1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

「卵子だけは取っておいてと言いたい」44歳で第1子出産の元日テレ宮崎宣子アナに聞いた“妊活事情”

週刊女性PRIME / 2025年1月13日 13時0分

宮崎宣子さん 撮影/蒔田稔

 再婚後「後悔しないように」と始めた不妊治療で知った“年齢の壁”。自らリミットを決めて挑んだ、高齢での妊活を振り返って今、治療中の女性に伝えたいこと―。

若い方と一緒の方法ではもう間に合わないので、最短で最高確率の方法でお願いします、と先生にお伝えしました

 2023年、44歳で第1子となる男の子を出産した元日本テレビアナウンサー・宮崎宣子は、自身の不妊治療をこう振り返った。仕事のキャリアを優先するなど、さまざまな事情が影響して「妊娠」を考えるタイミングが遅くなり、高齢出産が珍しくない昨今。

41歳で再婚後に約2年ほど不妊治療を受ける

 不妊治療が保険適用になったり、企業が不妊治療中の休暇取得についての見直しを行うなど、妊活を取り巻く環境もここ何年かで激変している。仕事に邁進しつつ、子どもを授かった宮崎の“短期集中妊活”に、週刊女性の不妊治療記事でもおなじみ『西川婦人科内科クリニック』の西川吉伸院長が迫る─。

西川 40歳を超えてからの妊活ということですが、きっかけは何ですか?

宮崎 再婚ですね。41歳で再婚してから、約2年ほど不妊治療を受けました。

西川 初婚は32歳と聞きましたが、そのときは子どもが欲しいという気持ちは?

宮崎 私自身は早くに子どもをつくって、仕事に復帰したいとか思っていたんですが、当時、お付き合いから結婚までが早かったので、旦那さんが“もう少し2人の時間が欲しいな”って。

 子どもができたら子ども中心の生活になってしまうから、2人で旅行するような時間が欲しいと。確かにそういう考えもあるよね、ちょっと様子を見ようか、となったんです。

西川 そういう考えは一般的かもしれないですね。

宮崎 30代になったばかりだし、時間的な余裕もあると思うじゃないですか。いつでもいいかなという感じでした。

西川 特に仕事を優先して、とかではなかったんですね。

宮崎 そうですね。何も考えていませんでした(笑)。

西川 当時は妊娠適齢期というか、年齢を重ねると妊娠率が下がるといった知識はありました?

宮崎 なんとなく、年を重ねると難しくなるのだろうとは思っていました。でも、具体的な年齢などは調べたことはなかったですし、妊娠について自分の身体を検査するために、病院に行ったこともありませんでした。

西川 時代的にも、社会全般の妊娠についての意識はそのくらいのものです。ただ、ちょうど12~13年前から、不妊治療が盛んになってきて、高年齢になればなるほど妊娠しづらくなる、ということが啓発され始めたんです。

宮崎 35歳からが高齢出産になる、ということは聞いていました。

西川 妊活を始めるにあたって、35歳はひとつの“ライン”になりますね。この年齢あたりから卵子の質が落ち始めますから。離婚されたのが、まさに35歳ですよね?

宮崎 はい、そのくらいです。あのときは、そういう未来はないんだろうなと。これからは仕事に生きよう、という感じになりました。結婚=幸せとは限らないじゃないですか。

 これもひとつの生き方だな、って。私はたぶん、結婚生活に向いていないと思ったし、これからひとりで生きていくためのお金を貯めようって切り替えました。

西川 でも、結婚しなくても子どもは欲しいという方もいらっしゃいます。そういった考えもなかった?

宮崎 なかったんですよね。環境にもよると思います。私、宮崎県の出身なんですけど、地元では早く結婚して子どもがいて、というのが普通。でも東京だと独身を謳歌しているというか、ひとりを生き生きと楽しんでいる女性がいっぱいいるので、そんな中にいると寂しくないし、逆にすごく楽しくて(笑)。

 それに、東京で子育てするとお金がすごくかかるじゃないですか。お受験とか、いろいろな塾に通わせたりしてお母さんのストレスになったり。その上、ママ友とトラブルになることも、なんて話が聞こえてきたり。なら自分で稼いだお金を好きに使えるほうがいいや、って。30代後半はそんな思考になっていました。

奇跡以外に妊娠はあり得ないよね、と」

西川 そんなふうに考え出すと、少子化が進むわけだけど(笑)、再婚という道を選択されて。そこでやはり子どもが欲しいとなった?

宮崎 夫が私の10歳下なんですよ。出会ったときに私は40歳を超えていて、もう子どもができる可能性は少ないから、結婚は考えていませんでした。夫には2人で楽しく生きていくだけでいいし、子どもはいなくてもいいと言われていました。

西川 でも、妊活に取り組んだんですよね。

宮崎 そうなんです。再婚を決めたときが41歳。もうリミットをだいぶオーバーしていましたけど、ふと、1回目の結婚のときに子どもをつくるということをちゃんと考えなかったなと思って。

 夫と年を重ねて60歳、70歳になったとき“子どもをつくっていたらどうだったろう”と後悔だけはしたくないよね、という話になったんです。

西川 なるほど。

宮崎 41歳だからダメかもしれないけれど、トライしてダメなら納得はいくだろう。でも、何もしないで“あのときに~”なんて思いたくないよね、とお互いに話したんです。

宮崎 でも、いざ病院に行って妊娠についてのデータや資料を見せてもらったら……。41歳での妊娠・出産って本当に少なくて。これは奇跡以外に妊娠はあり得ないよね、と思いましたが、まあ、とりあえずやってみようよという感じでスタートしました。

西川 宮崎さんのように、女性のほうが年上というケースは、ものすごく増えています。あと、'22年の体外受精のデータを見ると治療件数が過去最多の54万3630件。その中でもピークは、42歳の4万6095件でした。

宮崎 それって、保険適用になった年ですよね。

西川 そうです。保険適用が43歳未満というラインがあるので、駆け込みで保険が使えたからです。宮崎さんは保険を使えました?

宮崎 私は保険適用にギリギリで間に合いませんでした。

西川 自由診療だと、お金がかかりましたね。

宮崎 はい。でも私には時間がなかったので、先生には“とにかく最短で”とお願いしたんです。

治療のために通っていた大学院を半年間休学

西川 じゃあ、初めから顕微授精も含めて体外受精から?

宮崎 そうです。先生からもタイミング法から入るという話は一切なかったですね(笑)。

西川 実際問題、時間をかけるということはお金もかけることと同じですからね。若い方なら不妊症と診断されてから検査をして、タイミング法を6回やって妊娠しなかったら人工授精を6回試して。

 それでもダメなら体外受精にという流れがあったけど、それだと時間がかかるし、まして年齢的に時間のない人は妊娠できる卵子の数もどんどんなくなってしまう。治療を始める際、病院はどうやって探しました?

宮崎 私の周りに40歳を超えてから妊娠した方がいて、その方からいろいろとアドバイスをもらいました。“あそこの病院は卵子を1回に1個しか取らない”“ここは一気に卵子を採取している”とか。

西川 身体に負担はかかるけど、1回の採取で、たくさん取られているクリニックもありますね。できるだけ卵子をたくさん取って、その中で質のいいものだけを残していくというのが、いちばんの近道だとは思います。

宮崎 私もそのやり方でしたけど、最初だけ数個取れて、その後に何回か採取しようとしたんですけど1個も取れなくて……。先生からはもう年齢的に無理だねと言われて。なので、取れた卵子で受精卵をつくって戻し始めました。それが43歳になってからですね。

西川 そこから凍結胚は何個できました?

宮崎 3つです。初めに1つ戻したんですけど、これがダメで。その後に残った2つをいっぺんに戻したんです。

西川 1回目でダメだったとわかったとき、焦りなどはありました?

宮崎 いえ、そこまで焦りはなかったんですが、体調が万全だったかというと自信がなかったんです。身体も冷やしてしまったし、安静にもしていなかったので、そのときは後悔が残りました。

 治療のことだけを考えていると、楽しくないというか……。ハッピーな気持ちで臨めないと、結果もよくならないのでは?と思うようになって。なので治療も2、3か月休んでもう1回とか。大学院にも行っていたので、半年間休学しました。

西川 治療を休んでいた間、何か妊娠するために行っていたことはありますか?

宮崎 鍼を打ったり、漢方を飲んだりしました。でも効果があったのかはわからないですね。なんというか、人の弱みにつけ込んでくる、というと言いすぎかもしれませんけど“3か月通えば絶対にいい卵子が採れるから”みたいなことを言われました。

西川 それで結果が出た方もおられるとは思いますけどね(笑)。

宮崎 そうですね。なので、何でもいいから藁をもつかむ気持ちで、とりあえず後悔しないようにやってはみましたけど、私は結果に結びつきませんでした。あと、腸が硬くて便秘ぎみだったから腸のマッサージもしました。これは2時間マッサージしてもらってお腹が柔らかくなり、身体が温かくなった実感がありました。

 最後の移植前は、毎日カイロを身体の前後に2つずつ貼って、靴下も4枚はいて。身体を冷やさないよう、雪だるま状態でした(笑)。

治療に夫が同席する率は80%

西川 もうこれが最後、という気持ちだったんですね。

宮崎 そうです。もう凍結胚もないわけだし、ここまでやったんだからと、移植の前日に夫とお寿司屋さんでたらふく食べました。“今まで頑張った分の打ち上げだ!”って(笑)。

西川 旦那さんも治療には協力的だったみたいですね。

宮崎 診察には毎回、同席してくれました。

西川 最近は夫婦ご一緒というカップルが増えました。私のクリニックでも、昔は80%の旦那さんが来なかったけど、今は同席する旦那さんが80%ですから。

宮崎 待合室も結構、夫婦でいらっしゃっている方が多いですよね。私の夫も不妊検査を受けて、問題なかったから“先へ進もう”って。

西川 検査結果がよくなくても、気にしなかった?

宮崎 すごくあっけらかんとしていて(笑)。“ダメだったのなら少し休もう”とか“ちょっと旅行でもしよう”と言ってくれたり。

 これで最後、と決めたのも“もともと2人で楽しく暮らそうと結婚したのだから、子どもができなくてもそれでいいじゃん”と言ってくれて。すごく気持ち的に楽でした。

西川 息子さんを授かった今はどんな感じですか?

宮崎 ずっと面倒を見てくれています。保育園には預けないで、自分がすべてやる、って(笑)。

西川 いい旦那さんですね(笑)。宮崎さんは高齢出産でいい結果が出ましたけど、もし、治療を始めたころの41歳の自分にアドバイスできるとしたら、どんな言葉を送りますか?

宮崎 41歳のスタート前の私には、とりあえず忙しすぎるとうまくいかないから、楽しみながらゆっくり時間をつくってと。31歳の私には、今後本当に苦労するから卵子だけは取っておきなさい。ですね。今、通っている大学院の同級生が半分は外国人なんですけど、中国人の女の子は30歳のときに、卵子を取って保存しておきなさいと親に言われたそうです。

 私の親は、不妊治療をすることに対して“そんなことをしなければ子どもができないの?”という考え。昭和の考えですよね。海外の人たちは仕事が忙しくて子どもを産まないなら、若いときに卵子だけ取っておきなさい、とお金を出してくれるというんですから。

西川 卵子も取っておくなら若い卵子じゃないとダメ。30歳でなら1回の採卵でいい卵子がたくさん取れる確率が高いですから。

宮崎 そうですよね。本当に私も友達に言ってます。今は自治体からも補助金が出るし、年間数万円で冷凍保存できる。

 パートナーを見つけるのが遅くても、質のいい卵子さえあれば妊娠する確率はグッと上がるよ、って。

西川 今は『社会的適応』といって卵子を保存することが認められていますから。保険は利かないけど自治体や企業が補助金を出してくれるようにもなったしね。

宮崎 働く女性にはいい制度ができていますよね。不妊治療は“またダメだった”“どうしてうまくいかないの”と自分を追い込みがちだけど今、頑張っている方には日々を楽しく送ってほしい。

 子どもだけが自分を幸せにしてくれるわけではないのだから、いちばん大切なのは自分自身だということを忘れないでほしいなと思います。

取材・文・撮影/蒔田 稔

西川吉伸 西川婦人科内科クリニック院長。医学博士。医療法人西恵会理事、日本産科婦人科学会専門医、日本生殖医学会会員、日本受精着床学会会員、大阪産婦人科医会代議員ほか。

宮崎宣子 元日本テレビアナウンサー。'12年に同社を退社、フリーアナウンサーに。'18年、自身がプロデュースするハーブの会社『EMARA』を設立、代表を務める。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください