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東日本大震災・大川小学校の悲劇を繰り返さないために by渋井哲也

TABLO / 2013年12月29日 11時20分

東日本大震災・大川小学校の悲劇を繰り返さないために by渋井哲也

 東日本大震災で児童74人、教職員10が死亡・行方不明となった宮城県石巻市の大川小学校事故検証委員会は12月22日、当日の避難行動や事後対応について議論した。これまでの調査結果から「避難の意思決定をした時点では、大きく切迫した津波流来の危険性を感じていたわけではなく、むしろ念のために避難を決定した」と分析した。

 「当日の避難行動に関する分析」によると、地震の後、校庭で二次避難をしている間、教職員による災害情報の収集は受け身の姿勢・待ちの姿勢で、自らが積極的に情報を集めに行くという姿勢が十分ではなかった、とした。

 学校内で教職員がラジオを聞いていたかどうかは不明で、聞いていたという証言と、聞いていないとする相反する証言が併記された。地域住民が持っていたラジオか、校舎内から持ち出したラジオか、なんらかの方法でラジオの災害情報を得てはいたと推定した。しかし、学校の周辺情報について、積極的に収集していたとの証言はない。

 なぜ十分ではなかったのか。調査委では二つの可能性を示している。一つは、地震の規模が大きく、余震が続いていたため、動揺する児童を落ち着かせていたこと、もう一つは、教職員13人中、校長を含む2人が不在で、特に校長が不在だったことが影響した可能性がある、だった。

 ただし、教職員の間で何が話し合われたのかは正確にはわかっていない。生存したのは震災当時学校にいなかった校長と用務員、また、山に逃げることができた教諭一人だけだ。生存教諭は、地震後の避難場所になり得るかどうかなどで、校舎内を見回っており、教頭や他の教員がどのような話し合いをしたのかを聞いていない。そのため、生存した児童や当時校庭に来ていた地域住民や保護者の証言を総合的に判断するしかない。

 また、生存教員の証言がぶれていることも影響している。今回の検証作業でも、調査委員は直接質問をしていない。精神状態が不安定なため、主治医の判断により、質問紙を提出し、それに答えるという方法だった。そのため、詳細な証言は得られていない。震災直後に、明らかに事実と異なる証言もしているが、なぜ、そうした証言をしたのかもわかっていない。

 生存教員と校長は、震災後、何度か連絡を取り合っている。携帯電話のメールでもやりとりがあった。震災4日後の3月15日に、生存教員からのメールは「1名しか助けられず、大川小学校は潰滅状態、生存児童20名程度」だったと、校長は記憶しているが、退職時にデータを削除したといいます。

 このメールの他にもやりとりがあるが、すべて削除済み。私は正確さのためには、「データ復旧はできないか?」と記者会見で質問をした。しかし、「そこまでの調査権限がない」などと、あくまでも信頼関係を前提にした調査で、そこまでは依頼できないなどのとの回答だった。

 調査委に協力的ではない児童や保護者、地域住民もいる。それは、「調査」名目で市教委が聞き取りをしたところ、録音せずに、聞き取った際の手書きメモを破棄した上、話したことの一部しか記録上残っていないからだ。そのため、直接的な証言を得ることには限界がある。しかし、検証委だからこそできる調査があるだろう。細かい話だが、メールのデータ復旧もその一つ。粘り強く協力を申し出てほしい。

Written by 渋井哲也

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