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「放置していたらがんの可能性も」芥川賞作家・平野啓一郎が語る“偶然による運命の分岐点”

週刊女性PRIME / 2024年11月16日 17時0分

平野啓一郎さん 撮影/廣瀬靖士

 『マチネの終わりに』『ある男』『本心』と、上梓する小説が軒並み映画化されている平野啓一郎さん。最新作『富士山』は10年ぶりとなる短編集で、あり得たかもしれない人生や世界を描いた5つの物語が収録されている。

富士山というナショナリズムの象徴のことを考えるように

僕は自分の仕事を第1期、第2期、第3期、第4期と分類していまして、次の期に進む前に短編を書いてその後の方向性を探っているんですね。2021年に刊行した『本心』で第4期が完結したような感覚があったので、今回の『富士山』に収録されている短編を書き、次なるステップに向かっているところなんです

 これまでの短編の中には読み手を選ぶような実験的な作品もあったそうだが、『富士山』は全体を通して物語性を楽しめるような一冊に仕上がっているという。

収録されている作品は、すべてコロナ禍に書いたものなんです。街から人が消えたり、飛行機が止まったりと、僕自身、コロナ禍にはパラレルワールドにいるような気がしていました。そうした感覚がそれぞれの作品に反映されていることもあり、全体が緩やかにつながっているような一冊になるよう、意識して書き進めました

 表題作でもある『富士山』では、コロナ禍にマッチングアプリで出会った男女の関係と予想外の行く末が描かれている。

僕の知人にマッチングアプリで婚活に励んでいる女性がいるのですが、コロナ禍では思うように活動ができなかったと話していたんですよね。周囲にはマッチングアプリで結婚したカップルもいますし、男女が合理的に出会って結婚する過程には興味がありました

 もうひとつ、かねて抱いていた疑問も『富士山』を生み出す大きな要素となった。

関西に出張に行くときには自分で新幹線のチケットを予約するのですが、いつもE席が埋まっているのが不思議だったんです。そのことを友人に話したところ『富士山が見えるからでしょ』と言われまして。それ以来、富士山というナショナリズムの象徴のことを考えるようになりました

 『富士山』では結婚を意識した女性の心理がリアルに描写されている。

僕は昔からよく相談をされるタイプで、特に40歳前後のころは、同年代の友人の女性たちからいろいろな恋愛相談を受けていたんです。『富士山』には、当時聞いていた悩みが少しずつ反映されているような気がします。実際に相談にのっていた友人たちは、なぜか僕の助言とは反対の方向に向かっているんですけどね(笑)

僕たちはいくつもの運命の分岐点を経験している

 本書に収録されるどの作品にも平野さんの知識や経験や思考が凝縮されている。中でもそれをいちばん色濃く感じられるのは、秋葉原無差別殺傷事件を彷彿とさせる“起こらなかった犯罪”を描いた『鏡と自画像』かもしれない。

起きてしまった犯罪をどうすれば食い止められたかを考えるときって、教育問題とか社会問題とか、大きな話になりがちなんですよね。僕は秋葉原無差別殺傷事件の犯人が書いた本を読み、彼は論理的に物事を考えることができる人物だと感じました。彼に何かのきっかけさえあれば、あのような事件を起こさずに済んだのではないかと思っているんです

 『鏡と自画像』の主人公は死刑を望んで犯罪を計画するが、とある画家の自画像との出会いによって人生が変わる。

実際、世の中には犯罪の手前で足を止めた人がたくさんいると思うんです。僕たちが日常の中でちょっとした優しさや思いやりを持つだけで、もしかしたら起きていたかもしれない大きな事件を止めることもできるんじゃないか……と考えたんですよね

 ささいな偶然が人生の分岐点となり得ることを痛烈に実感するのが、2編目に収められている『息吹』だ。

 主人公の息吹はかき氷屋が満席のため、たまたまマクドナルドに入り大腸内視鏡検査の世間話を耳にした。それを機に検査を受けて初期の大腸がんが見つかり、手術は無事に終了したのだが、息吹の中にはあの日、かき氷を食べた記憶が残されていて─。

僕自身、40代後半になってから、偶然聞いた知人の大腸内視鏡検査の話をきっかけに検査を受けたことがあるんです。その際にちょっと大きめのポリープが見つかって、医師から『放っておいたらがんになったと思いますよ』と言われました。あのとき、たまたま知人から検査の話を聞かなければと考えると、何ともいえない嫌な気持ちになりました

 平野さんは、人生には偶然に左右される部分が大きいと語る。

普段はそのことをあまり自覚しないと思うんです。でも、朝の通勤電車がたまたま30分遅れていて、その30分のために違った人生を生きることになる可能性というのは誰にでもあるわけですよね。意識していないだけで、僕たちはいくつもの運命の分岐点を経験していると思うんです

 つまり、私たちの人生は偶然の積み重ねによってできていて、普通の毎日を過ごせているのはそれだけで幸運ということだろう。

僕は23歳でデビューしてから、当時80歳前後だった瀬戸内寂聴さんやドナルド・キーンさんといった方々と出会いました。彼らが元気に長生きしてくださったからこそ、20年ほどにわたっていいお付き合いをすることができたんですよね。同じように、皆さんのこの先の人生で起きる偶然の出来事が誰かにいい影響を与えるかもしれませんし、もちろん楽しいこともたくさんあると思います。だから僕は読者の皆さんにも、元気で長生きをしてほしいと心から願っているんです

最近の平野さん

「仕事中は、一生懸命に考え事をしている時間が結構あるんです。でも、はたから見るとボーッとしているようにしか見えないらしくて、妻に用事を頼まれたり、子どもに“遊ぼう”と誘われたりするんですよね(笑)。“今、仕事中です”ということがひと目でわかる、シールのようなものがあればいいのになぁと思います」

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)/1975年愛知県生まれ、北九州市出身。京都大学法学部卒。1999年在学中に文芸誌『新潮』に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。以後、一作ごとに変化する多彩なスタイルで作品を発表し各国で翻訳紹介されている。『葬送』『高瀬川』『決壊』『マチネの終わりに』『ある男』『本心』など著書多数。近著は『富士山』(新潮社)。


取材・文/熊谷あづさ 撮影/廣瀬靖士

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