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小山田圭吾が受けた「40年後の罰」、いじめられた側が語る当時の背景

週刊女性PRIME / 2021年7月26日 16時0分

小山田圭吾

《マットレス巻きにして殺しちゃった事件とかあったじゃないですか、そんなことやってたし、跳び箱の中に入れたりとか。小道具には事欠かなくて、マットの上からジャンピング・ニーパットやったりとかさー。あれはヤバイよね、きっとね(笑)》

 耳を疑うような所業を嬉々として語る者、そしてそれに対して“問題ない”と判断し、そのまま掲載する雑誌があった。それは'90年代のこと……。

五輪の開会式担当となり
多くの人に知られることに

 冒頭の引用は「いじめ紀行」なる企画で、ミュージシャンの小山田圭吾が語っていたものだ。時を経て、これらの発言がオリンピックという世界的イベントを巻き込んだ大騒動となっている。

「東京五輪開会式の音楽担当の1人だったミュージシャンの小山田圭吾さんが、過去にしていたインタビューでの発言がネット上で拡散。大炎上し、結果的に担当を辞任するに至りました。

 いじめの内容がひどかったのはもちろんですが、何よりその対象が障害を持っている人だったことが批判の対象になりました。障害者に優しく出来ないというのは、オリパラの精神に著しく反していますからね。“なぜそんな人物が、開会式の音楽を担当しているのか?”と疑問の声が噴出するのは想像に難くありません」(スポーツ紙記者)

 問題となった発言は、『ロッキング・オン・ジャパン』'94年1月号と『クイック・ジャパン』('95年3号)で掲載されたインタビュー。小山田は両誌で凄惨ないじめを告白していた。冒頭の小山田の発言は『クイック・ジャパン』。こちらの“暴行”は小学校のクラブ活動時のもので、相手は障害のある同級生に対してだった――。

「今回、問題となった雑誌での発言は、“(笑)”が散見するなどあきらかに楽しそうに自身のいじめについて話しており、聞き手側もそれを煽るような発言をしています。どちらの雑誌も'90年代の発売であり、ネット上では以前からたびたび問題となっていました。

 そのため発言があったこと自体は知っている人は少なからずいましたが、五輪の開会式担当となったことで、世間一般にも知られる形に。拡散後、小山田さんは謝罪文を発表しましたが、謝罪になっていないとさらなる炎上を招いた。その時点では辞任せず音楽担当を続けるとしたことも炎上の一因となりました」(出版関係者)

 7月19日、小山田は“遅すぎた辞任”を発表。問題となった雑誌の出版元であるロッキング・オン社と太田出版も、謝罪文を発表するなど対応に追われた。

 太田出版が発行していた雑誌『クイック・ジャパン』の取り上げ方は、「いじめ紀行」という連載企画で、いじめっ子・いじめられっ子の“両者”に話を聞くというものだった。そこで、今回の問題についてもっとも“当事者”といえる人物に話を聞いた。

“いじめられた”側のインタビューも
載せる計画だったが…

『サルでも描けるまんが教室』(相原コージとの共著)などの著書で知られる編集者・ライター・漫画原作者の竹熊健太郎氏だ。彼は小山田に続く連載第2回で“いじめられっ子”側として登場している。

「当時私も『クイック・ジャパン』の執筆者の一人であり、ライターだった村上清氏と、編集長の赤田祐一氏のこともよく存じています。『いじめ紀行』の第2回で村上氏からインタビューされ、子ども時代の“いじめられ”体験を中心に話しました。

 小山田さんのインタビューは、雑誌が出てから知りました。正直、身障者をいじめた内容は愉快ではなく、さっと眺めただけで深く読んだわけではありません。今回この取材を受けることになって、初めてちゃんと最後まで読んだくらいです。

 当時の『クイック・ジャパン』は“シブヤ系”と呼ばれた若者が主要読者層のひとつであり、小山田さんはシブヤ系の教祖のような人気がありましたので、編集部としてもそのようなカリスマのインタビューが取れたなら、絶対に載せたかっただろうなと思いました」

 竹熊氏は、小山田と逆の立場である“いじめられ”体験を雑誌で語ることについて、当時どのように考えていたのか。

「取材者の道徳観や安易な価値判断をその場で振りかざすことなく、いじめた側・いじめられた側の双方に取材していじめを考えるという企画そのものはユニークで面白かったと今でも思います。私が中学時代にいじめられていたということは、それこそ『クイック・ジャパン』で別の文章として発表したことがありますから、それを取材したいということは自然で、村上氏や編集部なりにバランスを取ろうとしたのだな、と思いました」

 今回問題となっている“告白”が、雑誌で平然と掲載されることについては、当時の時代背景が大きい理由だったのだろうか。

「当時でもいじめた側が取材に答えるということは稀で、しかも小山田さんのようなスターがあのような談話を実名で語ることは非常に珍しかったと思います。Twitterで私はうっかり'90年代に流行った“鬼畜系”“悪趣味系”の言葉を出してしまいましたが(編集部注・7月18日のツイート)、『クイック・ジャパン』自体は必ずしも鬼畜系・悪趣味系の文脈で編集された雑誌ではありませんでした。

 あのようなテーマをことさらに露悪的に扱うことは、当時は『クイック・ジャパン』のようなマイナー誌ではよくありましたし、ある意味では今も続いていると思います。

 その意図は、あえて一般的な道徳とは反対の立場を取ることで、世間の“良識”や“道徳”の欺瞞性に疑問を投げかけるということがあると思います。そのため、こういった記事を書くときにはライターに高度なバランス感覚が必要になります。

 小山田さんのインタビューは、もともとは彼に“いじめられた”側のインタビューも載せる計画で、記事を読むと実際に接触を試みた経緯も書いてありますが、結果は断られています。

 いじめられた側にしてみれば思い出したくもない過去でしょうし、無理やり取材してもセカンド・レイプになってしまいますから、これはそうとうに時間をかけて、いじめられた側とコンタクトをとり、信頼関係を築いてから取材する慎重さが必要だったと思います。それができた上で小山田さんのインタビューをすれば、まったく異なる記事になったでしょう。その意味では、慎重さを欠いた記事だったと思います。

 結果的に取材に応じているわけですが、初めは小山田さんも躊躇しています。また、元記事を読むと担当ライターの村上氏と編集部は単に“いじめ自慢”を助長しようとしていたわけではないことがわかるんですが、結果的にいじめられた相手の談話が載せられなかったことで、小山田氏の一方的ないじめ自慢と受け取られても仕方がない記事になってしまいました。

 だから私は、記事そのものをボツにするか、いじめられた相手の取材ができるまで、掲載を延期するべきだったと思います」

26年ぶりに受けた“罰”

 降板はしない宣言、そこからの遅い辞任発表等、今回の小山田の対応には批判が多い。彼の対応はどう見たか。

「最終的に彼は辞任しましたね。それは当然のことだったと思いますし、結果論ですが今回このような形で問題が明るみに出たことで、いじめからは40年ぶり、記事が出てからは26年ぶりに彼は“罰”を受けることになりました。それも当分の間、もしかすると一生、活動を自粛しなければならないような罰です。

 オリンピック・パラリンピックの音楽のオファーがきた時点で、彼は辞退するべきでした。それをしなかったのは、“いじめ自慢”の記事はもう何十年も前のことで、ネットでは叩かれたものの、これといった活動に支障はなかったためでしょう。完全に“ナメていた”のだと思います。

 あの記事が出たときにはインターネットは黎明期で閲覧人数は少なく、いわゆる“炎上”はしていなかったことも判断を誤らせた。もしかすると、彼は一生、表舞台での音楽活動ができなくなったのかもしれません」

 今回の件について、ライターの村上氏が所属する太田出版、編集長だった赤田氏の個人メールアドレス、赤田氏が現在、編集を務める雑誌それぞれに問い合わせたが、すべて期日までに回答はなかった。

 開会式は7月23日に無事に執り行われたが、小山田はどのような気持ちで3時間を超える式典を見ていたのだろうか……。

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