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「売れたら脱ぐヌイドル」デビュー曲20位以内でヌード『電波少年』初代・電波子が明かす衝撃条件

週刊女性PRIME / 2024年7月21日 17時0分

‘72年1月14日生まれの『初代・電波子』こと滝島梓。TikTokで韓国と激辛の動画を発信しながら雑談の配信も行う(@paco_azusa)

 '92年から'03年まで放送された『電波少年』シリーズ。アポなし突撃、ヒッチハイク、無人島脱出、東大受験など今では考えられない無謀な企画のオンパレードだった。当時は出川哲朗有吉弘行らも番組に出ていたが、思いもよらない転身を遂げた人もいて……。

 '92年から『進め!電波少年』(日本テレビ系)のマスコットガールとしておよそ1年半、番組に出演していた『初代・電波子』こと滝島梓

「応募段階で決まっていたのは、デビュー曲を後藤次利さんが作曲してくださることだけ。オーディションと同時進行で“デビュー曲がオリコン20位以内に入ったら、ヌード写真集を出す”という条件が決まり、最終候補に残ったときは複雑でしたね(笑)」

“売れたら脱ぐアイドル”

 それでも“大好きな番組からアイドルデビューできる”と覚悟を決めて、視聴者投票を勝ち抜いて合格。

「キャッチコピーは“売れたら脱ぐヌイドル”。デビューするにあたって、当時司会を務めていた松本明子さんが“松田聖子さんに作詞をしてほしい!”と、アポなし企画でご本人にお願いしてくださり、それが実現しました」

 しかし、オリコンランキングは27位にとどまった。

「でも、CDを買って応援してくれた人に恩返しをしたいという“設定”で、セミヌード写真を撮ることに。番組プロデューサーの土屋敏男さんが手がけていた別の番組で、ウッチャンナンチャンの南原清隆さんが一般の女性の“半ケツ写真”を撮る企画が行われており、南原さんに撮影していただきました

 その写真は、CDを買ったファンだけが参加できるイベントで、ほんの一瞬だけ公開されたという。

「『電波少年』を卒業してから、視聴者には“結局、脱いだの? 脱いでないの?”という曖昧な記憶が残ったみたいで。'00年に、ちょうどVシネとヘアヌード写真集のオファーが同時に来たので、思い切ってやりました。その後、イメージDVDも2本出しました。ただ、1回脱ぐとそういうオファーばかりになるんです。脱ぐのは簡単だけど、着るのは大変でしたね(笑)

現在はライブ配信も

 当時、滝島がチャレンジしていた企画は、

「“雑誌100誌の表紙に載りたい!”と、たくさんの編集部を回ったり、アポなし企画が多かったです。“急”なことも多くて、取材があると聞かされて現場に行ったら、実は“映画に出てみたい!”という企画で、翌日には京都の太秦の撮影所にいて……」

 結局、セリフはなかったものの、女学生役で映画に出演することに。

「ほかにも、収録の現場で初めて知ることが多くて、毎回ドッキリにかけられているような感じ(笑)。おかげで、急なことにも対応できる度胸がついたと思います」

 現在は、TikTokのライブ配信に力を入れている。

「コロナ禍の少し前から、配信を始めました。時折“『電波少年』見てました!”とコメントが来ることも。当時はSNSもない時代でしたから、私が配信をしていることに驚くみたいです」

 配信をきっかけに、

「知り合った方が歌のライブに呼んでくれたり、シンガー・ソングライターの堀江淳さんとも知り合って、ラジオに呼んでいただきました」

 今後の目標は、

「今年中にTikTokのフォロワー1000人を目指しています。あとは、大好きな韓国に関する仕事をしたいですね。TikTokは“韓国と激辛”とテーマを決めて投稿しています。マイペースにプライベートも大切にしつつ、頑張っていきたいです!」

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