1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

「優しく前向きで明るい人」佳子さまが評する母・紀子さまが続ける“結核根絶”への取り組み

週刊女性PRIME / 2024年7月7日 21時0分

第75回結核予防全国大会に出席し、おことばを述べる紀子さま(2024年3月15日)

 佳子さまの母親で結核予防会総裁を務める秋篠宮妃紀子さまは2024年4月30日、結核治療と関係の深い東京都清瀬市を訪れた。1931年10月、同市に結核専門「東京府立清瀬病院」が開設され、それ以降、周辺に次々と結核療養所などが建てられた。

戦前は恐れられていた結核

 結核は現在、薬や高度な外科手術で治る病気となったが、それまでは、きれいな空気の中で安静にし、栄養をとって体力をつけるという療養重視の時代が長く続いた。また、戦前は結核の死亡率が高く、恐れられていた。

 報道によると、清瀬市郷土博物館を訪問した紀子さまは、清瀬病院の跡地から出土した医療器具や患者が使用した歯ブラシなどの日用品を見学したという。この後、中央公園にある清瀬病院記念碑を視察した。石碑には《ここに清瀬病院ありき》と、彫られている。関係者が、案内板に書かれた清瀬の結核史などを説明した。

 その後、紀子さまは結核関連施設の広大な跡地を2時間以上かけて散策し、熱心に視察した。清瀬に残る結核の足跡をじっくりたどった紀子さまは「たくさんの学びがありました」と、感想を述べたという。

 結核予防会の機関誌『複十字』に、評論家の犬養道子さんと結核について興味深い記事が掲載されている。犬養道子著『アメリカン・アメリカ』と『複十字』の記事を参考にしながらその内容を紹介してみたい。

 犬養さんは、戦前、五・一五事件で暗殺された犬養毅首相の孫で、戦後すぐにアメリカに渡り、その後、ヨーロッパで聖書の勉強を続けた。帰国後、評論家などとして活躍し、60歳前から難民救済活動に積極的に取り組み、96歳で死去。

 1948年、犬養さんは留学先のアメリカで結核を患い、ニューヨークから西海岸のロサンゼルスまで特急列車に乗り、さらに、カリフォルニア州モンロビアにある結核専門病院に入院することになった。特急列車に乗るとすぐ、簡易ベッドに横になった。発熱し咳が激しい。《挫折した留学の夢。砕かれた青春の理想》と、彼女は書いている。

アメリカの占領下にあった日本

 当時、奨学金留学生に給与される小遣いは月に10ドルで、戦争に敗れ、実質、アメリカの占領下にあった日本からの送金は不可能だったという。体調が悪く、満足に食事もとれない犬養さんを心配した乗務員が事情を尋ねた。彼女は、特急列車の終点ロサンゼルスから、病院のあるモンロビアまでバスで行くと説明した。しかし、乗務員はバスの本数は少ないと顔を曇らせた。

 しばらくして車内放送があった。明朝、終点のロサンゼルスに到着するが、その手前のモンロビアに1分間だけ臨時停車するという案内だった。続けて、この特急列車には病気の治療でモンロビアの病院に入院する日本の女子留学生が乗車している。彼女が、ロサンゼルスからモンロビアまでバスで行くことは難しく、乗務員が相談して本部に連絡し、臨時停車の許可を得た、という内容のアナウンスだった。

《感動のあまりに泣いていた。『ああ、デモクラシイとはこう言うものであったのか(略)これなら敗けても仕方なかった、敗けるのは当然だった…』と思いつつ、いつまでも彼女は涙をふいた》

 と犬養さんは書いている。

 モンロビア駅に臨時停車すると担架が用意されていた。車窓から乗客たちが顔を出し「早くよくなるんだよ」「元気でね」と、彼女を励ました。中には「訪ねて行くよ。さようなら」と言って10ドル札を投げてくれた人もいたという。

アメリカ人の善意で支えられた

 それから3年間、犬養さんは結核の療養を続け、健康を取り戻した。医療費などもアメリカ人の善意で支えられたらしい。

《私があの大病にかかわらず生きていま在るのは、アメリカのコモン・マン(普通の人たち、筆者注)のおかげである》と、彼女は綴っている。

『複十字』の記事は、《直前まで敵国であった日本人の貧しい学生、結核患者に寄せられた米国の普通の人たちの親切が語られている。(略)難民に奨学金を支給する犬養道子基金も設立した。彼女のエネルギーのもとは、若くして結核を病み、異国で多くの普通の人たちに助けられた経験があったのは間違いないであろう》と、指摘している。

 今年3月15日、東京で開催された「結核予防全国大会」で、紀子さまは次のように国内や世界の結核状況を憂え、結核根絶に向けた決意を示した。

日本における結核の現状を見ますと、罹患率は着実に低下し、2021年には低蔓延国となりました。しかし、いまだに年間約1万人以上が新たに結核を発症しております。また、80歳以上の患者の割合が全体の約4割を超えているほか、若年層では、外国出生者の割合が約8割となるなどの課題を抱えています。

 一方、世界では、WHO(世界保健機関)の推定で、1060万人が結核に罹患し、130万人が命を落としていると報告されています。2030年までに結核を終息させるというSDGs(持続可能な開発目標)の達成に向けて、国内での対策を着実に進めていくことがとても大切です」

 1939年5月、結核予防会が設立され、秩父宮妃勢津子さまが総裁を務めた。そして、1994年4月、勢津子さまに代わり、紀子さまが総裁に就任。結核予防会総裁に就任して30周年の記念日にあたる今年4月15日、紀子さまは東京都千代田区にある結核予防会本部などを訪れ、尾身茂理事長や工藤翔二代表理事、それに事務、医療職員らと懇談し、仕事内容や今後の課題などについて説明を受けた。

 2014年12月15日、成年を迎える前の記者会見で、母親について
佳子さまは「娘の私から見ると、非常に優しく前向きで明るい人だと感じることが多くございます」と高く評価した。清瀬市を訪れた際、紀子さまの「優しく前向きで明るい」人柄が多くの関係者を魅了したらしい。

 佳子さまにとって紀子さまは、身近なお手本でもある。佳子さまもまた、母親のように何事に対しても謙虚に学び続けることだろう。

<文/江森敬治>

えもり・けいじ 1956年生まれ。1980年、毎日新聞社に入社。社会部宮内庁担当記者、編集委員などを経て退社後、現在はジャーナリスト。著書に『秋篠宮』(小学館)、『美智子さまの気品』(主婦と生活社)など

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください