人の子どもを出産。24歳のときには別の男性との子どもを出産。1人目は妻子持ち。2人目は働かず、桂子師匠の稼ぎを覚せい剤に使ってしまうようなダメ男。だから女手ひとつで子育てすると決めたが、空襲で演芸場が焼けてしまった。それで団子を売ったり、キャバレーで女給をしたり、子どものためには何でもやったそうですよ」(同・前)

 戦火を乗り越え“シンママ”として子育てをしながら力強く働いた。1950年には14歳年下の内海好江さんとコンビ『内海桂子・好江』を結成。

「粗削りだった好江さんを本当に厳しく指導したようです。ほかの漫才師から“鬼ばばあ”と言われるほど。その後、人気漫才コンビとなり1982年に漫才師では初となる芸術選奨文部大臣賞を受賞したのです」(芸能デスク)

 だが、好江さんは1997年に61歳という若さで他界。相方を失っても《私にとって生きるってことは仕事をすること》と語り生涯現役を貫いた。

77歳の時に24歳年下夫と結婚

 パワフルに働き続ける桂子さんが、週刊女性で人生の秘訣について教えてくれたことも。

「私だって100年前の漫才を見て覚えて、今もやっている。昔を生かすことができる人間は生きるのも楽なんですよ。今の人たちはちょっと歴史を軽視して自分の判断だけでやるようなところがある。焼酎をいろんなもので割るように、昔と今の時代を掛け合わせてやればいい」

 大正、昭和、平成、令和の4時代を生きた、桂子さんだからこそ語れる言葉。晩年は度重なる病気やケガに見舞われたが、それを支えたのが77歳のときに結婚した、24歳年下の夫だった。

 3年前に取材した際、身体の不自由な桂子さんをうれしそうに支える姿が印象的だった。今冬で結婚21年を迎えるが、その幸せな夫婦生活も終わりを告げた。取材時に披露してくれた都々逸では、「酒は1合 ご飯は2膳 夜中に5回もお手洗い 100まで6年 訳はない」と歌っていたが、今年9月12日で98歳だった。

「東京五輪を見届け、100歳で現役の芸人でいるのが夢と語っていたのですが……」(前出・芸能デスク)

 100歳まで、あと2年と少しだった。

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