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V6、チェッカーズ、光GENJI…不仲に恋愛に事務所問題、アイドルグループ解散の裏側

週刊女性PRIME / 2021年5月7日 11時0分

デビュー15年目に解散の危機があったというV6。今回は森田の役者への夢をメンバーが尊重し、解散を決意した

 TOKIOの長瀬智也がジャニーズを退所し、V6も今年11月1日をもって解散することが発表された。振り返れば、アイドルとしてトップに立ったいくつものグループが、さまざまな形で解散という形を選んでいる。出会いがあれば別れもある。その裏側の“事情”とは──。

《突然のことで驚かせてしまうかもしれません。悲しませてしまうかもしれません。でも、とても大事なことなので、自分たちの言葉で皆さんに伝えます。僕たちV6は、2021年11月1日をもちまして、解散します》(『Johnny's net』より)

相次ぐ人気グループの解散

 今年3月、V6の解散とメンバーである森田剛の退所が発表された。SMAPが解散し、TOKIOは分解、そして嵐も活動休止をする中で、突如として「解散」を宣言したV6の決断は、大きな衝撃を与えるだけでなく、芸能界が過渡期を迎えていることを否応なしに突きつけた。「V6、お前もか」──、そんな思いを抱いたファンも少なくないかもしれない。

 だが、始まりがあるからこそ終わりがある。アイドルグループに解散はつきもので、これまでも大きなインパクトを残したグループの解散劇は、枚挙にいとまがない。

 昭和、平成、令和の芸能界を取材してきた芸能レポーターの石川敏男さんは、「芸能史を振り返ったとき、やはりピンク・レディーとキャンディーズの解散は衝撃的な出来事だった。SMAPの解散や嵐の活動休止と同様の驚きがあった」と語る。

 ピンク・レディーは、'76年に『ペッパー警部』でレコードデビューするや、売り上げ60万枚を記録し、瞬く間にスターの仲間入りを果たす。一方のキャンディーズは、'73年に『あなたに夢中』でレコードデビューするも、オリコン1位を立て続けに記録するピンク・レディーとは対照的に、ブレイクまで時間を要した。'75年発表の『年下の男の子』で初のオリコン1ケタ台(9位)を記録すると、以降、人気は右肩上がり。1年後にリリースした『春一番』で確固たる地位を築く。

ピンク・レディーはデビュー直後にピークを迎えたアイドル。一方、キャンディーズは徐々に人気を獲得していったグループ。ともに活動期間は4~5年という短さだったけど、人気絶頂期の解散という意味ではキャンディーズのほうが衝撃的でした」

 そう話す石川さんの言葉どおり、後楽園球場で行われたキャンディーズの解散コンサートには約5万5千人が集まり、詰めかけたファンの様子をNHKニュースが報道するほどだった。後日、TBSで放送されたコンサートの平均視聴率は32.3%──まさに国民的解散劇といっても過言ではない。

「ピンク・レディーの人気を下支えしていたのは子どもだったため、失速するのも比較的早かった。また、紅白歌合戦の出場を辞退したことで調子に乗っているなんて叩かれたりもした。早熟だったし、商業的すぎた」(石川さん)

 実際、ピンク・レディーの解散コンサートは、同じく後楽園球場で行われたものの空席が目立ち、超満員だったキャンディーズに比べると寂しいものだった。

キャンディーズはもともと3年で活動を終えるという条件があったといわれ、なかなか結果が出ないため周囲からもあまり期待されていなかった。“うさぎと亀”でいうと亀のような存在。反面、うさぎは人気を持続させるのが大変」

 とし、さらに、

「恋愛をすることで人間関係に変化が生じる。“普通の女の子に戻りたい!”と解散宣言をしたのは象徴的」

 と、石川さんは語る。キャンディーズの田中好子さんは年下男性とひそかに交際をしており、ピンク・レディーの増田恵子にも当時交際していた男性がいたことは有名。

「人気が下降ぎみとはいえ、ピンク・レディーは営業的にはいくらでも成立したはず。それでもやめるというのは衝撃的だし、人間関係が複雑化していたということでしょう。あの当時、再結成しそうな雰囲気があったのはキャンディーズだったんだけど、まさかピンク・レディーのほうが再結成するなんて思わなかった(笑)」(石川さん)

ジャニーズの解散、低迷、不仲、解雇

 彗星のごとく登場し、“最後のスーパーアイドル”と称された光GENJIの解散も、多大なインパクトを残した。'95年9月に卒業コンサート(実際は解散コンサート)でファンに土下座をした諸星和己の姿が大きな話題を呼んだが、『嵐はなぜ史上最強のエンタメ集団になったか』に寄稿するなどジャニーズに詳しいライターの田幸和歌子さんは、

「“人気絶頂での解散”といった報道が多いですが、当時の光GENJIは人気が下降していた」

 と指摘する。ピンク・レディー同様、失速がトリガーになる解散パターンだという。

 光GENJIは、'87年に『STAR LIGHT』でデビューすると、'90年『笑ってよ』までのシングル11曲中10曲がオリコン1位を獲得する快進撃を続ける。まさに、“最後のスーパーアイドル”だ。

 '91年以降は、オリコン1位となるシングル曲こそないが、最高位1ケタ台をキープ。だが、'94年8月の大阪城ホールでのライブを最後に大沢樹生と佐藤寛之が脱退し、『光GENJI SUPER 5』にグループ名を変更すると失速が顕著となる。

「'13年の『ゲスゲスHEAVEN』(フジテレビ系)というバラエティー番組内で、諸星さんが“'94年に行われたコンサート後、メンバーがそろって食事をしたときに、もうダメだと感じ、解散が避けられない雰囲気になっていた”と述懐しています」(田幸さん)

 また、同番組ではメンバーの仲が悪かったと振り返り、「'94年は、すでにSMAPがブレイクし、ジャニーズに世代交代が起きている」と田幸さんが話すように、いつ解散しても不思議ではない状況だったことがうかがえる。

光GENJIは最後のスーパーアイドルであると同時に、初動の勢いそのままにトップアイドルに君臨した最後のアイドルグループだったと思います。その後のSMAPや嵐は、着実に実績を重ねる遅咲きタイプで、人気を継続できるようなスーパーアイドルとしての見せ方を重視していきます。

 光GENJIの解散以降、ジャニーズアイドルの売り方に変化を起こしたという意味では、大きなトピックだと思います」(田幸さん)

 また、エポックメイキングな解散劇といえば、男闘呼組を忘れてはいけないだろう。光GENJIと時代をともにしながらロックバンドとしての個性を打ち出し、『DAYBREAK』『TIME ZONE』などのヒット曲を輩出。第30回日本レコード大賞最優秀新人賞、東京ドームでのコンサート、NHK紅白歌合戦に出場など鮮烈なインパクトを残したグループだった。

 ところが、'93年6月、突然、メンバーの1人である高橋一也が事務所から解雇され、グループも活動休止、そのまま解散となる。高橋の反抗的な態度や協調性のなさ、それに加え薬物使用疑惑があり、そういったことがメリー喜多川氏の逆鱗に触れたとされるが、ほかの3人も報道で高橋の解雇、そして活動休止を知ったというから驚きだ。

「ジャニーさんやメリーさんは直情型というか、怒りに身を任せて大きなことを決めてしまう傾向があります。例えば、Hey! Say! JUMPが、“嵐のようになりたい”とこぼすと、手塩にかけて育ててきたジャニーさんは激怒し、彼らが務めていた『ザ少年倶楽部』(NHK)のMCを突然降板させてしまったり……。高橋さんは、その最大級のケースだったのではないか」

 突然の解散劇だったものの、その功績は大きいと田幸さんは付言する。
「ジャニーズにおいてアイドルバンドの地位を確立した。関ジャニ∞や、Jr.の中にもバンドをする7 MEN 侍がいます。

 また、ジャニーズ特有のわちゃわちゃ感がなく、個性が強いメンバーがおのおの独自の考え方を持っているグループとしても稀有だった。ジャニーズ内に大きな影響を与えたグループだったと思います」

ポジティブな解散も相互理解の解散興行

 不仲やトラブルなどで解散するジャニーズグループが目立つ中、比較的アットホームに幕を下ろしたグループがシブがき隊だろう。彼らは、ドラマ『2年B組仙八先生』に出演していた3人で結成された“ジャニーズがセレクトしたのではなくTBSが選んだメンバー”としてデビューした異例の3人組。

 “アイドルグループあるある”ともいえるメンバー間の多少の不仲こそあったものの、順調にヒット曲に恵まれ人気もあった──が、歌って踊れる少年隊のデビューを目撃し、「俺ら終わったな」と自覚。バク転ができない自らと比較したうえで、人気があるうちに解散しようと3人で決意する。

本木さんが解散の理由といわれていますが、解散のきっかけについて問われると、3人とも“自分に非がある”的なことを口にしています(笑)。修復不可能になる前に、いいタイミングで解散したんだろうなって思えるのは、当時のアイドルグループの中でも珍しいと思います」(田幸さん)

 シブがき隊の人気を奪った一組だったチェッカーズも、すったもんだの末に解散したグループだ。チェッカーズの台頭に頭を悩ます薬丸に対して、布川と本木は彼らと意気投合し一緒に遊んでいたというから、シブがき隊はどこか憎めない。

 一方、遠因(!?)となったチェッカーズは、修復不可能な人間関係の末に解散にいたったグループだった。'03年に出版された元メンバー高杢禎彦の自伝エッセイ『チェッカーズ』には、“結婚したフミヤが夫人とバカンスを楽しむために、一方的にチェッカーズを休業させた”と、綴られている。

恋愛や結婚、仕事と人生を天秤に……

 石川さんは、「特に女性グループにとって恋愛や結婚は、芸能活動を続けていくうえでどうしてもハードルになってしまう」と話す。

「先述したキャンディーズもそうだけど、'99年に解散したSPEEDもそう。解散理由に“自分の時間が欲しかった”ことを挙げ、島袋は解散発表記者会見で恋人の存在を認めている。仕事とプライベートを天秤にかけたとき、グループである以上、解散という選択肢は現実的」(石川さん)

 そのうえで、彼女たちが所属していたライジングプロダクション・平哲夫社長のような理解者に巡り合えるかも重要と続ける。

「心情をくみ取らないで、別れさせるケースもある。それって不幸なことだよね。彼女たちの新しいスタートを応援したい、お世話になった事務所に最後まで貢献したい─。お互いに理解があるからこそ、メリットをもたらすためにあらかじめ解散を宣言し、大々的に解散興行を展開する。これは昔も今も変わりません」

 そういう意味では、モーニング娘。の卒業と新メンバー加入を繰り返すシステムは画期的だとし、こう続ける。

「本当は恋愛や結婚をしようが、そのまま活動できればいいんだろうけど、芸能活動は特殊ですからね」(石川さん)

 冒頭で触れたV6解散は、俳優業を主に、これまでできなかったことに挑戦したいという森田剛の意志があったからこそ。その背景には、妻である宮沢りえの後押しがあったともいわれる。結婚をすると、アイドルグループは岐路に立たされる運命にある。

 だが、錦織と植草が事務所を退所したにもかかわらずグループ名を残している少年隊や、トラブルが相次いだKAT-TUNのように、解散を選択しないケースもある。田幸さんに尋ねると──。

「KAT-TUNは、歌もダンスもパフォーマンス的な中心は赤西さんでしたが、“魂”の部分は亀梨さん。少年隊はもちろん、今やジャニーズの“魂”を担っている存在が東山さんです。

 その“魂”がどう判断するかだと思います。V6は、デビュー当時から圧倒的に森田さんのグループでした。彼が“魂”の部分でもあったからこそ、脱退ではなく、彼らは解散を選んだんだなって。それを尊重できるV6の解散は、新しいジャニーズの歴史を作ったと思います」

 グループそれぞれの“解散事情”。本人たち、事務所、ファン、すべてが納得して別れる方法はあるのだろうか──。

いしかわ・としお……1946年生まれ。芸能レポーター。松竹映画宣伝部から女性週刊誌記者を経て、日本テレビで番組のレポーターとなり、以後は芸能界の情報レポーターとして活躍する。

たこう・わかこ……ドラマコラムの執筆や、ジャニーズウォッチャーとして活動。著書に『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など

 (取材・文/我妻アヅ子) 

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