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「寝返りすると強烈な違和感」がんで子宮と卵巣を摘出した紅白歌手が語る“臓器が移動する感覚”

週刊女性PRIME / 2025年1月25日 17時0分

藤あや子から贈られたパジャマを着て、手術後に病室で撮影した一枚(市川由紀乃本人提供)

『命咲かせて』『心かさねて』などのヒット曲に恵まれ、NHK紅白歌合戦出場、日本レコード大賞「最優秀歌唱賞」受賞、と着実に演歌歌手として歩みを進めてきた市川由紀乃。昨年7月に卵巣がんの告知を受け、以来半年間にわたり過酷な闘病を続けてきた。昨年末に治療が一段落し、活動再開も目前だ。どんな思いで病や治療と向き合ってきたのか話を聞いた。

病気がわかる1年前ごろから生理不順、不正出血、腰痛、鼻血などの症状が起こるように。でも50代を目前に、女性特有の体調の変化が起きているだけと思い込んでいました。今思うと病気が見つかり仕事がストップしたら……と恐れて、見て見ぬふりをしていたのかもしれません

見て見ぬふりをした身体からのSOS

 昨年の春になって、歌謡界の大先輩である由紀さおり(78)に、不調について相談した。

「すると、すぐにでも検査を受けたほうがいいと、婦人科の先生を紹介してくださったんです。私は病院が苦手でめったに行かないので、あの時の由紀さんの言葉がなかったら発見はもっと遅れていたはずです」

 5月末に血液検査とMRIを受けるとすぐに病院から連絡があり、卵巣腫瘍の疑いがあるから病院に来るよう言われる。

「婦人科の先生から、腫瘍は悪性の確率が高く、手術が必要になるから仕事はすべてストップするように言われて。それを聞いて自分のことよりも先に、たくさんの方に迷惑をかけてしまうと思い苦しかった。7月には松平健さんの記念公演の出演も予定していたので、関係者のみなさまには申し訳なくて言葉が出てきませんでした」

 6月初旬には大学病院で精密検査を受け、右の卵巣に腫瘍があることが判明。6月7日には休業を発表し、7月の中旬に手術入院が決まった。手術前の説明で、卵巣だけでなく子宮とリンパや腹膜などの周辺組織まで切除する可能性があると告げられる。手術の結果、腫瘍は悪性だったものの卵巣内でとどまっておりステージは1だったが、再発防止のため女性の臓器をすべて失うことに。

「説明を受けた時は女性として強い抵抗を感じましたが、がんに勝つにはやらなきゃだめだ、とその場で決心しました。でも手術は初めてだったのでとても怖くて……。同じ病気で闘病中の方のブログを読んだり、芸能界で病気と闘っている先輩方の姿から力をもらったりしながら、自分も乗り越えられると言い聞かせました。

 由紀さんに伝えるため、電話をしたら泣けてきてしまって。すると『何泣いてるの。これから病気と闘うんだからしっかりしなくちゃ!』と愛情のこもったお叱りをもらい、すごく励まされました。それから手術までは、病気に勝つんだという強い気持ちで過ごせたんです」

術後の強烈な痛みで心身ともにボロボロに

 開腹手術は6時間に及んだ。術後に意識が戻ると集中治療室のベッドの上だった。

自分は覚えてないのですが目覚めて、すぐ母に『もう手術はしない?』と確認したそうです。本当に怖かったんですね(笑)。もう一度目覚めると身体が何かに包まれていて、火傷するのではないかと思うほど熱くて。下腹部の痛みがとにかく強く、何度もナースコールを押して痛み止めの点滴を打ってもらいました。翌日、看護師さんから病室まで歩いて戻ってくださいと言われましたが、痛みで起き上がることもできず。人の手を借りないと、移動も排泄もできないことがすごく悔しくて……。こんなにつらいものかと、術前に持っていた心の強さはすっかり消えてしまいました」

 2週間の入院中は痛みと闘いながら、懸命にリハビリに励んだ。

「退院後も痛みは取れず、坂道や階段では自分の力だけじゃ歩けなくて。自宅のベッドでも手すりがないと起き上がれないので、つかまり棒を購入して自作の手すりを設置しました。今も手すりは欠かせませんし、寝返りをうつと強烈な違和感が。子宮や卵巣があった場所に別の臓器が移動しているような感覚で、いまだに右向きには寝られません

 退院後は再発予防で抗がん剤治療を行うことが決まり、8月から5か月間、3週間おきに計6回の治療が続いた。

「1回目の治療では身体が締めつけられるように苦しくなって。でも徐々に慣れていき、点滴中はマイクを持つ手に痺れが残らないよう毎回凍らせた手袋をつけて治療を受けました。治療後1週間は味覚障害で何を食べてもしょっぱく感じて。気持ち悪さや食欲低下にも悩まされ、その期間はお粥を食べていました」

 しかし一番つらかったのは副作用による脱毛だった。

「治療前にすべての体毛を失うと説明は受けていましたが……。演歌歌手はお着物ももちろんですが、髪形も命。楽曲の世界観に合わせて毎回試行錯誤していて、お客様も楽しみにしてくださっていたので髪を失うのが怖かった。でもこのままじゃだめだと思い、美容院でベリーショートにしてもらいました。

 排水口や櫛についた抜け毛を見た時に、短いほうが受け入れられると思ったんです。それからウィッグや帽子も数種類購入。先生から、治療後にまた元気な毛が生えるからこの期間を楽しんでと言われ、少し気が楽になりましたね

支えてくれた演歌歌謡界の諸先輩方

 12月には最後の抗がん剤治療を終え、本格復帰を目指すところまできた。

「少しずつ身体が元気になって、朝起きた時に今日も生きられて幸せだと思うようになったんです。つらい治療を乗り越えられたのは演歌歌謡界の諸先輩方と母のおかげ。由紀さんは病気を治すきっかけを下さっただけでなく、絶望しかけた時に何度も勇気と希望を与えてくれた命の恩人。

 また、同じ女性特有のがんを経験された藤あや子さんは『自分が入院した時に着ていたパジャマで由紀乃ちゃんも闘病を乗り越えて』とパジャマを送ってくださって。他にも小林幸子さん、坂本冬美さんなどたくさんの諸先輩方から贈り物や温かいメッセージをいただき、本当に感謝しています。

 そして何より、ファンのみなさんからの心温まる励ましの言葉に、何度助けられたことか……。お手紙やメッセージなどもたくさんいただき、中には千羽鶴も。ファンのみなさんからの贈り物も、病室に持ち込んで勇気をいただいていました」

 治療中は母親がそばで気丈に支えてくれた。

「時には笑わせてくれる明るい母に何度も救われました。でも最後の抗がん剤治療が終わった時、初めて涙を流しているのを見てとても驚き、心配をかけてしまったと思いました。親一人子一人なので母より長生きすることが自分の使命。今回のことで定期検診の大切さを実感しました」

 今年から徐々に仕事を再開していく予定。本格復帰に向け、準備を進めている。

「術後はお腹に力を入れるだけでも痛くて、声を出すのが怖かった。今は少しずつ痛みも和らいできたので発声練習も再開しました。音程が不安定になったり思いどおりにいかないこともありますが、復帰に向けて特訓中。今回の経験はいい歌を歌うために必要なことだったと思えるように歌っていきたい。病気で感じた気持ちや感謝を糧に、これからもっと歌に魂を込めてみなさんに届けていきます」


取材・文/井上真規子 撮影/山田智絵

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