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小室眞子さんの祖父がメディアに語った最期の言葉は「万人へのエール」だった

週刊女性PRIME / 2021年11月8日 21時0分

故・川嶋辰彦さんと小室眞子さん

「これもご縁かと存じます。よいお仕事と、またお話しできる機会がありますことを祈りつつ、今日はお礼とお詫びを申し上げて、お電話をお暇させていただいてよろしゅうございますか?」

 今年の夏のある日、川嶋辰彦さんは、やわらかな口調でそう断ってから、『週刊女性』の20代女性記者との約30分間におよぶ長電話を切った。

 記者も心待ちにしていた“またお話しできる機会”は、残念ながら訪れることはなかった─。

美智子さまから孫娘への抱擁

「11月4日、紀子さまのお父さまで学習院大学名誉教授の川嶋辰彦さんが、中皮腫のため81歳でお亡くなりに。最期は紀子さまと佳子さま、眞子さんに見送られたそうです」(皇室担当記者)

 川嶋さんは10月19日に都内の病院に緊急搬送され、そのまま入院。ICUで治療を受けていると報じられた。

 小室さんと眞子さんの結婚まで1週間を切っていたため、皇室関係者の間では「会見を延期すべきでは?」という声が上がっていたというが、

「おふたりは予定どおり10月26日にご結婚。当日、川嶋教授の意識があったのかは不明ですが、初孫の晴れの日を迎えることができました。

 10月29日には、小室さん夫妻がそろってお見舞いへ。“孫の夫”との面会が実現したのは、ご家族にとっても喜ばしいことだったのではないでしょうか」(同・前)

 紆余曲折を経て、結婚という人生の節目を迎えた孫娘の姿を、川嶋さんは心待ちにしていたことだろう。

「眞子さんは結婚前日に上皇ご夫妻のお住まいを訪れ、結婚の挨拶を。帰り際に美智子さまは眞子さんを静かに抱きしめられたそうです。30年間、皇室で過ごしたかわいい初孫の門出ですから、募る思いがおありだったのでしょう」(宮内庁関係者)

 父方の祖父母である上皇ご夫妻とは、これまで多くの時間を重ねることができた眞子さん。しかし、母方の祖父母との交流は少なかった。

「紀子さまを嫁がせた後、川嶋ご夫妻は必要以上に皇室に立ち入ることを避けてきました。秋篠宮邸への訪問や、ご一家と面会することすらも、控えていたといいます。

 長年、学習院大学に勤めていたため“皇室と民間人の住む世界は違う”と、人一倍理解していたのだと思います」(宮内庁OB)

紀子さまが嫁いだ朝の出来事

 大学では馬術部の部長を担当していたこともあった。

「馬術をご趣味にされていた上皇陛下など、皇室の方々と最小限の交流はあり、秋篠宮さまは当時、紀子さまの第一印象について“川嶋教授と雰囲気が似ている”とおっしゃっていました」(同・前)

 皇室をよく理解していた川嶋さんは、秋篠宮さまと紀子さまのご婚約が正式に決定した日には、娘に礼節のあるコメントを送った。

「紀子には皇族としての責務をしかと自覚し、自覚のもとに自重し、自覚に照らし合わせ両陛下に対して尊敬申し上げ、礼宮さまのご指導のもとに新しい家庭、宮家の中で気負うことなく人間性を結実してくれればと願っています」

 自宅にテレビやマンガ、雑誌を置かないという教育方針のもと“まじめで”“礼儀正しく”“温かく”をモットーに紀子さまを育ててきた。

「旅行はもちろんのこと、父娘で美術館へ足を運ばれることもありました。学生時代は大学内で待ち合わせて、一緒に帰ることも多く、仲のよい父娘だったと聞きます。皇室へ嫁ぐ朝、自宅を後にされる紀子さまに対し、川嶋教授は送り出すその手をいつまでもふりやめなかった……。その姿には、涙してしまいました」(前出・宮内庁OB)

 こうして幕を開いた紀子さまの皇室生活。まさか、これほど波瀾万丈な日々を過ごすとは思われなかっただろう。

「眞子さんの結婚問題が混迷を極めていた時期、紀子さまは近しい関係者に“娘を守れていませんね……”と、漏らされていたこともありました。

 結婚当日も複雑なお気持ちを抱えておられたと思います。大切に育ててきた長女の結婚を、多くの国民が納得し、祝福してくれる状況で送り出すことができなかった……。自責の念は、今も紀子さまを苦しめていると拝察します」(皇嗣職関係者)

 結婚後も不安は募る一方だ。

「テレビに映る眞子さんは、皇族時代とは打って変わって暗い表情で、やせてしまったように見えます。ご家族も体調を心配されているでしょう。

 さらに、圭さんがNY州の司法試験に不合格だったのは、秋篠宮ご夫妻にとっても想定外だと思います。小室さん夫妻の今後に暗雲が立ち込めている現状に気が気でないのでは……」(同・前)

川嶋さんの妻からお気遣いを

 長女の結婚問題と義理の息子の“失策”、さらには最愛の父が亡くなった紀子さまのご心痛は計り知れない。川嶋さんの命日から、秋篠宮ご一家は服喪期間に入られた。

「秋篠宮殿下が7日間、紀子妃殿下が90日間、佳子内親王殿下と悠仁親王殿下が30日間、喪に服されます。

 皇室を離れた眞子さんは宮中の慣習にならう必要はなく、一般の人の“祖父が亡くなった場合”の対応と同じです。来年の年賀状は取り止めるなど、どういう形で喪に服するかは、眞子さん個人の判断です」(宮内庁OBで皇室ジャーナリストの山下晋司さん)

 ごく近い親族のみで行う家族葬となったのは、川嶋さんの遺志だったという。

「教授らしいご判断だと思います。大学勤務やボランティアなどを通して、多くの人と関わりながらも、皇室に関する話をすることはいっさいなかったと聞いていますから」(前出・宮内庁関係者)

 皇室とは一線を画し、メディアの取材に応じることは、ほとんどなかった川嶋さん。

 しかし『週刊女性』は、亡くなる約3か月前に1本の電話を受け取っていた─。

◆   ◆   ◆

 8月上旬、『週刊女性』記者は川嶋さんが暮らす都内のマンションを訪ね、眞子さんの結婚への見解について取材したい旨を伝えた。記者に対応したのは川嶋さんの妻・和代さん。

「お話しできることはないんです。娘はウチを出てからはもう、それほど関わっていませんので……。ごめんなさい。大変なお仕事ですよね。お身体には気をつけてください」

 丁寧な対応へのお礼として、後日、感謝の手紙にささやかな菓子折りを添えて送った。

 すると翌日、記者の携帯電話に1本の電話が─。

「川嶋辰彦でございます。そちらさまから結構な詰め合わせのお品物をお送りくださいました。誠にありがとうございます。そして、ここから先はお詫びを申し上げないといけないのですが……」

 穏やかな口調で、言葉を選びながら話し進める。

「どんなご趣味を?」

「私のささやかな“こうしたい”というお気持ちを、もしお許しいただければ、マスコミュニケーション関連の方のお品物は、理由など関係なく、ご遠慮申し上げるようにいたしております。ご無礼をお許しのうえ、ご返送させていただいてよろしゅうございましょうか?」

 返送の提案に対し、記者が“着払い”を申し出ると、

「僕のお小遣いを眺めまして、もしそういうことでしたら、そのようにさせていただきますが、お小遣い箱にはたぶん、入っているかと思います。

 1トンくらいの隕石をお返しすることになると、僕のお小遣いでは、重量制限で難しくなりそうです。将来、そういうお見苦しいことが発生しましたら、喜んで着払いでお返し申し上げたく存じますが、今回は、そのお気持ちをありがたく拝聴申し上げて、先のような形で進めさせていただければと存じます」

 ユーモラスに返答しつつ、送付した手紙については「開封せずにお戻しさせていただきます」と言い、こう続けた。

「いずれ、ゆっくりお話し申し上げられるようになるときがまいりましたら、そして、私を許していただけるようでしたら、どうぞそのご書簡をお見せくださいませ」

 記者は今も、この手紙を保管している。

「これだけでお別れのご挨拶というのは寂しゅうございますので、差し障りない範囲で……。どんなご趣味をお持ちでいらっしゃいますか?」

 一連のやりとりの後、川嶋さんはこう切り出した。

「僕のほうから申し上げますと、今はできませんが、少年のころは木登りが大好きだったんです。今でも登りたいと思いながら夢を描いております。枝ぶり次第で、手の位置よりも足の位置が高くなる。そんなことを思うだけでも、僕自身が木登りをしているような楽しみに浸れます」

 木登りの話をする川嶋さんの声は、まるで少年のように弾んでいた。

「少し間違えて、かなりの高さから落ちても、幸いにして下に鋭利な石などがあることもなく、多少の痛さですむような墜落でした。それも含めて懐かしい思い出です」

 続いて記者の趣味を問われたので、学生時代に応援団に所属していたことを伝えると、

「それはいいご趣味ですね。応援は人を励ますだけでなく、喜ばせるマジックです。麗しいお声でみなさまを励ましていらっしゃったんでしょう」

記者に対して“エール”を

 応援団のエピソードを披露すると、川嶋さんは質問を投げかけつつ、こう評した。

「いま思いついた言葉で、不適切な可能性は大いにありますが“応援の喜びの拡大再生産”をお担いになってこられたのですね。木登りよりは、はるかによいご趣味でいらっしゃると、憧れながら伺っております」

 東京五輪シーズンだったこともあったのか、川嶋さん自身も応援に対する思いを語っていた。

「応援やスポーツのよさだと思っているのは、最後に相手のチームを讃えることです。例えば、AチームとBチームが戦っていたとしたら、Aチームが“フレフレ! Bチーム!”と、なさる……。あそこが、応援の中で最も感動するところですね」

 そして、さっそく記者を“応援”してくれた。

「大切な締め切り間際のときかもしれませんが、お時間をいただき、申し訳ございません。またどうぞ、取材でなければご遠慮なく、ご連絡ください。

 私の想像にすぎませんが、本当にマスコミュニケーションのお仕事は、どの分野でも大変なお仕事で、なかなかご自分の時間も持てないし、計画を立ててもひっくり返さないといけない……。

 いろいろおありになるようだと存じますが、一歩一歩よい専門家におなりになられるように念じております。どうぞ、お身体に気をつけて」

 どんな相手に対しても努力を讃え、応援する心まで持ち合わせていた川嶋さん。その言葉ひとつひとつから感じられたのは、異例の結婚に猛進する眞子さんのことも、陰ながら応援し続けていたのではないかということ。

 川嶋さんはこれからも、天国から眞子さんへエールを送り続けることだろう─。

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