「立つ、歩く、しゃべるは当たり前じゃない」“ジブリ歌手”を襲った病魔、闘病生活を告白
週刊女性PRIME / 2024年9月29日 16時0分
『君をのせて』『さんぽ』など、ジブリ作品を代表する主題歌の歌唱で知られる井上。そんな彼女から歌うことを奪った脳出血から1年―、かつての透明感あふれる歌声を取り戻すために闘ってきた思いを、今、語る。
助かったのは娘のおかげ
「まだ完璧とはいえなくて、左手は全然動かない状態です。ただ、SNSなどで心配してくださる声がたくさん届いているので、ちょっと元気な姿を見せられたらと思って─」
そう話すのは、『となりのトトロ』や『天空の城ラピュタ』の楽曲で知られる歌手の井上あずみ(59)。昨年、脳出血で倒れ活動を休止していたが、この秋開催される『アニソン文化祭2024』で本格ステージ復帰を果たす。
脳出血を発症したのは1年前の8月、なかのZEROホールで開催予定だった『井上あずみ40周年記念コンサート』のリハーサルのときのこと。ラストソング『天空の城ラピュタ』の挿入歌『君をのせて』の歌唱中、突如異変が起こる。
「歌の最後に高い声を出そうと思ったら出せず、ファルセットにして歌ったんです。緊張でドキドキしすぎて過呼吸になったりすることがたまにあったので、またそれかなと思ったんですけど。そこから猛烈に頭が痛くなってきて」
彼女の異変にいち早く気づいたのが、娘で歌手の今尾侑夕。親子共演も多く、当日も舞台上で寄り添っていた。
「ワンコーラス終わった後にMCがあったんですけど、そこでうまくしゃべれなかったみたい。娘に“ママ、変だよ! ろれつ回ってないよ!”と言われたんです。私もあれ、おかしいな、疲れているのかなと思っていたんですけど。そのときのマイクがかなり高価なものだったので、壊したらまずいと、とりあえず舞台にそっと置きました(笑)。意識が薄れつつ、娘に“私の代わりにコンサートやって”と言ったのまでは覚えています」
そのまま舞台上に倒れ込み、意識を失ってしまう。顔の左半分がだらりと垂れ下がり、脳の疾患というのは明らかだった。病状は深刻だ。願いは叶わず、コンサートは急きょ中止に。開演30分前だった。
しかし救急車を呼ぼうにも、なかなか電話がつながらない。昨年も猛暑続きで、8月といえばまだまだ熱中症の盛んな時季。慌てふためくスタッフのなかで、ひとり冷静だったのが娘の侑夕だ。その場にいた30人のスタッフに「全員電話して!」と指示を出し、ようやく1人が「つながりました!」と、救急車の確保に至る。
「娘は、何時何分に倒れ、何時何分に嘔吐があって、と病状を逐一メモしていたそうです。救急車の人に“医療関係の方ですか?”と聞かれたくらい(笑)。後でそれを聞いてびっくりしました。助かったのは娘のおかげだと思います」
都内の病院へ救急搬送され、脳出血と診断された。脳出血の主な原因とされるのが、高血圧と過度な飲酒。彼女自身もともと血圧200mmHgの高血圧で、加えて酒豪と脳出血予備軍でもあった。
「普段は血圧のお薬を飲んでいたんですけど、その日は飲まなきゃと思いながら時間がないし、もう行かなきゃと飲まずにいたんです。机の上に置いたままにしていたのを鮮明に覚えていて。やはり何か引っかかっていたんでしょうね」
脳に7cmほどの血だまりが見つかり、その日のうちに緊急手術を行っている。2時間に及ぶ手術は無事成功。目覚めたのは3日後で、当時の記憶をこう話す。
「日差しがいっぱい差し込んでいて、あれ、沖縄にいるのかなと思いました。先生に“この子は歌を歌うために生まれてきた子なんです。絶対に歌を歌えるように治してあげてください!”と誰かが言っているのが聞こえてきて。後から考えると、歌手の同期の友達の言葉だったと思います。私としては、コンサートがどうなったのかということだけが気になっていましたね」
意識を取り戻しはしたものの、左半身は麻痺し、1人では食事はおろか排泄もままならない。言葉を発するのも難しい状態だったが、それでも考えるのはまず歌のこと。
「入院中はずっと自分の曲を聴いていました。40周年コンサートが終わったら、地方や海外でのコンサートが決まっていたので、自分の中であれこれビジョンを描いていたんですけれど……。病院で“トトロを歌ってらっしゃるんですよね”と言われることがあって、それがいちばんつらかったですね」
絶対にもう1回ステージに立とうと
2週間の入院を経て、リハビリ施設へ転院。まずは、立つ、座る、歩く、話すといった、基本的な動きのトレーニングからのスタートだ。
「なんでみんな立てるんだろう、しゃべるのってこんなに大変なんだって思いました。赤ちゃんのころから自然とやってきたことだけど、できることが当たり前じゃないんですよね。リハビリをしていると、隣のおばあさんからよく“もどかしいでしょう”って言われましたけど、“そんなことないですよ”って答えるようにしてました。“そうですね”って言うと気力がなくなってしまいそうだから。なるべく楽観的でいよう、楽しいことを考えるようにしようと思って」
同時に発声の練習もスタート。ここでも娘が活躍した。
「娘は小学生のころから12年間ずっとボイストレーニングに通っていて、今回のリハビリでは私の“先生”になってくれて。こんな難しいことをやってたんだって改めて気づかされましたね。また娘がめちゃくちゃ厳しくて。かなりのスパルタです(笑)」
声を出すのも難しい状態から、ステージに立ちプロとして人前で歌を歌えるまでに戻す─。彼女の場合、人並み以上に目指すハードルは高い。
「1年前にレコーディングをしたアルバムがすごくいい出来で、聴くたび自分でもなんてうまいんだろうって思っちゃう(笑)。でもいざ歌ってみるとできないし、よくこれを歌えてたなと思って。励みにもなれば、またここまでできるのだろうかという失望の繰り返しです。ただ、絶対にもう1回ステージに立とうという思いだけがありました」
リハビリ病院で5か月間過ごし、退院後は自宅で引き続きリハビリに励んだ。ステージ復帰第1弾は今年6月。地元・金沢で開かれた歌の恩師の発表会に娘と参加し、トトロの主題歌『さんぽ』と『となりのトトロ』を披露している。
「音を外してもいいからとりあえず大きい声で元気に歌おうと思っていました。その日はリハーサルができずにぶっつけ本番だったんですけど、思ったより大きい声が出て。娘がびっくりして、“ママ、できるじゃん”って泣きそうになっていましたね。練習しているときはあまりにも下手だったので“ママは復帰できないんだ”と思っていたそうです。もう歌の仕事はできないんだ、そうしたら大学の学費も払えなくなっちゃうって、がっくりきていたみたい(笑)」
現在は本格復帰となる11月のステージに向け、プールでのウォーキングとデイケアに通い、リハビリを続けている。
「水中で手を放して歩きバランスを取る練習をしていて、だいぶ体幹が取り戻せました。やっぱり体幹がきちんとしないと歌も歌えないので。デイサービスではおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に発声をして、お腹から腹筋を使って声を出す練習をしています」
ステージには侑夕と共に出演。アニソン仲間をゲストに招き、総合司会を務める。
「今回は『となりのトトロ』と『さんぽ』の2曲を歌います。本当は40周年コンサートで予定していた演目をやりたいところだけれど、まだそこまではできないので。こういう身体になって思ったのが、頑張りすぎなくてもいいんだ、ということ。
今まで普通にできていたことができないって、つらくなるんですよ。だから今回はみんなで楽しくコンサートができればいいなと思っていて。たくさんの方にご迷惑とご心配をかけてしまったので、まずはこのコンサートで元気な姿を見てもらいたい。そこで少しでもお返ししなきゃって思っています」
11月16日、川崎市の洗足学園前田ホールで『アニソン文化祭2024』を開催。ここでの歌唱を井上は楽しみにしている。
取材・文/小野寺悦子
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