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交通事故で両足切断…26歳車いすモデルが発信するワケ「障害者と健常者の壁を壊したい」

週刊女性PRIME / 2024年8月24日 7時0分

2021年開催の東京2020パラリンピックにパフォーマーとして出演したみゅうさん。日本のkawaii文化を伝えるため「ロリータ服」を着ての出演(みゅうさんのインスタグラムより)

 8月28日から9月8日までの12日間にわたってフランスで開催されるパリ2024パラリンピック。最近ではアスリートやタレントだけでなく、SNSなどで活躍するインフルエンサーが大会の魅力をメディアで発信。そのひとりが事故で両脚を切断し車いすユーザーとなった後、モデル等の活動をはじめたみゅう(葦原海)さん(26)だ。東京オリンピック・パラリンピックの公式イメージ動画にも出演経験がある。

車いすユーザーの思いをより多くの人に早く伝えたい

私が今こうして活動しているきっかけは、2016年に知人からの紹介でNHKが開催したファッションショーに参加したことです。その時はまだ、モデルとしての活動をしていませんでした。そのファッションショーは、2020年に開催される東京パラリンピックに向けて企画されたもので、さまざまな障害を持つ人がランウェイを歩く様子を撮影して放送するといった内容。

 パラスポーツの認知や障害を抱える人への理解を深めようといった番組でした。小さいころから、テレビ番組の大道具の仕事に就くのが夢だったので、その現場が見られると思い参加したのですが……。ある違和感を覚えてしまって」(みゅうさん、以下同)

 ランウェイを歩くこと自体は新鮮で楽しく、テレビ制作の裏側が見られたのも貴重な体験だった。けれど、ステージから客席を見渡した時に強烈な違和感に襲われる。

ランウェイは屋外に設置されたもので、周りには観客席がありました。ただ、そこにいるのは障害を持った方や出演している人の家族がほとんど。番組放送後の感想を見ても福祉業界を目指している学生さんや、医療従事者の方のコメントが多かった。つまり、最初から障害者に理解を示している人や、お仕事で携われている方が関心を寄せている状況だったんです。

 番組の趣旨としてショーの内容を本当に届けたいのは、これまで障害者と触れる機会のなかった人や、興味関心がない人のはず。大道具といういわば裏方を目指していましたが、自分が演者として発信者側になれば、障害者のことや車いすユーザーの思いをより多くの人に早く伝えることができるかもしれないと考え“モデル”として活動しようと決めたんです

 そこからSNSでの活動やさまざまなイベントに出演するようになり、いまではTikTokやYouTubeを中心にSNS総フォロワー数約70万人(2024年8月現在)のインフルエンサーとなった。

 障害者としての日常のほかに、20代の若者らしくファッションやメイクのことなど幅広く発信し、世代を問わずに注目されている。

 そんなみゅうさんが両脚を切断することになったのは、10年前のまだ彼女が16歳の時のこと。

高校1年生の16歳の時に、交通事故に遭い両脚を切断することになりました。事故の詳細についてはあえて話さないようにしています。事故は当事者同士の問題ですし、事故で両脚を切断するケースは稀だと思うので、加害者が特定されて必要以上に叩かれるのは避けたくて

 事故後しばらくは意識不明で、事故前後の記憶もほとんどない。病院に到着した後、医師からの説明を受け、みゅうさんの両親は話し合いのすえ両脚を切断することを決めた。

脚を切断しないと傷口から菌が入って命を落とす危険があるので、より命が助かる選択をするために決断したと、両親立ち合いのもと医師から説明がありました。ただ、当時はまだ16歳ということもあり、医師も両親もどのタイミングで言うべきか、慎重になっていたようです

ショックよりも早く退院したいという気持ちが勝った

 みゅうさんが自身の脚のことを知ったのは、事故から1か月ほど経った時のこと。事故直後は集中治療室で過ごし、強い痛み止めを点滴していたこともあり目が覚めてもすぐに眠ってしまう状態だった。

 だんだんと意識のある時間が増えていったものの、脚がなくなったことにすぐには気づかなかったという。

『幻肢』といって脚や腕を切断した人が、なくなった脚が存在するように感じたり、時には痛みを覚える症状があります。いまでもその症状はあって、車いすに乗っている時にペダルを踏んでいる感覚や、ベッドに寝転んでいる時も膝を伸ばしている、といった感覚があるんです。

 なので、意識を取り戻して落ち着いた後も、脚がある感覚で過ごしていました。それに、骨盤が折れているから安静にとも言われていて、下半身には布団がかかっている状態だったから余計に気づかなかった

 たまたま身体を少し動かした時にシーツがよれてしまい、直そうとお尻と太もものあたりに腕を伸ばした時に、自分の脚に何かあったのかもしれないという考えがよぎった。

お尻のあたりに触れると、ビニールの感触があったんです。ビニール越しに布のような感触もあって『包帯が巻かれた上からビニールで覆われている』と気づき、はじめて自分の脚に何かあったのかもしれないと思いました。

 私はとってもアクティブな高校生で、学校に行った後はバイトをしたり資格の勉強をしたりと、暇な時間があるのが嫌なタイプだったので、意識を取り戻してからの『絶対安静にしてなるべく動かないで』と言われる入院生活がけっこう地獄で(笑)。とにかく早く退院したかった。

 でも、誰も私になにがあったか教えてくれない、そのモヤモヤが本当に嫌でした。なので、なかなか退院できない理由は脚にあるのかも……と、主治医の先生が巡回にきてくれたタイミングで『もしかして、脚がなくなっているんですか?』と自分から聞きました

 主治医もまさかみゅうさん本人から聞いてくるとは思わず、かなり驚いていたという。「両脚を切断した」という、ショッキングな状況をどのように受け止めたのか。

不思議とすんなり受け入れた自分がいました。受け入れたというよりも、自分の身体に何があったのかモヤモヤが晴れて、すっきりした感じ。『じゃあ車いすの生活になるんですよね』『いつからリハビリ開始ですか』『退院の目途はいつですか』とすぐに先生に聞きました。

 ショックよりも、早く退院したいという気持ちが勝ったというか……。いま思えば、どうしてそんなに簡単に受け入れたのか、過去の自分に聞きたいくらいですが、多分車いすユーザーが身近にいなかったし、車いすで社会生活を送るという大変さが想像できていなかったのもあったのかもしれないですね

 その後、計5回もの手術を受けて回復を待ち、半年後にはリハビリがスタートした。寝たきりの生活で落ちた筋力を取り戻すために筋トレをし、床から腕の筋肉のみで車いすに乗る練習や、1人でも日常生活を送れるための訓練を繰り返した。

両脚を切断したみゅうさんが、新たに見つけた「目標」

退院が叶ったのは事故から約1年後のこと。エレベーターのない元の高校に復学するのは難しく、やむを得ず退学して特別支援学校に移った。

 中学生のころから進学したかった大道具の専門学校は、車いすの生徒を受け入れるのは難しいと言われ断念。けれど、いつか大道具にという夢を捨てきれず将来役に立つだろうと1年制のウェブデザインの専門学校に進学した。

専門学校に通っていた時に、NHKが主催するファッションショーに参加することになりました。18歳の時です。そのショーに参加した時の違和感が、いまでも私が活動する原動力になっています

 現場で感じた障害者と健常者の間にある距離感。それを埋めるべく、自らが表側に立ち発信する立場になろうと決意。自分自身を売り込むため営業活動をし、地域で開かれる福祉関係のフェスの司会や、東京オリンピック・パラリンピック関連の仕事をこなしていき、徐々に出演依頼が増えていった。

ただ、コロナの影響で2020年の春ごろから、予定していた仕事がほぼすべてキャンセルに。手持無沙汰になってしまい、知り合いからTikTokを勧められて動画を投稿することにしたんです。動画をアップし続けているうちに『トイレはどうするの?』とか、ふだんは面と向かって言えないであろう、素朴な疑問がたくさん届いて。私は質問されるのが嫌じゃないから正直に答えていると、実は自分も気になっていたという人がたくさんいて、どんどんバズるようになりました

 SNSのフォロワーも増え、街中で視聴者に話しかけられる機会も増えた。モデルとしても活躍の場を広げ、2022年秋のミラノ・ファッションウィーク、2023年春のパリ・ファッションウィークでモデルを務め、昨年には初の書籍を上梓するなど、着実に活躍の幅を広げている。

もうすぐパリでのパラリンピックの開催……パラリンピックはいわばみゅうさんの活動のきっかけでもあるわけだが、活動当時の2016年と比べて、健常者と障害者の溝が埋まってきたという実感はあるのか。

私個人としては、活動をはじめたころよりかはある程度影響力もついたし、車いすユーザーのことを知ってもらうきっかけを作れているという実感はあります。ディズニーランドが好きで動画にも遊びにいった様子をあげたりするのですが、そこで『SNSで見たことあります』とか、『フォローしてます』と声をかけてもらうこともあって。

 4、5歳くらいの子どもも話しかけてくれてサインがほしいと言ってもらえたのはうれしかった。やっぱり、身の回りに車いすユーザーがいることってそんなにないと思うので、手伝いたいと思ってくれても『断られたらどうしよう』とか、勇気がいるじゃないですか。

 私が発信することで車いすユーザーを身近に思ってもらえたり、例えば会社に車いすを使う人が入社された時も、『動画で車いすユーザーの子を見たことあるな』と見慣れてもらうことで、心理的なハードルは下げられていると思っています

 ただ、社会として障害者や車いすユーザーが活躍できる場が増えたかというと、まだまだ理解は足りていないというのが、正直な思いだそう。

活動する場としては、やっぱり多様性などをテーマにしたイベントや取材などが多く、例えばそういったテーマとまったく関係のないフェスなどのMCをしませんか?と呼ばれる機会はまだ少ないです。そういった意味では、まだ壁を感じます。もちろん、そうしたイベント自体を否定しているわけではありませんし、企業や学校での公演も必要なこと。けれど、障害の有無や車いすユーザーということが関係ないお仕事や活動の場がもっと増えないと、本当の意味での多様性は実現されないと思います

 一方で、みゅうさんは障害者、車いすユーザーである当事者への新たな「モデルケース」にもなりたいと話す。

先天的でも後天的でも障害を理由に夢を諦めることがない社会のほうがいいと思っていて。特別支援学校の生徒さんらと交流したりすると、将来の夢に『アイドルやモデルになりたい』という子はほとんどいないです。最初は、障害を理由に諦めているのかな、と思っていたけど、そもそも目標になるような人がいないから、夢にならないのではと思って。

 車いすユーザーを例にとると、それこそパラの選手だったり、文筆家として活躍したりする人はいるけど、エンタメ業界で『車いすのモデルといえばこの人』という人がいないので、目指しようがないのかもって。自分がそういったモデルケースになれればと思うし、いつか私を見て本当にモデルやパフォーマーを目指しました……と言う方がたくさん出てきたらと。

 選手交代じゃないですけど、そういう人たちの活躍の場を増やせるような裏方業にいくのもいいですし。それまでは、まだまだ表側に立って発信を続けていきたいです

みゅう(葦原海) 愛知県出身。2014年に事故に遭い両脚を切断、車いすユーザーに。16年、モデル・タレント活動を開始。ファッションショーに出演のほか、テレビ、ラジオ、グラビアなど幅広く活動している。著書に『私はないものを数えない。』(サンマーク出版)。インスタグラム、Tiktok、YouTubeアカウントは@myu_ashihara


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