女子マラソン指導者・故小出義雄氏が駆け抜けた「早い者勝ち」の時代|高部雨市
TABLO / 2019年6月5日 17時0分
女子マラソンの名伯楽、偉大な指導者とメディアが謳う小出義雄が、2019年4月24日死去。享年、80歳だった。
豪快な笑顔と繊細な指導で「誉めて伸ばす」あるいは「非常識が新しい時代をつくる」などの小出節がメディアから喧伝された。
小出義雄の功績とは何だろうか。
小出の言うところの「早い者勝ち」の論理が、1984年のロサンゼルス五輪で初めて正式種目となった、発展途上の女子マラソンに、一定の成果をもたらしたことは事実である。
小出は、自著の中でこう書いている。
何であれ競争は「早い者勝ち」が原則である。誰もまだ手をつけないうちに、いち早く知識を蓄え、しっかりと準備をしておけば、必ず勝てるのだ。(中略)
私が女子マラソンの監督をするようになったのも、実は、女子ならまだ歴史が浅いから、「早い者勝ち」でいけるチャンスがあると思ったからだ。
男子はもうすでに相当レベルが上がってしまっているから、オリンピックで金メダルを取るのはなかなか難しいだろう。
だが、女子だったらまだ金メダルを取れる可能性は十分にある。なにしろ、私には、女子の練習の仕方を知り尽くしているという自信があった。
その中で1992年バルセロナ、96年アトランタの両五輪で銀、銅メダルの有森裕子、97年のアテネ世界陸上で金メダルの鈴木博美、そして、2000年シドニー五輪で金メダルを獲得した高橋尚子と、女子マラソン界に存在感を示した。この瞬間、小出の言う「早い者勝ち」の論理はまさに成就したかに見えたが、小出の欲望は膨張するのだった。
そして、小出の欲望を具現化し絶対化する選手、それが高橋尚子だった。
参考記事:スポーツ界の 「おれについてこい!」ほど恐ろしいワードは無い
小出は言う。
金メダリストの条件を「マラソンが大好きな選手」と仮定するなら、高橋こそピッタリの選手だった。放っておけば、いくらでもジョギングにいってしまう。駆けっこバカの私と同じ匂いのする選手だった。
駆けっこバカの小出は、同じ駆けっこバカの高橋によって、オリンピック二連覇の野望を抱いたのである。留まっていては、男子マラソン同様にアフリカ勢の野性の波にあっという間に押し流されてしまう。アフリカ勢の野性の波が来る前に、高橋尚子によるオリンピック二連覇こそが、燦然たる栄誉として女子マラソンの歴史に輝くのだ。
そして小出は、「非常識が新しい時代をつくる」とばかりに、高橋に過酷な練習を課した。
小出は豪語する、男子を含めて世界でこんなに練習量の多い選手はいない、アメリカ、コロラド州のボルダー標高2800から3000メートルでの高地トレーニングは過酷な拷問状態に近い練習だった。それらを高橋は、何も疑うこともせずに愚直にこなし続けた。そして、高橋は小出同様、オリンピック二連覇の夢を見た。
2003年11月16日、オリンピック二連覇の野望を抱いて、アテネ五輪の代表権をかけ、高橋は東京国際女子マラソンを走った。しかし、このレースは、高橋の一途な手を抜く事をしない性格、あえて言えば、小出の教えを妄信したことが災いした。
高橋の肉体がオーバートレーニングの結果、余力を失いレースの後半失速となって現れ、2時間27分21秒で2位に終わり、アテネ五輪の代表権を逃すことになるのだった。
レース後、小出は「レースの前に、もう一つ餅を喰わせておけばよかった」とコメントするのだが、餅を一つ喰わせておけば失速しなかったなどという、非科学的な言葉に同意することなどできない。欲望の膨張が、練習量の膨張に繋がり、高橋のエネルギーを消耗させたのだ。
参考記事:「クレージー・ランニング」が生んだ万引きマラソンランナー 原裕美子が苦しんだ過酷な体重制限
強い選手ほど細心で、実直で、勤勉である。指導者は緊張し過ぎたり、やり過ぎたり、故障を起こしたりしないように、注意を払うことが求められる。ハードトレーニングとオーバートレーニングの境界を見極めてこそ、真の指導者だといえるのだ。
高橋は2004年9月、右足首を骨折、それ以前にも2001年に虚血性大腸炎で入院、2002年には肋骨の疲労骨折と故障が続いていた。2002年、30歳の頃には「朝起きて足が痛くないことを確認してほっとする。あと2年(アテネ五輪まで)は体がもってほしい」と吐露し、自らの肉体に不安を感じ始めていたという。
高橋が欠場した、アテネ五輪では野口みずきが優勝、日本女子マラソンは二連覇を果たすのだが、野口もまた高橋と同じ過ちを犯すのだった。
高橋尚子、野口みずき、二人の金メダリスト以降、日本の女子マラソン界には練習量がすべてとする思考が席巻する、それはまた、多くの故障者をつくり、走ることをやめざるを得ない状況に追い込まれ選手を生む。過度な練習量信仰が選手を潰したのである。
そして今日、日本女子マラソンは、男子マラソン同様の低迷期にある。その根本的問題点は、スピードである。今日のスピードマラソンに不可欠な速い速度でのトレーニング、変化に富んだファルトレク方式のスピードトレーニングによってこそ、将来に繋がるランナーが生まれるのだ。
女子10,000メートルの日本記録が、2002年、渋井陽子の30分49秒89、このことをみても、いかに「非常識が古い時代を牽引してきたか」が理解できる。(文◎高部雨市 /敬称略)
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