《初激白》「44歳で二度目の子宮がん」『GTO』出演女優が語る病魔と人気絶頂期で“引退”の真実
週刊女性PRIME / 2024年12月25日 18時30分
子役として芸能界で活躍、1998年、反町隆史主演ドラマ『GTO』に出演してブレイクした希良梨さん。しかし20歳で突然引退。その理由は「子宮がん」だった。海外に拠点を移して、結婚、出産。今はメキシコでの生活を送るが、今年、日本に一時帰国した際に二度目の子宮がんが判明。12月13日に無事に手術を終え、25日に退院した。引退した当時のことや今の心境を聞いた。
「ようやく起き上がることができて、今日からリハビリをしています。順調なので予定どおりに退院できそうです」
そう話すのは女優の希良梨さん。子宮がんの手術を終えたばかりで点滴の管もまだはずせないが、口調は穏やかで元気だ。
20歳のときにもがんを経験
子宮がんの手術をするのはこれが二度目。一度目は、人気絶頂の2000年、20歳のときだった。重い生理痛に耐えかね病院に行ったところ、判明。幸いにも早期発見だったため、患部をレーザーで焼く円錐切除手術を行った。
病気を公表することなく、日本での芸能活動を休止すると、海外に拠点を移し、2008年に結婚。二度の流産を乗り越え妊娠したが、同時に医師からは、がんの前段階である子宮頸部高度異形成だと告げられた。
「妊娠が進み、子どもの心臓の音を聞いていたので出産を諦めるつもりは一切ありませんでした。妊娠しにくい身体だとわかっていたし、新しい命を産みたいと。そのあとは子育てに集中するあまり、自分のことをないがしろにしていたのもよくなかったのかもしれません。
産婦人科の診察台に乗るのはイヤだし怖い。そんな思いだったので、がんの前段階だった状態をきちんとケアできなかったのです」
婦人科の検診には定期的に、そして気になることがあれば早めに診察を受けてほしい、と言葉に力を込めた。
家でひとり泣く日々
うれしいことも、逆境も人の倍ある。それが私の人生なのかも、と語る希良梨さん。
「昨年からメキシコで家族で暮らしているのですが、今年の春に日本に一時帰国した際に、身体の異変に気づいて。大きなナプキンでも漏れてしまうほどの不正出血が続き、これはおかしいと。
子宮がんに一度なっていますし、妊娠中に高度異形成が見つかったこともあり、クリニックに駆け込んで検査をしてもらいました。でも出血以外は特に気になる症状もないし、きっと大丈夫と思っていたのですが、病院から電話がきて。嫌な予感が的中しました」
紹介された大学病院で再検査を受け、正式に子宮頸がんの診断が下った。
「がんの進行を調べるために検査を重ねて。日に日に状況が変わっていき、もしかしたら余命宣告をされるんじゃないかと不安で仕方なかったです。私は小さいときから、芸能界でも、そのあとの海外の暮らしでもいろいろな経験をしてきたので、母からは“人生4周目なんじゃない?”と言われるほどだったので、もうそろそろ終わりなのかな、なんて思っちゃって。家でひとり泣く日々で……」
9月には円錐切除手術をして、取れる範囲のがんを切除、そして12月にはさらに奥にひそむがんを取るための開腹手術を行った。
「ある日、ほかの患者さんがいない特別な診察室に呼ばれて。やっぱり深刻な状況なんだと思い知らされました。しかし医師からは、おそらく初期のがんだから99%は大丈夫と。
ただ、奥にあるがんは開腹してみないことには状態がわからないと言われて。子宮の近くにはリンパ節もあるので、もし転移すれば血中のリンパ球によってがんが全身に広がっていく可能性もあると。もう恐ろしくて言葉にできないほど不安でした。正直言って、元気いっぱいの私がなぜこんなことにと思いましたが、自分に怒っても仕方ないですし、人に当たっても仕方ない」
それほど思い詰めるのは、子宮摘出の可能性もあったからだ。
「もし機会があれば、また子どもを産みたいと思っているんです。だから放射線治療の選択肢もありましたが、不妊の影響を考えて開腹手術にしました。先生にもそれはお伝えしてあるのですが、お腹の状態によっては、手術で眠っている間に子宮を摘出される可能性もあって。
手術が終わった後のことなんて想像もできなかった。パンドラの箱を開けるようなものだったから……。みんなの前では冗談を言って、ひとりになると泣いてストレス発散する。手術台に乗って麻酔をかけられるまでは、この状況を受け入れられませんでした」
祖母と大切な友人のおかげ
嘘がつけない性格だからと、悩んだ末にSNSでがんを公表したことで、反響もあったという。
「同じようにがんと闘う方や応援してくださる方からたくさんメッセージをいただき、人の温かさや優しさ、愛情を感じました。励ましの声をいただくようになり、少し前向きになれたんですよ。ファンのみなさんとは芸能人というよりもっと近い存在で、ひとりの人間として向き合いたいですし、誰かの力になれたらとも思います」
そして初期の段階でがんが見つかったのは、祖母と大切な友人のおかげだと振り返る。
「母子家庭だったので、忙しく働く母に代わって、私の面倒を見てくれたのが祖母でした。実は私を芸能界に導いてくれたのも祖母なんですよ。そんな祖母が6年前の春に亡くなったのですが、入院していた病院へ向かう道には、桜がきれいに咲いていて。祖母を思うとその光景がよみがえり、もう一度桜を見たいと思っていたんです。そんなときに大切な友人から“一緒に日本を見て回ろうよ”と言われて、なんだか日本に呼ばれた気がして。
海外で懸命に過ごした20年。困難もたくさんあったけれど、失敗して転んでも、必ず立ち上がって前を向いてきた。だから私、逆境に強いんです。またがんになってしまったけれど、こうなったことにも意味があるんじゃないかと、今は思っています。祖母と大切な友人のおかげで初期の段階でわかったから、早く治療しちゃえばいいんだと。母とも、今は治療で治る時代だからねと言っているんですよ」
がんになったことで、意識も変わってきた。
「自分が死ぬなんて考えたこともなかったのに、人間の生と死について思いを馳せるようになりました。人として成長するためにメキシコへ行っていろんなことを学んだけれど、がんになり、さらに深く考えるようになって。海外と比べても日本の医療は一流ですし、先生たちも優しくて素晴らしい人ばかり。
日本に生まれてよかったなと思う瞬間が何度もあり、これからはもっと日本を知りたいと思っています。10月に44歳になったばかりで、今は人生の折り返し地点。これからどう過ごそうかと考えています」
12月25日に無事に退院。来年以降の計画も思い浮かべている。
「元気になって気持ちも落ち着いたら、1月くらいから芸能活動を再開したいですね。こう見えて内気な性格なので静かに暮らすのがいいんでしょうけど(笑)、祖母が導いてくれた道ですので。死を意識したことで、これからはより好きなことをして、生きたいと思いましたし、私にできることがあれば、精いっぱい頑張っていきたいです」
きらり●1980年生まれ、東京都出身。子役として芸能活動を開始し、1998年、フジテレビ系ドラマ『GTO』で人気を博す。その後もテレビ番組やCMなどに出演し、1999年にはkirari名義で歌手デビューを果たす。2000年に日本での活動を休止。以降は拠点を海外へと移し、台湾のエンターテインメント業界でも活躍。
取材・文/植田沙羅
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