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戦時中の疎開先で思いを馳せた上皇さまご夫妻、孫の佳子さまに伝える平和の“原点”

週刊女性PRIME / 2024年8月11日 21時0分

海外などで亡くなった身元不明の戦没者を慰霊する拝礼式に、初めて出席した佳子さま(2023年5月29日)

 秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまの祖父母にあたる上皇ご夫妻は今年5月28日、栃木県日光市を訪れ、上皇さまが敗戦前の1944年7月から約1年間、戦火を避けて疎開生活を送った旧日光田母沢御用邸跡の庭を散策した。上皇さまは疎開生活中に暮らした建物を指さしながら上皇后美智子さまに説明したという。過去、戦争の記憶が風化されつつある現状に警鐘を鳴らした上皇さま。孫世代に当たる佳子さまたちは、悲惨な戦争についてどう考え、祖父母たちの思いをどのように受け継いでいくのだろうか─。

 秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまの祖父母にあたる上皇ご夫妻は今年5月28日、栃木県日光市を訪れ、上皇さまが敗戦前の1944年7月から約1年間、戦火を避けて疎開生活を送った旧日光田母沢御用邸跡の庭を散策した。

上皇后美智子さまとの散策

 報道などによると、上皇さまは日光田母沢御用邸記念公園にある、疎開生活中に暮らした建物を指さしながら「あそこで勉強したわけ」と、上皇后美智子さまに説明した。2001年に植樹したイチイの木の前で足を止め、「ずいぶん伸びているね」と、感想を述べた。

 上皇さまは、学習院初等科5年生だった1944年5月、静岡県沼津市に疎開したが、7月、サイパン島が米軍の手に落ち、敗色が濃くなると、一度、東京に戻った。そして、同じ7月に今度は日光田母沢御用邸に再疎開した。翌1945年7月、戦況悪化に伴い、奥日光の旧南間ホテルに移り、そこで終戦を迎えた。

《おもうさま(昭和天皇)日々、大そうご心配遊ばしましたが、残念なことでしたが、これで日本は永遠に救われたのです》《わざわいを福にかへてりっぱな国家をつくりあげなければなりません》

 以前、この連載で、1945年8月末、疎開先にいた上皇さま(当時、皇太子さま)に宛てた母、香淳皇后の前述の手紙を紹介したが、それは奥日光の旧南間ホテルでの疎開生活時代のことだった。当時、上皇さまは学習院初等科6年生で、この年の11月に東京に戻った。

 1975年8月、上皇さまは記者会見で戦後30年を迎えた感想を次のように答えている。

《あの当時言われたことをもう一度、かみしめたい。習字でも『平和、文化』と書きましたね。日光の疎開先でB29を見ました。
(略)はっきりしているのは、日光から原宿の駅に降りたとき、あたりが何もなかったのでびっくりしたのは事実です。戦争の体験を次の世代に伝えるのは難しく、皆で考えていくことだ》
(『新天皇家の自画像』文春文庫)

 上皇さまは、これまでの歩みの中で、「戦争を二度と繰り返してはいけない」と、事あるごとに訴え続けてきた。米軍のB29爆撃機の空襲で、焦土と化した東京の街の惨状を見た際に感じた「あたりが何もなかったのでびっくりした」という衝撃と不自由な疎開体験が、日本や世界の平和を強く望む上皇さまの「原点」といえる。

上皇さまが心配する過去の歴史

私がむしろ心配なのは、次第に過去の歴史が忘れられていくのではないかということです。昭和の時代は、非常に厳しい状況の下で始まりました。昭和3年、昭和天皇の即位の礼が行われる前に起こったのが、張作霖爆殺事件でしたし、3年後には満州事変が起こり、先の大戦に至るまでの道のりが始まりました。

 第1次世界大戦のベルダンの古戦場を訪れ、戦場の悲惨な光景に接して平和の大切さを肝に銘じられた昭和天皇にとって誠に不本意な歴史であったのではないかと察しております。昭和の60有余年は私どもにさまざまな教訓を与えてくれます。過去の歴史的事実を十分に知って未来に備えることが大切と思います。(略)いつの時代にも、心配や不安はありますが、若い人々の息吹をうれしく感じつつ、これからの日本を見守っていきたいと思います」

 2009年11月6日、即位20年に際しての記者会見で「両陛下は、日本の将来に何かご心配をお持ちでしょうか」と聞かれた上皇さまは前述のように答え、戦争の記憶が風化されつつある現状に警鐘を鳴らした。

 上皇ご夫妻の孫世代に当たる佳子さまたちは、悲惨な戦争についてどう考え、祖父母たちの思いをどのように受け継いでいくのだろうか。一つのヒントがある。

 2007年11月22日、42歳の誕生日を前にした記者会見で秋篠宮さまは、祖父母と佳子さまたちの交流の様子に触れ、戦争体験の継承について、次のように答えている。当時、佳子さまは学習院女子中等科1年生だった。

 戦前、政府の国策で旧満州(現在の中国東北部)などに農業移民として約27万人が移住したという。終戦直前の1945年8月9日、ソ連軍が侵攻するなどして、約8万人が亡くなったとされる悲劇がある。

「もう一つ前の世代と触れるということは、娘たちにとってもそれだけより多くのことを知る機会になっているように思います。親が経験してないけれども、もう一つ前の両陛下の世代が経験したことを話していただけるわけですね。

(略)那須の御用邸に行ったときに、両陛下が満蒙開拓に行った人たちが戻ってきて、那須の原野を切り開いて、そこに千振の開拓地を造っておられたところを視察されたんですけど、そのときに上の娘も一緒に連れて行っていただいたんですね、私も行きましたけれども。

 そういうこともやはり(略)、親よりも一つ前の世代の経験というのを知らせておきたいというお気持ちからだったのではないかというふうに私は思います」

戦争の記憶

 また2005年10月、誕生日に際して宮内記者会から、「戦後60年の節目にあたる今年、両陛下は激戦地サイパンを慰霊訪問されました。今後、戦争の記憶とどのように向き合い、継承していきたいとお考えですか」と、質問された上皇后さまは、文書でこのように回答している。

《経験の継承ということについては、戦争のことに限らず、だれもが自分の経験を身近な人に伝え、また、家族や社会にとって大切と思われる記憶についても、これを次世代に譲り渡していくことが大事だと考えています。

(略)千振開拓地を訪ねた時には、ちょうど那須御用邸に秋篠宮と長女の子も来ており、戦中戦後のことに少しでも触れてほしく、同道いたしました。(略)初期に入植した方たちが、穏やかに遠い日々の経験を語って下さり、子がやや緊張して耳を傾けていた様子が、今も目に残っています》

 8月15日、79回目の終戦記念日を迎える。悲惨な戦争を二度と繰り返さないためにも、佳子さまたち若い世代が、「過去の歴史的事実を十分に知って未来に備えることが大切」なのだと思う。

<文/江森敬治>

えもり・けいじ 1956年生まれ。1980年、毎日新聞社に入社。社会部宮内庁担当記者、編集委員などを経て退社後、現在はジャーナリスト。著書に『秋篠宮』(小学館)、『美智子さまの気品』(主婦と生活社)など

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