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「このまま時間が止まれば」天皇陛下が綴った“青春”の日々と、佳子さまが語った両陛下への思い

週刊女性PRIME / 2024年7月28日 21時0分

'17年9月、留学先であるイギリスのリーズ大学で、ご学友とともに歩かれていた佳子さま

「日英両国民の長年にわたる心を開いた話し合いと真の相互理解への努力が実を結び、両国が連携・協力して世界を牽引している分野が、これまでも、またこれからも数多あるということを大変うれしく思います」

イギリスを公式訪問の両陛下

 天皇、皇后両陛下は国賓として招待され、6月22日から29日までイギリスを公式訪問した。両陛下は、首都ロンドンのバッキンガム宮殿で開かれたチャールズ国王夫妻主催の晩さん会に出席し、陛下は冒頭のように英語でスピーチした。報道によると、若いころ、オックスフォード大学に留学していた両陛下に対して国王は、「英国にお帰りなさい」と、日本語で語りかけ、

「日英両国のパートナーシップの核心にあるのは深い友情です。(略)私たちが共有している自由、民主主義、法の支配という普遍的価値観が今ほど重要になったことはありません。日英両国のパートナーシップは、また、絶えず成長し、花開き、新たな芽や枝を伸ばし続けていくものでもあります」

 などと挨拶した。

 陛下の姪である佳子さまは、国際基督教大学(ICU)在学中の2017年9月から翌'18年6月まで、やはりイギリスにあるリーズ大学に短期留学をした。'19年春にICUを卒業したが、その際、宮内記者会から、留学生活について尋ねられ次のように文書で答えた。

《リーズ大学では、日本では学ぶ機会の少ない、舞台芸術に関わる分野や、国際基督教大学で専攻していた心理の分野などを含め、幅広く学びました。(略)印象深かったことは、留学中の一連の経験と言えます。英語で学び、英語で生活をしたこと、様々な国の人と交流し、いろいろな文化に触れたこと、今までになかった新しい視野を持つことができたことなど、多くの経験ができたので、留学をしていた約9ヶ月間は非常に印象深い期間でした》

 '18年11月に行われた秋篠宮さまの誕生日を前にした会見で紀子さまは、こう話している。

「次女の佳子は(略)大学で幅広い分野の講義を受けたり、また休みのときには(略)スペインやポルトガルへ友人と一緒に旅行したり、さまざまな経験をしました。それを通して、次女は自分の視野を広げたり、また、自分の考えを深めたりする貴重な機会となったと思います」

 また、秋篠宮さまは、

「大学卒業後はですね、次女にもいろいろな公的な仕事の依頼が来ることが予想されます。(略)次女にも一つひとつ大切に思いながらそれらに取り組んでいってほしいと思います。もう一つ、(略)ライフワークになるようなもの、それを持ってもらいたいなと思っています」と佳子さまへの希望を語っている。

学習院大学を退学した理由

 佳子さまは'13年3月、学習院女子高等科を卒業して学習院大学に内部進学したが、翌'14年夏に学習院大学を中退した。そして、'15年4月、ICUに入学したという経緯がある。'14年12月15日、20歳の成年となる前に行われた記者会見で佳子さまは、学習院大学を退学した理由などについて次のように答えた。

「私は幼稚園から高校まで学習院に通っており、限られた一つの環境しか経験できていないと感じることが多くございました。そのため、中学のころから別の大学に行きたいと考えるようになり、受験いたしましたが不合格となったため、内部進学で学習院に進学いたしました」

「限られた一つの環境しか経験できていない」息苦しさから逃れて、ICUという新しい環境で佳子さまは学んだ。さらに、日本を離れてイギリスの大学で伸び伸びとした留学生活を満喫した経験は、「非常に印象深い期間でした」との言葉どおり、彼女にとっては一生の宝物であったに違いない。

 佳子さまの留学から30年以上も前、天皇陛下は、オックスフォード大学マートン校に留学するため、1983年6月末から'85年10月初めまでの2年4か月、イギリスに滞在した。留学生活の思い出などをまとめた『テムズとともに』(学習院教養新書)の中に次のような文章がある。

《どんな小さな通りにも、広場にも、私の二年間の思い出はぎっしりと詰まっているように思われた。再びオックスフォードを訪れる時は、今のように自由な一学生としてこの町を見て回ることはできないであろう。おそらく町そのものは今後も変わらないが、変わるのは自分の立場であろうなどと考えると、妙な焦燥感におそわれ、いっそこのまま時間が止まってくれたらなどと考えてしまう》

 陛下は、浩宮徳仁親王時代に留学した。その後、皇太子殿下、そして、天皇陛下と、その立場はより重いものに変わっていった。日本国民が定めた最高法規である日本国憲法の第一章第一条に「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあるが、まさに「日本国の象徴」である「天皇」、その人となったわけである。

大きく変動した立場

《町そのものは今後も変わらないが、変わるのは自分の立場であろう》と書いたとおり、陛下の置かれた立場は、留学後の40年近くの間に大きく変動した。

 今回、天皇陛下と雅子さまは、それぞれの留学先であるオックスフォード大学マートン校とベリオール校を訪問したが、大勢の大学関係者、警備担当者や宮内庁、報道陣、それに一般市民らに、常に二人は取り囲まれていた。「自由な一学生としてこの町を見て回る」ことは、とても不可能な状況だった。

 私は、帰国途上の航空機の中で陛下は何を思ったのであろうかと、考え続けた。日本に戻れば、陛下は内親王の佳子さまよりも制約された窮屈な毎日を過ごさなければならない。一人の人間として、自由に、そして、気ままにイギリスの街を歩き回ったあのころに、陛下は二度と戻ることはできないのだ。その寂しさを実感して、機内で思わず涙したのだろうか。陛下の心の奥底から出たのであろう、あの素直な《いっそこのまま時間が止まってくれたら》という文章を、私は心の中で何度も、何度も繰り返していた。

 佳子さまは'19年春、ICUの卒業に際し、記者会から、新しく天皇、皇后両陛下となる皇太子ご夫妻へのお気持ちなどについて尋ねられ、

《少しでもお二方のお役に立つことができれば誠に嬉しく思います》

 などと文書で回答したが、彼女の目に英国訪問中の両陛下はどのように映ったのだろうか。

<文/江森敬治>

えもり・けいじ 1956年生まれ。1980年、毎日新聞社に入社。社会部宮内庁担当記者、編集委員などを経て退社後、現在はジャーナリスト。著書に『秋篠宮』(小学館)、『美智子さまの気品』(主婦と生活社)など

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