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神戸・東灘の街を見守り続けた「菊正宗」鉄塔看板、71年の歴史に幕 「時代ですかねえ」「寂しい!」と惜しむ声

Jタウンネット / 2025年1月12日 17時0分

神戸・東灘の街を見守り続けた「菊正宗」鉄塔看板、71年の歴史に幕 「時代ですかねえ」「寂しい!」と惜しむ声

街とは、変わり続けるものだ。

そう理解してはいても、シンボル的な存在がなくなってしまうのは寂しいものである。

2024年12月17日、日本酒メーカー大手・菊正宗酒造(本社:神戸市東灘区)が公式Xアカウント(@kikumasa_kimoto)で、こんな報告を投稿した。

菊正宗のシンボル『菊正宗鉄塔看板』。
安全性を考慮して撤去することになりました。
1953年12月から約70年、みなさまありがとうございました。

地元民にはお馴染みの光景を捉えた写真を添えたポストには、2万8000件を超える「いいね」のほか、看板の撤去を惜しむ声が続々と寄せられた。

「阪神電車から、菊正宗の鉄塔看板を見る風景が好きでした」
「かつて近くに住んでいました。私にとって懐かしい看板です。ずっと目印にしていました」


「シンボルがなくなるのは寂しいです」
「マジすか!!! 時代ですかねえ...」
「70年間お疲れ様でした」
「震災にもよく耐えました お疲れ様でした」

多くの人々にこの看板が親しまれていたのだと分かる反響だ。

今、菊正宗酒造の思いは? Jタウンネット記者が取材した。

鉄塔看板が「皆様の生活の一部」だったと痛感

撤去されたのは、兵庫県神戸市東灘区魚崎西町にあった「菊正宗酒造㈱4番蔵屋上広告塔」だ。地上高さ48メートル、鉄塔単体25メートル。竣工したのは、1953月12月。今から70年以上も前のことだ。

Jタウンネットの取材に応じたのは、菊正宗酒造営業統括部マーケティング課の担当者だった。

まず、鉄塔看板撤去は、いつ、どんなきっかけで決まったのか? その経緯を尋ねた。

「最終的に撤去が確定したのは、2024年10月です。ただそれまでに撤去するかどうかの議論は進んでおりました。きっかけとしては、当時の法令に基づき適切に設置していたが、昨今の異常気象の影響もあり、安全性を考慮して撤去するに至りました」(菊正宗酒造担当者)

「安全性」がやはり一番の要因だった。撤去工事は速やかに進み、25年1月7日時点では「ネオン看板」はすべて撤去され、土台のみとなっているという。

そして、この場所に新たなシンボルを作る計画はない。

「安全性を考慮して撤去に至りましたので、看板に替わって、新たに宣伝物は設置いたしません」と担当者。

きっとこれからしばらくの間、「寂しくなった」と感じる人々も多いはずだ。

撤去の報告に大きな反響があったことについて、担当者が「ここまで皆様の記憶に残っていたことをうれしく思います。皆様の生活の一部として、この鉄塔看板が残っていたことを強く感じることができました」と述べる。

「70年以上の長きにわたり、皆様に親しまれてきましたので、撤去自体は寂しい気持ちではありますが、より一層酒造りに邁進していき、今以上に皆様に親しまれるよう努力していきたいと思います」(菊正宗酒造担当者)

改めて、Xに届いた惜別の声を覗いてみよう。

「マグロの刺身を切るCM憶えてます。練習したけど一升瓶風呂敷で包むのができない」
「取り外した文字を一面だけでも残しておいてもらいたいなぁ。一文字だけでも」
「やっぱり 俺は~あ~あ~あ~ 菊正宗~。寂しい!」

TVで流れていたCMを未だに覚えているという人は、驚くほど多い。そこには「昭和」の香りが色濃く残っているようだ。

ところで、中には「お酒は飲めませんがクレンジングオイル使わせていただいております お肌絶好調です」というリプライもあった。

そう、菊正宗酒造は今や化粧品メーカーでもあるのだ。

街が変わり、時代も変わっている。今は鉄塔の不在が寂しいが、菊正宗はきっとこれからも、いろんな方法で存在感を示し続けるのだろう。

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