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「こんなに有名になるなんて思わなかったさぁ」ひとり老後を満喫、90歳沖縄おばーの生活

週刊女性PRIME / 2024年8月24日 6時0分

“沖縄おばー”こと大田吉子さん 撮影/UNE

5年前に孫の浩之(ひろゆき)に誘われてTikTokを始めたけど、こんなに有名になるなんて思わなかったさぁ(笑)。本土から来た人に“TikTokのおばーだ!”と声をかけられることも増えたよ

 そう話すのは、TikTokとYouTubeで計50万人以上のフォロワー(2024年7月時点)を持つ大田吉子さん(90)

「南の島のおばーと孫」というアカウント名で、孫の浩之さんが撮影した日常の動画を配信し、「笑顔がかわいい」「元気をもらえる」と大人気。今年5月には、初の書籍『90歳のおばーのゴキゲンなひとり暮らし』を上梓した。

「私は人を笑わせたり、よろこばすのが大好きさぁ。人生の目標は、世界中のみんなに笑顔で一日を過ごしてもらうこと!」(大田吉子さん、以下同)

誘われたらやる恩師の教え

 生まれてから現在まで沖縄本島最北端の国頭村(くにがみそん)に暮らす吉子さんは、高校卒業後にバスガイドや米軍基地のラジオ局の電話交換手を務め、22歳で結婚してからは夫とアイスキャンディー店や鮮魚店、民泊業などを営んできた。

「『私でよければなんでもやるよ』が口癖なもんだから。人からすすめられたことは断らずに、仕事のほかにも地域の防火クラブや民生委員などをやってきたよ」

 その源にあるのは、小学校の恩師の言葉。

「私は泣き虫で引っ込み思案だったからさ、いじめられていて、かわいそうに思った担任の女の先生が一緒に登校してくれてね。先生に“もっと積極的になって、自分のできることは何でもしたほうがいいよ”と教えられてやってみたら、だんだんいじめられなくなったのよ」

 先生の教えは人生の宝物に。大人になってからも守り続けていると仕事や出会いが舞い込み、世界が広がった。

 お見合いで結婚した5歳上の孝全(こうぜん)さんは、本業の大工の傍らさまざまな商売を営んでいたアイデアマン。夫と二人三脚で仕事に励み、5人の息子を大学や専門学校まで行かせた。

「本当は看護師になりたかったけど、貧しかったからさ学校に行けなくて。息子たちは学力をつけて自分のやりたいことをやってほしい、その一心で必死に働いたさぁ」

ひとりになっても楽しみは自分でつくる

 子どもたちは独立して家庭を持ち、現在は孫10人、ひ孫14人に恵まれた。仕事を引退した後は夫婦で穏やかに過ごしていたが、去年の春、孝全さんが94歳で逝去。

「夫婦で100歳まで頑張ろうねって指切りしてね、約束したのよ。なのに、急に具合が悪くなって病院に連れて行くとさ、肺炎と言われて入院になって、そのまま亡くなったの」

 突然、夫を失ってひとり暮らしになり、深い悲しみに襲われた。

私もおじーのところへ行ってしまおうかと思ったけどよ……。うじうじ悩んでいても仕方ない、これが人生だって受け入れることで乗り越えたさ。今は孫たちのために頑張ろうと前向きになってるよ

 しかし、1年以上たった今でも孤独を感じる時がある。

「そういう時は本を読んだり、散歩したりしていれば、自然に楽しくなってくる。くよくよしないで、楽しみを自分でどんどんつくるのよ!そうすれば次に向かえるよ」

 90歳まで大病もなく元気な吉子さんだが、健康のために続けていることは?

毎朝、ラジオ体操を第2までやって、一日3キロはウォーキングしてさ。これも小学校の先生から言われて、80年間続けていること。食事は野菜をたっぷり使ったチャンプルーが定番で、毎日芋を食べているから便秘知らずなの。

 趣味で、沖縄の植物のアダンの葉を編んで草玩具のバッタを作るのも、指先と頭を使うから、認知症予防になってるかもしれんね

 一番の元気の秘訣は歌。

「地元の民謡を覚えて家でね、アカペラで歌ってるよ。歌っていると嫌なことも吹き飛んじゃう」

 そう言うと、取材中にも得意の『国頭村歌』を歌ってくれた。笑顔が絶えない吉子さんだが、10歳のころに悲惨な戦争体験をしている。毎年夏になると、約80年前の沖縄戦を思い出すという。

美しい着物に残る沖縄戦のつらい記憶

 太平洋戦争末期の1945年、米軍が沖縄本島に上陸して始まった沖縄戦。国頭村では村民が山へ避難し、吉子さん一家も3か月間、山中の壕で生活を送った。

「海には船がびっしり、空には飛行機がいっぱい飛んでいて、見つからないように暮らすのは怖くてね。同級生の子が爆撃を受けて亡くなったのもショックだったよ」

 15歳だった吉子さんの姉も犠牲に。兵士の世話をする看護隊に動員されていた時に、たくさんのムカデに刺され、アナフィラキシーショックで命を落としたのだ。

「治療もできなくてね、姉は1週間くらい苦しみながら亡くなった。戦争はこんな形でも人の命を奪うんだよ」

 終戦を迎え村に戻ると、自宅は爆撃で焼け、灰になっていた。

 当時、国頭村には特に被害状況が悲惨だった読谷村(よみたんそん)からの避難民が多くおり、吉子さんの母は新しく借りた家に読谷村の一家を同居させた。その子連れの女性が食料に困り、着物と米を交換してほしいと母に頼んだという。

「母は着物はいらないとお米3升を渡してあげたんだけどよ、女性は着物を置いて、そのまま読谷に帰って行きよった。2、3年前にタンスの整理をしていたらその着物が出てきてね。かわいそうにと感じて、持ち主に着物を返したいと」

 孫の浩之さんがTikTokなどSNSを使って着物のことを呼びかけ、持ち主の娘を捜し出すことに成功。77年ぶりに再会を果たす。実は、着物は当時13歳だったその娘のために作られたものだった。

うれしくて、でも当時を思い出すとつらいもんだから、涙を流して2人で抱き合ったよ

 その後、着物は地元の資料館に寄贈された。吉子さんは、地元の中学校で自身の戦争体験を伝える活動をしている。

とにかく絶対よ、戦争はダメ。私が元気な間は伝え続けたいさ

 戦争を体験したことで、日頃からの人間関係でもケンカは絶対にせず、仲良くやれる方法を探す。それは家族でも同じだ。

「私は息子よりもお嫁さんを大事にしているからね。孫たちの幸せを考えたら、子育てを頑張ってくれているお嫁さんを大切にしなきゃ!」

ゴキゲンひとり老後のコツ

 沖縄には「いちゃりばちょうでぃ(一度会えばみんなきょうだい)」という言葉があるが、吉子さんは一度会えばみんな孫のようだと笑う。

「おじーと民泊をしていた時に泊まりに来た学生さんは24年間で327人いるんだけど、全員が孫のようにかわいいさぁ。朝、近所の子どもたちに挨拶するとよろこんでくれるのもうれしくてね」

 人間は助け合わないと生きていけないという。

「自分のできることを精いっぱいやって、人のために尽くせば、おのずと幸せになれる。おばーはそう思うよ」

ひとり老後をゴキゲンに過ごすコツ
・人からすすめられたことは断らずにやってみる
・毎朝のラジオ体操は第2まで、ウォーキングは3キロ歩いて体力づくり
・野菜たっぷりのチャンプルーと芋を毎日食べて健康維持
・好きな歌を歌って嫌なことは吹き飛ばす
・人間関係でケンカは絶対せずにみんなで仲良くやれる方法を探す
・人のために自分のできることを精いっぱいやれば、幸せになれる

大田吉子さん●1934年、沖縄県生まれ。22歳で結婚、子育てをしながらアイスキャンディー店などさまざまな仕事を経験。2019年にTikTokを始めて人気者に。著書に『90歳のおばーのゴキゲンなひとり暮らし』(KADOKAWA)。


取材・文/小新井知子

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