嵐が“国民的アイドル”になった瞬間、「日本を元気に」走り出した9年前の3月11日

週刊女性PRIME / 2020年10月3日 21時0分

 1999年にデビューした嵐の5人は、俳優、バラエティー、アート、キャスターとそれぞれの得意分野で輝き始めた。

 2007年には、メンバー全員で映画『黄色い涙』に出演した。同作でカメラマンを務めた蔦井孝洋氏は、嵐の人気に驚かされたと話す。

「愛知県名古屋市の普段は閉まっているお店が多く、人通りの少ない商店街で撮影しました。夜中のシーンの撮影で深夜0時くらいに商店街に行ったところ、噂を聞きつけたファンの女の子たちがたくさん集まっていたんです。スタッフが乗っていたバスが入っていけないほどでした」

 当時の5人は、かなり忙しそうに見えたという。

昼間はそれぞれの仕事もあり、かなりハードスケジュールでした。疲労がたまったのか、二宮和也さんが38度近い熱を出したこともありました。でも、彼はまったくそんなそぶりを見せず、最初はスタッフの誰も気づかなかったほどです」(蔦井氏、以下同)

1人でいることが多かった大野

 連日仕事に追われていたが、現場の雰囲気は和やかだった。

大野智さんはひとりで黙ってポツンと座っていることが多かったのですが、それをほかのメンバーにツッコまれて、ニコニコ笑っていましたね。当時、レギュラーのバラエティー番組の仕事が大変だったみたいで、“川を走るロケで、全力で川底を走ったから足が痛いんだよね”とメンバー同士で笑いながら愚痴をこぼしていましたよ」

 日常の5人は“普通の若者”に映ったというが、彼らを見てブレイクを予感したようだ。

「撮影の終盤に、僕はよく“嵐がこれから嵐を巻き起こすんじゃない?”と冗談まじりに言っていました。個々のキャラクターが立っていて、誰もがセンターを張れる逸材でしたから。人間的にもきちんとしていたので、これから間違いなく売れるだろうと思ったんです」

 その予感は的中。2007年に放送されたドラマ『花より男子2』(TBS系)が嵐の人気に火をつけた。

『花男』シリーズで松潤がブレイク

「松本潤さんは主演の井上真央さんを一途に愛する道明寺司役を熱演。ジャニーズのグループのブレイクは人気のドラマと連動していることが多いですが、嵐はこのドラマでした。平均視聴率は21・6%を記録し、主題歌の『Lоve sо sweet』は年間シングル4位に。一躍、グループの知名度を上げました」(テレビ局関係者)

 その後、スターダムを駆け上がっていく。

「2008年からTBS系のバラエティー番組『ひみつの嵐ちゃん!』がスタート。プライムタイムで初の冠番組でした。『Happiness』や『One Love』などヒット曲を連発し、2009年に発売されたベストアルバムでは初のミリオンを達成。同じ年にはNHK紅白歌合戦に初出場を果たし、2019年まで11年連続出場を成し遂げました」(同・テレビ局関係者)

 勢いに乗る嵐は、アイドル活動以外でも功績を残した。

「2010年に、国土交通省・観光庁の観光立国ナビゲーターに起用され、彼らを主役として企画した『ニッポンの嵐』を全国の小・中・高に学校図書として寄贈しました。子どもたちが勉強する題材になったんです」(芸能プロ関係者)

 一時は、発売する曲がなかなか売れない“冬の時代”も経験した5人。なぜ、彼らはここまで人気になったのだろうか。『ジャニーズは努力が9割』(新潮社刊)の著書があり、ジャニーズ事情に詳しい霜田明寛氏は、SMAPに近い売れ方だと指摘する。

「デビューと同時にブレイクするグループが多い中、SMAPは時間がかかりました。嵐も、デビュー曲はヒットしましたが、ほかの曲は苦戦し、大規模なツアーもできませんでした。デビューからブレイクまで8年かかったのは異例ではないでしょうか」

 5人全員のキャラクターが立っていることが強みになったという。

「デビューシングルこそ松本さんがセンターでしたが、その後は曲によってセンターが代わっています。平野紫耀さんをセンターで固定しているKing & Princeとは対照的です。グループで飛び抜けた人がいないことで人気が出るのに時間がかかったのかもしれませんが、ブレイクしてからは逆にそれがプラスに働いたと思います」(霜田氏、以下同)

 世代を超えて支持されているのには、こんな理由が。

「メンバーが30代に突入しても、世間は彼らにアラサーのイメージを持ちませんでした。20代後半になっても、二宮さんと櫻井翔さんはTBS系のドラマ『山田太郎ものがたり』で高校生役を演じていましたからね。嵐のメンバーが年をとっていく感覚がなかったので、小学生も“ちょっと年上のお兄ちゃん”と親しみを持ったのでしょう。

 また、2005年からフジ系で放送されたレギュラー番組『まごまご嵐』では、おじいちゃんやおばあちゃんと触れ合う姿を見せ、高齢者にも名前が浸透していきました」

日本中が嵐を求めた日

 嵐は、9年前の“あの日”を境に国民的アイドルになった。

2011年3月11日の東日本大震災以降、しばらくの間、日本中にどこか暗い雰囲気が漂っていました。日本を元気づけることが求められる中、仲がよく、和やかな雰囲気の嵐が合っていたのでしょう」

 実際、彼らはたくさんの人を元気づけてきた。

同年に東日本大震災のチャリティーイベントとして、嵐のワクワク学校を開催。イベントで得た収益は東北の被災地に寄付しました。それ以降も、何か大きな災害が起こると、現地で炊き出しをしたり、被災地でライブを行っています。老若男女問わず、多くの人を笑顔にしてきましたよ」(前出・芸能プロ関係者)

 大ブレイクを果たした5人は、やがて日本の危機も救っていく─。

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