伝説のスーパーバンド 「日本語対英語」でメンバー間意見対立した

太田出版ケトルニュース / 2014年3月3日 9時51分

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現在発売中の雑誌「ケトル」は、特集のテーマとして“大瀧詠一”をピックアップ。「大瀧詠一『モノ』図鑑」「大瀧詠一のCMソング」「著名人が語る大瀧詠一」など、彼にまつわる様々な情報を紹介している。今回取り上げるのは、大瀧詠一が在籍した伝説のグループ「はっぴいえんど」について。日本語ロックの創始者として語られることも多い「はっぴいえんど」ですが、そこに至るまでには紆余曲折がありました。

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日本のロック&ポップス史をひもとく上で絶対にはずせない「はっぴいえんど」は、細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂というメンバーで1970年にデビューしたバンド。彼ら以前にもロックを日本語で歌うバンドは存在しましたが、当時はまだ「ロックは英語で歌うもの」と考える人も多く、ロックミュージックに日本語詞をのせるというのは、エポックメイキングな試みでした。

この試みを首謀したのは細野でした。ビートルズを始めとするイギリスのバンドは、アメリカの音楽をルーツに試行錯誤の末、イギリス特有のロックを生み出しましたが、細野はそれにならい、ロックを日本に土着させるための実験に挑戦。当時、メンバーが愛聴していたバッファロー・スプリングフィールドやモビー・グレープといったアメリカのバンドを下敷きに、日本語ロックの確立を目指しました。

この試みが日本のポピュラー音楽に多大な影響をもたらしたことは言うまでもありませんが、実は“日本語で歌う”というコンセプトに対し、大瀧は反対だったそうで、

「だって日本語は難しいもん、ノリが悪いから。なんとかのせたんだよ、頑張って。日本語はロックにのらないとか言われるけど、そんなのあたり前だって腹のなかでは思ってた」(クイックジャパンVol.65)

と、思っていたのだとか。松本が「日本語のほうが絶対いい」と断言して、日本語詞で歌うことになった「はっぴいえんど」は、「歌詞が聞き取れない」「変な歌」との批判も寄せられ、当時はあまり広く受け入れられませんでしたが、その後、松本は作詞家として活躍。細野と鈴木はプロデューサーチームを結成し、荒井由実らをサポートしながらソロ作を発表。大瀧はソロ活動とともに、山下達郎率いるシュガーベイブをプロデュースして世に送り出すなど、「はっぴいえんど」は間違いなく日本ポピュラーミュージック史に大きな足跡を残しています。

◆ケトル VOL.17(2014年2月15日発売)

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