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【やまゆり園事件8年】美帆さん母の変わらぬ悲しみ、募る疑問 本当に分かっているのは「娘に二度と会えないこと」

カナロコ by 神奈川新聞 / 2024年7月26日 5時0分

中学1年の時の美帆さんの写真を手にする母親=神奈川県内

 相模原市緑区の神奈川県立知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺害され、職員を含む26人がけがを負った事件から26日で8年になる。「1分でも1秒でもいいから会いたい。お化けでも、幽霊でもいい」。犠牲となった美帆さん=当時(19)=の母親(60)は変わらぬ悲しみを抱えながら、「彼女の命を無駄にしたくない」と言葉を継ぐ。

 3歳で自閉症と診断された美帆さんは、人懐っこく、やりたいことに一途だった。「言葉はないけど、好きな人にはするーっと腕を組んでしまう人」。そう目を細めて娘を語る母親が、あの夏の面会を思い返した時、涙をにじませた。

◆あの夏、2日前の記憶

 その日は、園付近の山頂の観覧車が見える美帆さんの部屋で、1990年代のテレビドラマの主題歌を聴いた。「ラブ・ストーリーは突然に」「碧いうさぎ」「空と君のあいだに」…。美帆さんは感触が好きなタオルケットを手でしわくちゃにしながら、体を揺らして踊った。

 楽しい予定が盛りだくさんの夏だった。翌週は納涼祭があり、花火をして、その次の週には2泊3日で実家に帰宅し、大好きなプールへ行って-。

 「またすぐ来るからね」と手を振ると、腰の辺りで手をひらひらさせる「バイバイ」を返した美帆さん。ショートカットの髪は、成人の晴れ着に合わせて伸ばすつもりだった。

 2日後の未明、園の元職員だった植松聖死刑囚による凶行の犠牲となった。

◆裁判は「量刑決めるだけ」

 1年後の夏に園内が報道公開され、見慣れた部屋がテレビで流れた時の気持ちは言葉にならない。「障害者は不幸をつくることしかできない」と言い放った植松死刑囚は美帆さんの入所前に退職しており、きっと名前も顔も知らないまま命を奪ったに違いない。

 3年半後、匿名で審理される予定だった裁判員裁判の初公判を前に娘の名前と写真を公表したのは、「美帆」というかけがえのない一人の人間が生きた証しを残したかったから。今も後悔はない。

 裁判は「量刑を決めるだけで、あの人がどうしてあんな思考になったのか分からないまま終わってしまった」と感じた。植松死刑囚からの謝罪や手紙もない。疑問はむしろ募っていく。「本当に分かっていることは、娘にもう二度と会えないということ。死刑が執行されても、私が娘に会えることはない」

◆事件の風化と今、伝えたいこと

 一方で、事故や災害で大切な人を失った遺族との交流や支えてくれる人たちの存在に励まされてきた。今は「残りの人生は恩返ししていこう。私ができることならやろう」と思うようになり、講演や取材に応じる。不幸ではなく、幸せをくれた美帆さんについて語ることで植松死刑囚の言葉を否定し、「勝手に奪っていい命など一つもない」と訴える。

 県内で暮らす中で、事件の風化も感じている。障害者施設での虐待のニュースは絶えず、事件を生んだ社会は教訓を得られていないのではないかという思いもよぎる。だから今、こう伝えたい。「悲しい事件だけれど、忘れないでいて。胸に刻んで、二度と起きないようにするにはどうしたらいいのかを、考えてほしい」

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