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ゴースト作曲家・新垣隆氏の封印された壮絶な経歴...夜逃げ、露天商、妻が重病説も

TABLO / 2014年2月7日 10時40分

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「被爆二世」で「全聾の作曲家」と聴力を失った不遇の状況ながらも作曲家として優れた交響曲を発表、そのため「現代のベートーヴェン」と高い賞賛を得てきた佐村河内守氏(さむらごうち・まもる=50)。これまでの作曲が彼自身の手によるものではなかったとゴーストライター新垣隆氏(43)に告発され大きな騒動となっているのは既報の通りだ。

 インターネット上では佐村河内守氏ではなく、ゴーストライターとして従事していた新垣隆氏に対する注目度が何故か急速に増している。それというのも今回の騒動に前後して新垣隆氏のWikipediaに書き込まれた真偽不明の「経歴」情報が波瀾万丈過ぎたためだ。

※以下Wikipedia差分参照(現在は削除済み)

青森県下北郡大間町生まれ。幼少期は津軽海峡をはさんで函館山、恵山岬を見て過ごす。家業はマグロの一本釣りであったという。不安定な生活に嫌気のさした両親に連れられ、夜逃げのようにして故郷を捨てる事となったことは、後の新垣の音楽性に大きく影響している。

上野に着き、浅草で露天商を営むが、業績のあまりに低いことから廃業して親戚のつてを頼り葛西へ移住。

成績は中の下であったというが、音楽だけは常にトップの成績であったことから、将来は音楽によって恵まれない人々に希望を与えていこうと決意したと伝えられる。千葉県立幕張西高等学校音楽科、桐朋学園大学音楽学部作曲科卒業。作曲を三善晃、南聡、中川俊郎、ピアノを森安耀子に師事。 

転機は、1996年ごろ、佐村河内守と出会ったことであった。

当時新垣の妻千恵子は結核に冒され、新垣の薄給では薬餌代が賄えなかった。そのため、本業の音楽活動の傍ら肉体労働に勤しむようになる。

その現場で出会ったのが佐村河内であった。その時の出会いから佐村河内守のゴーストライターを18年間務めた。

現在、桐朋学園大学非常勤講師。

 ◇

 この壮絶な経歴に「砂の器すぎるやろ!」「映画化決定! 佐村河内にゴースト無しで映画音楽作らせてみようずwwww」「やたら詳しいけどご本人か関係者?」とのコメントが寄せられている。

(※「砂の器」は不遇な運命とハンセン病を物語の背景とした松本清張の名作推理小説)

 情報を書き込んだ人物は過去にネタ的な編集を行っておらず、大学関連や文学系の編集を多く手がけているため、関係者であるとの憶測も否定出来ない。だが、その真偽に関しては、96年当時でも結核に関する治療費は国の負担となっていたという意見や、桐朋学園大学音楽学部作曲科を卒業するまでには相当な学費が必要であるため極貧は疑わしいといった異論も大きい。

 一方で、今回の佐村河内守氏のゴーストライター騒動を大きく捉えた以下の様な意見もある。

「受賞を捏造したり、美人だったり、貧乏だったり、障害抱えてたり。キャッチーなキーワードがなきゃ売れないクラシック界ってのはなんなんだよ」

 確かに今回の騒動、表面化した問題の裏には大きな病巣が業界全体を蝕んでいる気がしてならない。

Written by 西田シーゲルト

Photo by 佐村河内守:魂の旋律~HIROSHIMA×レクイエム [DVD]

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