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「更年期だと思ったら心臓病だった」死を目の当たりにして気づいた、人生の優先順位

週刊女性PRIME / 2024年9月3日 11時0分

病室にパソコンを持ち込んで執筆も。「知り合いの編集者が本を送ってくれましたが、集中して読めませんでした」画像提供/村井さん

 疲れやすい、眠りが浅い、夜中に目が覚めてしまう、動悸(どうき)がする、体重が増えた──。いずれの症状も更年期の年代なら「更年期症状」と片づけてしまいがちで、翻訳家でエッセイストの村井理子さんもそのひとりだった。

「あまりにも体調が悪くなって病院で診てもらったところ『心臓弁膜症』と診断されました。当時の私は、まさに死にかけの状態でした」(村井さん、以下同)

 初めに感じたのは疲れやすさだったという。

「午前中に活動をすると、午後は疲れてぐったりしていました。もともと不眠ぎみだったのですが、夜中に目が覚めることが多くなりました」

心臓が止まりかけ重病人になっていた

 同じころから息苦しさを覚えるようになった。

「振り返ってみると、夜中に目覚めるのは、呼吸が苦しかったせいだと思います。枕を高くしても息苦しさが続くので、ソファに座って寝るようになりました。後に担当の先生に聞いたところによると、『胸水がたまっていて、普通に暮らしながら溺れているような状態』だったそうです

 村井さんが特に気になっていたのは、体重の増加とむくみだった。

「身体全体がむくんで靴も帽子もサイズを上げないと入らなくなってしまいました。いつの間にか体重が10キロ近く増えていたものの、まさかそれがむくみによる水分のせいだとは思わず、ただ年のせいだと思っていました。 実際、当時の私の不調は、インターネットで検索した更年期症状にほとんど当てはまっていたんです」

 体調不良が続く中、村井さんは小学生の双子の息子たちと夫のために奔走し、仕事にも懸命に取り組む日々を送っていた。しかし、47歳のある日、ついに心臓が悲鳴を上げた。

「耐えられないほど体調が悪くなり、近くの大きめの病院で診てもらったところ、心臓に問題があると言われ、翌日、総合病院の循環器科で診察を受けました。

 その結果、“僧帽弁閉鎖不全症(そうぼうべんへいさふぜんしょう)”という心臓の弁の病気で、それによる心不全の状態であることが判明しました

利尿剤の効果で体重が10キロ減

 実は村井さんは、先天性の心臓病で7歳のときに開胸手術を受けている。

「先生いわく、当時の手術で血流が変わって心臓の弁に負担がかかったのではないかということでした。双子を妊娠したことも心臓に負担をかけた原因のように思います」

 子どものころの経験で心臓病という病名には免疫があったものの、「先生に『心臓が止まりかけています』と言われたときはさすがにショックで、自分は重病人なのだと思いました。でも、体調不良の原因がわかったことでホッとして、『じゃあ、あとは治すだけ』と気持ちが切り替わりました」

 まずは心不全の治療のために入院。投薬が始まると、利尿剤の効果でみるみるむくみが解消したという。

「すごく効くと言われた利尿剤を飲んだところ、一日で体重が5キロ減りました。鏡を見ると元の自分の顔に戻っていましたし、指も細くなって元の太さになりました。

 顔がむくむのも、指が太くなって指輪が入らなくなったのも、更年期のせいだとばかり思っていたのが、原因は心臓だったんです。

 外見も体調も少しずつ変化していましたし、とにかく毎日が忙しくて、自分の見た目が変わっていることを無意識のうちにスルーしていたみたいです」

 3週間の入院中に体重は約10キロ落ちた。緊急入院した日に着ていたコートは、退院時には大きくて重く、靴はサイズが合わずに脱げそうになり、背負ったリュックサックの重みで身体が振り回された。

「入院して治療を受けたので、ある程度は今までどおりの生活に戻れるのではないかと思っていました。でも、自宅に帰ると玄関のドアが重く感じられ、階段を2段上るたびに立ち止まって呼吸をするような状態でした。自分が以前とは別の人間になってしまっていることが恐ろしかったです

死を目の当たりにして死生観が激変

 村井さんは退院から2週間後に県内の別の病院に転院し、心臓弁膜症において日本一の名医による手術を受けた。

「開胸手術だったので、術後はそれなりに痛みもありました。それなのに翌日から歩くようにと指導され、スパルタなリハビリはキツかったですね」

 厳しい入院期間を経て退院するころ、村井さんは今度は“怒り”に燃えていたという。

「入院中にそれまでの人生を振り返り、自分のことは後回しで家族優先の生活を送り、無理を重ねてきたことに改めて気づいたんです。『なぜ、ここまで無理をさせたのか』という周囲への怒りがすさまじかったですね。 夫と息子たちにもその怒りは伝わったようで、食事の後片づけをしたり、買い物の際に重い荷物を持ってくれたりと、私の負担を減らすような行動をとってくれるようになりました」

 身体のつらさは時間とともに和らいでいったものの、しばらくの間は精神的なダメージが続いたという。

「手術後の1年くらいは、自分が死にかけたという意識がやけに強くなり、怖くなることがありました。実際、心臓病を患った人の5年生存率は50%くらいですから。そうした事実を知れば知るほど恐怖を感じました」

 村井さんは以前から不眠症で診療を受けていたメンタルクリニックを利用したり、SNSを通じて同じ病気の人たちとつながったりすることで精神的に安定していった。その一方で、死生観には大きな変化が見られたという。

「術後1年半を過ぎたころ、兄が亡くなったんです。兄は狭心症を患っており、糖尿病や高血圧の持病もありましたが、あまりにも突然すぎる死でした。兄の無念さを思うと、私はもうちょっと生きなければと。

 もうちょっと本や原稿を書きたいし、きれいな景色も見たいし、犬も飼いたい。家族のために頑張ったとしても、死んでしまったら元も子もないですから。兄の死に直面したことで、人生に活が入ったように思います」

ラクで心地いいことにお金を使うと決意

 以来、村井さんは“自分ファースト”を心がけるようになったという。

「仕事以外では、イヤなことは断るようになり、自分を大事にするようになりました。物持ちがいいタイプだったのですが、不必要なものはすべて捨て、自分がラクに心地よく過ごせる持ち物や手段にお金をかけるようになりました。

 だから、新幹線は迷わずグリーン車に乗りますし、仕事で泊まるのはちょっといいホテルです。そういったことに稼ぎを全部使っているので、貯金はゼロですが(笑)

 金銭面でいえば、心臓病を機に日本の国民皆保険制度の素晴らしさを実感したそうだ。

「手術費用だけでも請求額が700万~800万円で、入院費や薬代、術後の通院などを含めると1千万円程度はかかっていると思います。でもありがたいことに、自己負担額は10万円で済みました

 村井さんはもともと頑張り屋気質で、ひとりで何でも解決したい性格だったという。

「今回の病気ではこの性格が裏目に出て、発見が遅れました。担当の先生によれば、『女性は男性に比べて我慢強い』のだそうです。みなさんにおすすめしたいのは、仲のいい女友達と一緒に健康診断を受けること。

 女性にとって女友達というのは偉大な存在ですから、一緒なら動機づけになるのではないでしょうか。病気の早期発見・早期治療のために、後回しにせず受けてほしいです」

村井理子さん●翻訳家、エッセイスト。1970年静岡県生まれ。琵琶湖のほとりで夫と双子の息子と暮らす。著書に『更年期障害だと思ってたら重病だった話』(中央公論新社)、『犬(きみ)がいるから』(亜紀書房)ほか多数。


取材・文/熊谷あづさ

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