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「1億円の保険をかけたのは“脚”じゃない」マイクロミニの田中美奈子がかけた“意外な部位”

週刊女性PRIME / 2024年9月21日 21時0分

田中美奈子 撮影/伊藤和幸

「今思えばすごく忙しくて、身体も精神的にもキツかったけど、あんな楽しい時代はなかったなって思います」

 こう語るのは田中美奈子(56)。'84年に『ミスマガジン』の準グランプリを受賞し、芸能界に足を踏み入れてから今年で40年─。デビューした当時のことから、今、夢中になっていることまで、いろいろと語ってもらいました。

1億円の保険で話題に

「歌手としては'89年に21歳でデビューしたんですけど、私の中ではアイドルというくくりではないな、と思っていました。同期は島崎和歌子ちゃんや、田村英里子ちゃんたちで、彼女たちが10代でデビューしている中、20歳を超えてのデビューでしたから」

 当時、フリフリな衣装で活動するアイドルが多い中で、田中はミニスカートに真っ赤なルージュといった“大人の女性”というイメージでの売り出し方だった。

服装や見た目を“大人の女性”にしたけれど、自分のプライベートとはあまりにも違っていて(笑)。アウトドアとかが大好きで、Tシャツにジーパンで昼間に活動する人間なのに、事務所の売り出し方は夜の六本木とかにいそうなイメージ。

 カメラの前に立ったら、そういうイメージでいかなくてはならなかったので、自分の中でギャップに苦しみましたね。学生時代の友達には“その格好、どうしたの?”って言われるし」

 しかしその戦略に乗り、マイクロミニで美脚を披露していくと“学園祭の女王”と呼ばれ人気が沸騰。30校以上の学園祭に出演し、あまりにタイトなスケジュールのせいでヘリコプターで移動したことも。また話題になったのが、身体の“ある部分”にかけた1億円の保険だった。

「あのときは衣装で脚を出していましたから、保険をかけたのは脚だったよね、と言われるんですけど、瞳なんですよ。当時の社長に“目力がある”と言われて。でも、自分の中では私より目がぱっちりしている人なんて、ほかにもいっぱいいるのにって思っていたんですけどね(笑)」

 順風満帆なアイドル活動をしていたころ、年頃の女の子としては遊びたい気持ちも大きかっただろう。一体、どんな遊び方をしていたのか?

アイドル同士の遊び方は……

「基本、遊ぶ時間はありませんでした。私だけではなく、みんな仕事が忙しすぎて。でも、家が近かった田村英里子ちゃんとは、お互いの家を行ったり来たりしましたし、ごはんも食べに行きました。みんなで集まって品川プリンス(ホテル)にテニスをしに行ったりもしたけど、やっぱり仲のいい子同士の家に行くのがいちばん多かったかな。外だと目立ってしまうから」

 目立ってしまったことで、起こった騒動があるという。

「NHKの番組『ジャストポップアップ』でご一緒していた野沢直子さんと、私の車で収録の後にごはんを食べに行こうとしたんです。そうしたら、NHKからセンター街に向かう道で歩行者の人たちに見つかってしまって……」

 乗っていた車は、俳優・渡哲也さんからもらったという三菱のエクリプス。

「『ゴリラ』というドラマに出演させていただいたときに、番組内で私が運転していたんですけど、それをいただいて。ただ、番組で使ったのはガルウイングで扉が上に開くものだったんですけど、渡さんが“電気系統が弱いから、閉じ込められてしまうかもしれない”と、普通のドアのバージョンでいただきました。

 左ハンドルのマニュアル車で、当時、お弁当箱みたいな携帯で電話しながら運転していました。

 そうしたら、渋谷の街で囲まれてしまって(笑)。動けなくなっていたら近くの交番からお巡りさんが来てくれて、誘導していただいて。なんとかその場から離れられたんです

 そんな忙しくも楽しい(!?)日々を送っていた田中だが、所属事務所が倒産するという事態に─。

バブルがはじけて、すごい借金を社長が抱えちゃったみたいで……。“もう美奈子の給料は払えない。事務所をたたむことにした”って。私からすれば“えーー”ってなりますよね。

 でも、社長のすごいところは、所属タレントにちゃんと給料として稼いだ分を配分してくれていたこと。5万円の給料でやっています、なんてほかの事務所のアイドルさんに聞いたこともあったけど、うちの社長はお金の支払いはすごくキレイな人。なので、最後に払えないと言われるまで、1回も支払いが滞ったことがありませんでした。それだけにびっくりしたんですけどね」

 今、田中が夢中になっているものが“パワーコーラス”。地声で歌う、ゴスペルスタイルのコーラスグループだ。

パワーコーラスの魅力にハマって

「フジテレビの番組『オールスター合唱バトル』に'80年代アイドルチームで出演したのがきっかけです。歌手デビューもしていますけど、ブランクが長くて(笑)。最初に声をかけていただいたときは、みなさんの足を引っ張るかもしれないから迷っていたんですけど、1人ではなくみんなで歌うならやれるかな、って。

 実際やってみたら、指導していただいた木島タロー先生の“子どものときのように、気持ちをあらわにして歌っていた声、そのままで歌えばいい”という教えが本当に居心地がよかったんです」

 集まった'80年代アイドルとの“絆”を改めて認識できたこともあったという。

「昔は一人ひとりが芸能界をピンで戦ってきましたが、今回は20人集まって一つの目標に向かっていく感覚があって。戦友が親友になる感じが、本当に感動的でした。番組が終わった後、そこでできた“絆”を、このままで終わらせていいのかなと思ったんです」

 そこで、木島の「合唱の魔法はみんなで歌わなくなったら解けてしまう」という声にも押され、結成したのがコーラスグループ『ネオ☆スターズ』。

西村知美ちゃん、つちやかおりさんなど'80年代アイドルが中心になっています。お仕事というより、合唱サークル。基本的に歌が好き、みんなで歌いたいという人が集まったのが今回のメンバーです。

 人との関係が希薄になっている時代に、歌の力で地域貢献や社会貢献ができればいいな、って。今回、10月19日と20日に神奈川県の横浜市開港記念会館で『元気を繋ぐ古くて新しい合唱の祭』に出演します。私も年齢を重ねてきて、自分のことだけではなく世の中の役に立ちたいという気持ちが強くなりました。

 なのでこれからは、みんなが笑顔になれるようなことを発信していけたらな、って。『ネオ☆スターズ』で全国の小学校や中学校などを回って、合唱の楽しさをみんなで体感したいですね」

'80年代の“ありえない”思い出
「当時、雑誌に“ペンフレンド募集”なんて住所が掲載されているページがあったじゃないですか。個人情報が筒抜けで、今では考えられないページだけど(笑)。そこで“ゴダイゴ、ツイストが好きな人、友達になりましょう”って投稿したら、お手紙がいっぱい届いた覚えがあります。それで仲良くなって、実際に千葉に住んでいた方と長崎だったかな、家まで会いに行ったこともありました。なんだかおおらかで、いい時代でしたよね(笑)」


取材・文/蒔田 稔

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