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「僕が僕を放棄したら僕が消える」田原俊彦、キツい時期もあった45年間でも今は右肩上がり

週刊女性PRIME / 2024年6月19日 5時0分

田原俊彦 撮影/廣瀬靖士 スタイリスト/日下部慶子 ヘアメイク/我妻正一

 デビュー45周年を飾る楽曲『愛だけがあればいい』を発売した田原俊彦(63)。そんなトシちゃんに、たのきんトリオ時代や今では懐かしい思い出話を聞いてみた。

 80枚目のシングル『愛だけがあればいい』が発売です。手応えはどうですか。

「デビュー45周年を飾る素晴らしい曲になりました。アニバーサリーは10周年(『ごめんよ 涙』)から、作詞・松井五郎、作曲・都志見隆っていうスーパーなコンビに書いてもらっていて。編曲は船山基紀先生(『抱きしめてTONIGHT』)だし、お金がかかっちゃって大変なんですけど(笑)。

 金だけがあればいい! 違う、愛だよ愛(笑)。

 曲調としては大人のシリアスな歌で、ちょっと昭和のテイスト。音だけ聴くよりも実際に歌ってるのを見てもらうと、さらに“あ、いい曲だ”って思ってくれるんじゃないかな。これをひっさげて、7月半ばからツアー(全国19都市20公演)に出ます」

 デビュー45年を振り返ると、インパクトのあるタイトルの曲が多い。いちばん驚いたのは?

「やっぱり『哀愁でいと』でしょ。“これいいのよ、ユー”って『ニューヨーク・シティ・ナイツ』(洋楽ヒット曲)を持ってこられて、それが『哀愁でいと』になった。この発想は天才だよね。そっから始まったわけ。次の『ハッとして!Good』とかもさ、おかしなことになってるし。

 そこから『君に薔薇薔薇…という感じ』とか『NINJIN娘』とか。“俺、どうなっちゃうの!?”と思ったもん(笑)。すごく恵まれたし、そうとう遊ばれた。ディレクターたちのアイデアも本当に斬新なの」

 当時“歌唱力はイマイチ”みたいな言われ方でしたが……。

「ひどかったからね。もう笑っちゃうぐらい。でも、あれがいいのよ。ジ・アイドルだから。ジ・アイドルがうまく歌ってもさ(笑)。

 23歳ぐらいから本格的に先生についてレッスンするようになって、2年間通って鍛えてもらいました。思いっきり下手なところから進化して、今は本当に“田原俊彦の味”を出して歌えますよ」

グループでデビューしたら?3年で解散するよ(笑)

 最初に人気が出たのはドラマの『3年B組金八先生』でしたね。

「そう。『金八先生』がなけりゃ、俺らなんてチャンスをつかめなかったと思うし、運とタイミングだよね。(1979年の)7月くらいに生徒役の話がきて、事務所から10人くらいオーディションに行ったのかな。たまたま選ばれたのが僕、マッチ(近藤真彦)、ヨッちゃん(野村義男)というタイプの違う3人。もう8月には荒川の土手でロケが始まってたよ。

 最初はあまり期待されていなかったけど10月から放送が始まると視聴率がよくて、雑誌の『セブンティーン』が俺らを“悪ガキトリオ”ってフィーチャーしてくれた。どんどん人気が上がって時代の流れに乗れたよね。

 その『金八』が終わって、(1980年)5月の『ただいま放課後』っていうドラマから“たのきんトリオ”って名前になった」

 3人の先頭を切って1980年6月にソロデビュー。

やっぱり一番年上だし、まず僕で勝負でしょ! 僕が最初に出てってマッチもその気になった。それぞれソロで出ていくんだよね。

 この性格だから、絶対にグループは嫌だった。僕がグループやったら3年で解散するよ(笑)。レッスン生のころから“グループは嫌です”と。俺らが最後のソロだよね。それからグループ、グループ、グループだもんね(笑)

 今日の衣装は赤。やっぱり赤が似合います!

「デビュー曲が“赤い薔薇投げ捨て~”だから。子どものときから好きでしたよ。情熱の赤っていうし、エネルギーをもらえるし、なにより目立つ。ヒーローも赤。赤ってセンターじゃん。

(たのきんトリオでも)僕が赤でマッチは黄色かな。信号じゃないけどさ、赤青黄色だったからね」

 ファンの方が赤い下着をたくさん贈ってくれるそうですね。

「そうだね、だいたい赤いねぇ(笑)。下着とかTシャツとか、自分ではほとんど買わない。パンツに関しては一度も買ったことないんじゃないかな。もう一生分くらいあるの。ぜんぶファンの人がプレゼントしてくれるのよ(……と言いながらめくって見せてくれる。ベルトラインに赤くブランドのロゴが入っていました!)。

 ステージ衣装でも必ず赤は着るし、やっぱり赤だとみんな(気分が)ガッと上がるっていうのはあるみたい。しかも、もうこんなジジイになってんのにさ、俺が『ハッとして!Good』とか歌うとそのころの顔に見えたり、お客さんも中学生とか高校生に戻ってウワーッって高まる」

 めちゃくちゃ楽しいですね!

「だって、やるっきゃないから。僕が僕を放棄したら僕が消えるわけだから。絶対に消えたくないじゃん。だから毎年シングル曲を出すし、コンサートも頑張る。

 で、お客さんは必ず見てるから。いいものを作って、いいステージをやれば“トシちゃん頑張ってる。来年も来たい!”って。そう思わせるのが、田原俊彦の役割っていうか真骨頂なんで」

 45年の間には、きっとキツい時期もありましたよね。

「一時はね……。テレビで育った人間がテレビからいなくなって、集客力も落ちたしね。いろんな意味で厳しかったけど、ファンのみんなも結婚したり、僕と同じように子どもができたり、環境が変わったってのもあったと思う。

 逆にここ5年ぐらいはファンクラブも右肩上がりなの。今の言葉で言うと推し? みんな子育てが終わったり、自分の時間を持てるようになって“あれ、トシちゃん、頑張ってるな”って気がつくんだろうね。

 これは僕としては大チャンス。なので“トシちゃん進化してるやん。歌もめっちゃ歌えるやん。踊りもまあまあやるやん”ってところを見せないとね。

 この先には50周年もあるし、なんとなく70歳までは見えたかなって気がしています!」

全国19都市20公演のコンサートツアー
「45th ANNIVERSARY TOSHIHIKO TAHARA DOUBLE 'T' TOUR 2024 愛だけがあればいい」が7月20日からスタート

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