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桑田佳祐も立川談志さんも“芸を盗んだ”三大話芸『浪曲』の魅力を語る浪曲師の“浪花節”半生

週刊女性PRIME / 2024年8月30日 15時0分

澤雪絵

「浪曲の灯を絶やさないでほしい。師匠が亡くなる前に言い残したその言葉を胸に、活動を続けてきました」

 そう話すのは、浪曲師の澤雪絵(さわ・ゆきえ)。

衝撃を受けた浪曲との出会い

 曲師(きょくし)が奏でる三味線の音色に乗せて、独自のメロディーで歌うように語る“節(ふし)”と、物語の登場人物のセリフを話す“啖呵(たんか)”で構成される浪曲。落語、講談と並ぶ“日本三大話芸”の1つで、最盛期には約3000人もの浪曲師がいたとされる。しかし、

「今は東西の浪曲師を合わせても88人ほどでしょうか。昔は興行を打つと会場に入りきらない人が浪曲を聞きに訪れ、1回の口演で家が建つぐらい儲かったそうです」(澤、以下同)

 かつての賑わいは消え、伝統芸能として風前の灯火に……。そんな浪曲だが、実は、あの人気ミュージシャンも自身の曲に浪曲を取り入れているという。

「サザンオールスターズの桑田佳祐さんが作る曲にも、浪花節が組み込まれているんです。私の師匠は朝ドラをよく見ていたのですが、2017年の朝ドラ『ひよっこ』の主題歌が桑田さんのソロ曲『若い広場』でした。それを聞いた師匠は“この人の歌にはいい節がついてるね。あなたも聞いてごらんなさい”と話していました。みなさんも何気なく浪曲に触れているんですよ。私は、もともとは浪曲師だった三波春夫さんをきっかけに、浪曲の世界に入ることになりました」

 話は、2006年にまで遡る。

「娘が3歳のころ、たまたま携帯の着メロとしてダウンロードした三波春夫さんの代表曲『世界の国からこんにちは』を自宅で流したんです。すると、それを聞いた娘が、あっという間に歌詞を覚えてしまったことがありました。そこで三波さんの経歴を調べると、もともとは浪曲師だったことを知り、浪曲ってどんなものだろう? と興味を持ったのです。そこで、東京の浅草にある演芸場『木馬亭(もくばてい)』に浪曲を聞きに行くことにしました」

 そこで初めて聞いた浪曲に衝撃を受けたという。

全身に鳥肌が立ちました。ストーリーの中に引き込まれてしまって、まるで1本の映画を見たような感覚でした。それまでは邦楽をほとんど聞かなかったので、日本にこんなにすごいものがあるんだ、と。当時、すでに衰退の一途でしたから“こんな素晴らしい芸をなくしてはいけない”という勝手な使命感から、出演した方の中でも特にすごいと思った澤孝子師匠を出待ちして、弟子入りをお願いすることに決めたんです」

 入門するには厳しい審査があると思われたが、あっけなかった。

「師匠に“もう弟子はとらないのでしょうか”と聞いたら“やる気さえあればお教えしますよ”と言われて、入門が決まりました(笑)。夫も理解してくれて、修業をすることになりました」

 こうして浪曲師としての日々が始まった。

浪曲の“節”を歌うように語ることを、私たち浪曲師は“唸る”と言うのですが、台本のある物語とは別に“節”のメロディーは師匠から口伝で教えられるものであるため楽譜はありません。例えば、一つの物語の中に“悲しい節”だったり“嬉しい節”があるのですが、音程が毎回、違ってくる。最初はうまくできず、師匠が録音してくれたICレコーダーを聞いて、繰り返し練習をしました。最初は“伴奏する三味線に声を乗せるの”と、よく注意されましたが、全然わからなくて」

育児と仕事を抱えながら初舞台へ

 浪曲は、三味線を弾く“曲師”と物語を語る“浪曲師”の2人1組で行われるのが基本。澤は育児と仕事を抱えながら、浪曲の修業に励んだ。そして2007年、初舞台を踏む。

「初めての舞台は頭が真っ白になって、まったく覚えていないんです。師匠からは“まあまあだったけど、眉間に皺を寄せちゃダメ”と言われました。緊張しすぎて、しかめ面になっていたようで……」

 散々な初舞台を終え、再び修業の日々が続く。上達が見えず、諦めかけたこともあったが、必死に食らいついた。

「自宅で寝るときは、いつも録音した師匠の口演を聞いていました。娘も一緒に聞いていたので、すっかり耳が肥えてしまって。私の口演を聞きに来た娘に“何点だった?”と尋ねると“100点満点で30点”と、師匠以上に厳しい評価をしてくれました(笑)。ただ、最近になって自宅で自分の口演の音源を聞いていたら、帰ってきた娘が“師匠の口演?”と言うんです。それは嬉しかったですね」

 2012年には、師匠から一人前として認められる。それから、少しでも多くの人に浪曲を知ってもらえるように、5分~10分ほどの新作『浪曲ショートショート』を発表するなど尽力してきた。浪曲師たちのこうした努力によって、浪曲に興味を持つ人は少しずつ増えているという。

「浪曲師が増えているだけでなく、聞きに来てくれるお客さんも変わったなと思います。しかし、落語や講談に比べると、まだまだ。かつて落語家の立川談志師匠も、私の師匠を目当てに浪曲の口演を聞きに木馬亭を訪れていました。というのも談志師匠は、私の師である澤孝子の師匠で1964年に亡くなった二代目広沢菊春に憧れていたんです。

 二代目菊春師匠が口演している際中、談志師匠は楽屋にある菊春師匠のカバンを開けて“ネタ帳を見せて欲しい”と菊春師匠の弟子であった菊奴(きくやっこ・当時の澤孝子さんの芸名)に嘆願したそうなんです。菊奴は根負けして、談志師匠はネタ帳を盗み見ていたこともあったみたいです。菊春師匠は潔癖症だったので絶対に許さないと思いきや“放っておきな”と言うだけだったそう。才能のある人だから、許したのかもしれません」

浪曲界の二刀流デビュー

 天才落語家・立川談志さんをも魅了した浪曲。しかし、長らく技を披露してきた浪曲師たちが亡くなりつつある。

「全盛期を知る浪曲師たちが高齢化しており、2021年には私の師匠も亡くなりました。その際は“私がこれ以上、頑張っても……”と一時は引退も考えました」

 だが、冒頭で澤が語ったように、師匠の言葉を胸に活動を続けてきた。そこで新たな道を見出していく。

「三波春夫さんのように歌手としての活動をすることにしたんです」

 2023年2月、浪曲界の二刀流で歌手デビュー『風の演歌節』をリリース。2024年5月には、セカンドシングル『Soul of 浪花節』もリリースした。

「『風の演歌節』は、浪曲師の私が歌手になった作品で、2作目の『Soul of 浪花節』は浪曲、芝居、歌舞伎などの要素がギュッと詰まった楽曲です。特に『Soul of 浪花節』には、桑田さんのように浪曲の“節”も組み込んでいます。これは、私がずっとやりたかったこと。浪曲師が歌うということで、興味を持っていただけることも多く、ラジオで曲を流して頂いたこともありました」

 2024年7月には、林寛子が経営する東京・大田区にあるカラオケサロン『ラブリー寛寛』で、共同ライブを開催。浪曲と歌手の二刀流として活躍の場を広げるが、浪曲もおざなりにしていない。

「私が浪曲の世界に入ったときに3歳だった娘も、今は成人しています。そんな娘が最近“また聞いてみたい”と改めて浪曲に興味を持ってくれています。だから、小学生に向けて浪曲を披露する場を作ろうと考えています。子ども向けにアレンジした浪曲を、今後は披露していく予定。娘のように大きくなってから“また聞いてみたい”と思ってもらえたら嬉しいですね」

 今後の抱負も語る。

「浪曲の興行師がいなくなって、口演も限られた場所でしか行えないという現状があります。なので、今後は全国でも浪曲を披露できればと思っています。2024年9月下旬には縁あって、北海道の札幌で浪曲をやらせていただくことになりました。こうしたご縁が広がっていくように頑張っていきたいと思います」

 浪曲の未来を切り拓いてほしい。

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