秋葉原通り魔事件の加藤死刑囚が見た風景 常に満たされない“何か”が心を蝕んでいったのか|八木澤高明
TABLO / 2019年5月13日 11時39分
青森市内の閑静な住宅街の中にある加藤の実家は大通りに面し、すぐ側を八甲田山から青森湾に注ぐ清らかな川が流れている。銀行員の両親と暮らし、県下有数の進学校に通い、加藤死刑囚も両親もすべてが順調に日々の生活を営んでいた筈だった。近所の人にも話を聞いてみたが、誰もがどうしてあんな事件を起こしたのかと首を傾げた。
しかし、加藤死刑囚の心の中には、常に満たされない思いが溢れていたのだろう。人間が他人に見せている姿というのは、多面体のうちのひとつにすぎない。
高校入学後、成績が下降線を辿った加藤死刑囚は大学進学を諦めた。自動車に興味を持っていたこともあり岐阜県内にある自動車整備を学ぶ短大に進学する。短大卒業後に仙台市内で警備員、茨城県内で自動車工場など非正規の仕事を転々とした。事件を起こす直前まで働いていたのもトヨタ自動車の製造工場の期間工だった。
東名高速を都心から二時間ほど車で走ると、富士山を真近に眺めることができる裾野インターに着く。私が訪ねた日、雪をかぶった富士山が青空をバックに聳えていた。
インターを降りて数分で加藤死刑囚が働いていた工場が見えてくる。この工場では大衆車から最高級車まで様々な車種の車が作られているが、最高級車が作られるラインは、資格を持った者だけが受け持ち、彼のような期間工は大衆車を作るラインを任されていた。
工場内における目に見える格差も心の中に暗い影を落としていたのではないか。
工場から更に車を十分ほど走らせると、暮らしていたマンションがある。派遣会社が借り上げていて、そのマンションから日々工場へと通っていた。加藤死刑囚が暮らしていた部屋には、既に他の期間工が入居しているのだろう。郵便ポストには、宅配ピザのチラシが挟まれ、部屋の電気のメーターがゆっくりと回っていた。部屋のある階の廊下からは富士山がきれいに見えた。雄大な富士の眺めも、日々の生活に不満を募らせていた加藤死刑囚にはまったく目に入らなかったかもしれない。
日々車を作り続ける単調な労働、どの部屋も画一的な造りのマンション、ひとりの労働者がいなくなっても、常にどこからか人を補充して、工場は稼働を続けている。このマンションにも常に労働者がやって来て、皆と同じような日々を送る。
正しく、加藤被告と同郷のルポライター鎌田慧が何十年も前に記した『自動車絶望工場』と同じ世界が今も存在し続けている。
鎌田慧は日々の労働の中から秀逸なルポを編み上げたが、加藤死刑囚は更なる絶望の深みの中へと沈んでしまった。すべての責任は己の行動から発しているのだが、彼は工場の歯車でしかない自分の姿に対して、不満を募らせ続けていた。
加藤死刑囚は時に、期間工の友人たちを伴って事件を起こした秋葉原へと足を運んだこともあったという。非日常的ともいえるメイドカフェの空間は、彼にとって重い日常を忘れさせてくれる唯一の場所だったのかもしれない。
気軽に踏み込める空間であった秋葉原、それ故に事件を起こす場所は、新宿でも渋谷でも池袋でもなかった。工場を辞め事件を起こそうと決意した時、彼は己にかかわる全てのものを壊したかったのだと思う。
裾野市を後にして、あの日トラックで秋葉原へと向かった東名高速を私も走っていた。どんな思いでハンドルを握りしめていたのか、途中で思いとどまるという選択肢はなかったのか、あの日もくっきりとした青空が広がり、左手には富士山が見えていたことだろう。
しかし加藤死刑囚の目には富士山も何も映っていなかったことだろう。この東名高速は秋葉原の交差点へと真っ直ぐに繋がっていた。(取材・文◎八木澤高明)
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