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「笑って国に殉じる」熊本からの特攻隊「義烈空挺隊」見送った女性の思いが込められた仏像をゆかりの地に

KKT熊本県民テレビ / 2024年11月15日 19時46分

KKT熊本県民テレビ

太平洋戦争末期、熊本市から飛び立った特攻隊「義烈空挺隊」のゆかりの仏像を移設・保存しようと、募金活動が行われています。仏像には、特攻隊員を見送ったある女性の思いが込められています。

銭湯「観音湯」の敷地にある普賢菩薩像

熊本市中央区黒髪にあった銭湯「観音湯」。20年ほど前に廃業しましたが、敷地の一角には、今も普賢菩薩像が残されています。この仏像こそ、義烈空挺隊の隊員の冥福を願って建てられたものです。

義烈空挺隊は占領された沖縄の飛行場攻撃のために編成された特攻隊

義烈空挺隊は、アメリカ軍に占領された沖縄の飛行場を攻撃するために編成された特攻隊で、隊員は出撃までの2週間ほどを熊本市の健軍飛行場で過ごしました。

このうち谷川鉄男曹長ら5人は、よく連れ立って黒髪にあった銭湯に通いました。

隊員は出撃までの2週間ほどを健軍飛行場で過ごした

このことは「帰らぬ空挺部隊」という本に書き残されています。

「毎日激しい訓練を積み、疲れを癒すのは入浴だった。滑走路を横切って飛行場の兵舎まで行けば浴場があったが、手狭なため町の浴場に行く者が多かった。(中略)五人は、よく連れだって市内黒髪町の銭湯に行った。(中略)銭湯の女主人・堤ハツさんは、(中略)五人には、何か心引かれるものがあったのだろう。茶を御馳走し繕いものも引き受けてくれたりした。」(「帰らぬ空挺部隊」より)

「帰らぬ空挺部隊」(田中賢一著・原書房)

しかし別れは突然やってきました。

「このようなことが十回ばかり続いた後ある日、五人は(中略)最上装の軍服に身を固め、この家の玄関に立った。『小母さん、いろいろお世話になりました。今から出発します。この金は私共にはもう使い途がなくなりましたから』谷川曹長が代表してこのように述べ、金一封を差し出した」(「帰らぬ空挺部隊」より

義烈空挺隊は1945年5月24日に出撃し113人が戦死

義烈空挺隊は、終戦3か月前の1945年5月24日に出撃しました。隊員14人ずつを乗せた12機のうち4機が故障のため引き返し、残る8機が突入。そして突入した8機の搭乗員は全員死亡し、この作戦で引き返していた機の1人を含む113人が戦死しました。

銭湯の女主人 堤ハツさん

作戦の後、ハツさんに届いた手紙。

「待機中の私達も、愈々(いよいよ)最後の任務に向かい突進致します。私達にいつも御親切に慰めて下さったおばさんの気持ちには感謝のほかはありません。私達も笑って嵐に向かい、笑って元気一杯に戦い、笑って国に殉じ、笑って皆様の御期待に報ゆる覚悟です。愛機南へ飛ぶ。乱筆にてさようなら。谷川鉄男」(「帰らぬ空挺部隊」より)

隊員が置いて行った金を元手にハツさんが建てた普賢菩薩像

後日、義烈空挺隊のことを新聞で知ったハツさんは、隊員が置いて行った金75円を元手にして普賢菩薩像を建て、お参りを欠かしませんでした。

銭湯は約20年前に廃業 慰霊の仏像は…

ハツさんは1979年に亡くなり、銭湯は20年ほど前に廃業しました。普賢菩薩像には史実を知る人が時々お参りに来ていましたが、地域の人たちからは、このまま朽ち果てるのではないかと心配されていました。

菊池飛行場ミュージアム 永田昭館長

空挺隊の史実を調べている菊池飛行場ミュージアム館長の永田昭さんは、像の存在を知ると、移設・保存できないかと考えました。

■菊池飛行場ミュージアム 永田昭館長

「やっぱりそういう事実が地元にきちんとあったということをしっかり検証できる資料になりますので、ぜひ形として残したいというところですね。記録だけじゃなくて、やっぱり物として残す価値があると思っています」

ハツさんの孫 堤裕倫さん

ハツさんの孫の堤裕倫さんを探し出すと、じつは裕倫さんも、像が自分の代で失われることを心配していました。裕倫さんもハツさんから戦時中の話を聞いていたのです。

堤ハツさんと裕倫さん

■ハツさんの孫 堤裕倫さん

「義烈空挺隊の話は、よく小さい頃は聞かされていました。将来、どうにかしないといけないとは思ってますけど、『とりあえず先にこの碑と像を移さないと』とずっと思ってたいんですよ」

裕倫さんから同意を得た永田さんは、移設先として空挺隊ゆかりの地であり、皆がお参りできる場所を探しました。

■菊池飛行場ミュージアム 永田昭館長

「出撃の地が健軍飛行場といいまして、今の日赤の辺りなんですけど、あの周辺は今は住宅地で全くそういう痕跡が残っていないので、やっぱり出撃の地に何か形になるものはできないかと考えている中で、きちんとしたお寺とか神社に持っていくのがいいんじゃないかと思ったところです」

軍装検査を受けている写真の背景に立田山

空挺隊員が集合して軍装検査を受けている写真の背景には立田山が見えます。

■昔の立田山を知る人

「ほんと禿山だったけんね。昔ははげ山だった。木が無かった。戦争の時に切ってしまった。そして燃やした」

■菊池飛行場ミュージアム 永田昭館長

「なんで?」

■昔の立田山を知る人

「薪代わりに」

義烈空挺隊の出撃地付近にある寺に移設へ

永田さんは、この写真が撮られた地が、現在の東区保田窪にある寺・浄圓寺の付近であることを割り出し、住職から境内への移設の快諾を得ました。

浄圓寺 呼野淳住職

■浄圓寺 呼野淳住職

「来年ちょうど戦後80年という年、節目でもありますし、そういう悲しい思いをされた方々のご家族もいなくなったり、話を残していく方がいなくなったりする中、そういうつながりを大事に、遺族の人も分からない中探して、大切に残していこうとしていることに感銘して賛同しました」

■ハツさんの孫 堤裕倫さん

「これを機会に、もっと広く義烈空挺隊のことも知っていただいて、今後もお参りしていただければと思っています」

作戦から80年となる来年5月の移設を目指し、費用の80万円ほどを集める募金活動がおこなわれています。

【スタジオ】

(永島由菜キャスター)

熊本県内の人でも、義烈空挺隊のことを知らない人は少なくありませんよね。

(緒方太郎キャスター)

当時の健軍飛行場周辺に、そのことを示す遺物などはほとんど残されていませんし、毎年の義烈空挺隊の慰霊祭も陸上自衛隊健軍駐屯地の中で行われ、一般の人は参列が難しいのが実情です。戦時中、ここに飛行場があって、特攻隊が出撃したことがわかり、お参りできる場所をつくることは意味があると思います。

募金の振込先です。

【銀行から】

 ゆうちょ銀行 支店179 当座預金 口座番号146389 口座名「菊池飛行場ミュージアム賛助会」

【ゆうちょ銀行から】

 01700-4-146389

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