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震災の爪痕・大川小検証委自ら「調査不十分」と認める、遺族は法的手段も

TABLO / 2014年3月3日 15時0分

震災の爪痕・大川小検証委自ら「調査不十分」と認める、遺族は法的手段も

 東日本大震災で児童74人、教職員10人が犠牲となった宮城県石巻市の大川小学校の避難行動等を検証していた検証委員会(委員長、室崎益輝・神戸大学名誉教授)は「最終報告」を発表した。事故の直接的な原因を「避難開始の意思決定が遅く、かつ避難先を河川堤防付近としたこと」と結論づけた。

 各委員からは「事実迫るようにがんばってきたつもり」とする一方、「明示的な報告書が作れなかった」「調査が不十分と言われても仕方がない」などと、調査の限界があったことも述べていた。最終報告書を読んだ遺族のなかには「新しい事実がない。法的手段も検討する」といった声も聞かれた。

 最終報告書によると、大川小は海岸から約4キロ、北上川から約200メートルの位置にある。標高は1~1.5m程度だった。震災時、児童が108人在籍していた。このうち70人が死亡。4人が行方不明となった。教職員は13人。当時、学校長は休み、事務職員1人は校外にいた。残りの11人は津波襲来時に学校付近におり、うち1人が生き残った。

 こうした犠牲が出た要因は「避難開始の意思決定が遅く、かつ避難先を河川堤防付近としたことにある」としたが、その背景となったのは、

1)学校における防災体制の運営や監理がしっかりとした牽引力をもって進められず、また教職員の知識・経験も十分でないなど、学校現場そのものに関わる要因

2)津波ハザードマップの示し方や避難所指定のあり方、災害時の広報・情報伝達体制など、災害対策について広く社会全体として抱える要因ーーとした。

 最終報告書(案)からの修正点については、遺族から100項目にもわたる要望が刺されていたが、事故当日や直後の状況について聴取が追加されたが、「新たな事実はなかった」とした。その一方で、市教委等に「記録がない」としていた、事後対応の「心のケア」について、学校に対するスクールカウンセラーは特段の配慮がなされたが、転校した子どもとその保護者、行方不明の子どもの保護者への対応は不十分だったことを加えた。

 室崎委員長は、教職員の遺族からは「教職員の遺族のケアをしっかりしてほしい」との要望があったと話した。また、児童の遺族からは「真実に究明が中途半端だ。遺族調査から踏み出していない。無意味だ」などの声があり、「理解していただけない部分が多かった」と述べた。

「我々としては、絶対こうだ、という事実は見いだせなかった。ただこれは再発防止のための検証。これからの防災対策のあり方をしっかり提示することが役割だ。責任追及とは違う」

 日航ジャンボ機墜落事故の遺族でつくる「8・12連絡会」事務局長でもある、美谷島邦子委員は「遺族は事実の究明と再発防止の両方を求めている。提言を出すだけでは遺族は癒されない。真実を求める旅は終わらない」と、遺族の気持ちを代弁するような発言もあった。

 これまで室崎委員長は「遺族との溝が埋まらない」といった発言を繰り返して来た。筆者は会見でそのギャップはずっと平行線だったのか?少しは埋まったという感覚なのか?」と聞いた。室崎委員長は「少しは埋まった瞬間はあったとは思ったが、最終的には埋まらなかった」との認識を示した。

 事実認定について、生存教員が証言した内容を詳細に検討した形跡は見られない。また、震災後に子どもたちから聞き取ったメモを廃棄した理由について、意図的との疑いがあった。報告書では「取り扱いについて何らかの指示が出されたことはなかったと証言している」との表現にとどまった。遺族から100項目にもわたる要望が出されていたが、室崎委員長は「要望に十分に答えることはできなかったが、感覚的にはフィフティ・フィフティだ」との認識を示した。

 心のケアについて、筆者は「最終報告書案とは違って、いつ何をしたのかは書かれているが、どのような効果があったのか。傷を広げたのか?回復できたのかは書かれていない」と質問した。震災時の心のケアの支援では、かえって子どもの傷を広げたというケースもあるため、その評価が気になったからだ。室崎委員長は「心の傷を広げたという話も聞いたことがある。しかし調査は不十分だった」として、詳細が書かれていない理由を説明した。

 検証委は震災後1年10ヶ月経ってから設置された。検証委は、その意味でも調査の限界があったことは否定できない、としている。傍聴を繰り返してきた遺族は記者会見した。

 佐藤敏郎さん「今日も検証委自らが不十分だと言っていた。検証委が立ち上がるとき、事実を明らかにすると責任を明らかになる。しかしそれを恐れて筆を鈍らせてはいけないと説明を受けていた。ゼロベースや公正中立という言葉が一人歩きした。提供した情報は反映されなかった。報告書に新たな事実はない。検証委も不本意ではないのか。亡くなった子どもには検証委の報告はしないし、するつもりはない」

 佐藤和隆さん「検証委が立ち上がった最初のころは期待した。しかしずさんな検証。これではきちんとした検証ができない。私ちゃちはなぜ子どもたちが死ななければならなかったのかを知りたい。実に薄っぺらな報告書だと思う。助かる子どものたちがなくなって、市教委から二次被害を受けた。検証委からは三次被害。子どもには謝ることしかできない」

 鈴木典行さん「核心部分が出ていない。重要な人の証言が取れず、『わからない』「覚えていない』が多く、不満が残る。避難してから津波に襲われる間の、子どもたちの行動が一切書かれていない。掘り起こすのが検証だと思う。我々が検証して出したものから一歩も進んでいない。市教委とはもっと話し合いたい。亡くなった子どもには『がんばるから見守ってくれ』と常に言っている。それを続けたい」

 今野浩行さん「予想通りの、期待はずれの結果だ。検証は矛盾点や不明な点を明らかにするものだと思っていた。しかし、中間報告からきちんとしたものは出ないと思っていた。親としての責任を果たせなかった。亡くなった子どもにはお詫びの気持ちしかない。仇をうってあげられなかった。市教委はこの報告書をどう扱うのか。期待できるような結果は生まれない。嫌としての責任は今回も果たせなかった。亡くなった子どもにはお詫びの気持ちしかない」

 佐藤美広さんは「中間報告をみてがっかりしたので、最終報告書は目を通していない。いろんな矛盾点があるのに議論がなされていない。検証委が立ち上がるときに遺族の意見を取り上げてくれなかった。それが壁を作ったと思う。期待はしていなかったが、結果は想像通り。検証の中に、亡くなった子どもが見えてこない。悔しい。市教委も市も県教委も検証委も責任の所在がはっきりしない。もう失うものはない。弁護士と相談したい」

 紫桃隆洋さん「親としては納得いかない。報告書がでる遺族との話し合いができないと市教委は言っていた、私たちが動かなくても市教委は話し合いの場を用意してくれるのか。知りたいことを聞くだけでどうしてたらい回しになってきたのか。娘に、亡くなる直前に言葉をかけることさえできなかった。親として恥ずかしい。ただ『ごめんね』と言うしかない。また3月が来てしまう」

 只野英昭さん「娘を亡くしてこんなんでいいのか?(生き残った)息子はずっと証言させてきた。検証委には、息子の証言をはやく聞いてほしかったが、なかなか聞いてくれなかった。(行なわれたヒアリングでは)学校でのことを聞かないといけないのに、地域の人のことばかり聞かれた。市教委の対応は、裁判を前提にした行動だったと思う。二度と繰り返さないための行動とは思えない。正しい検証結果になるように頑張って来たが達成できそうにない。でも、まだ希望を残しておく」

 このほか、遺族への説明会に参加したものの、会見には出なかった遺族は「期待外れだな」と言い、怒りをあらわにしていた。ただ、大川小の遺族すべてが同じ思いではなく、スタンスもそれぞれだ。そのため、遺族会としては動けない。「子どもが帰ってくるわけではない」と、検証に距離を置いている遺族もいる。法的手段を取るとしても、どのくらいの遺族が参加するかは未知数だ。

 この大川小の犠牲については、学校管理下で子どもが亡くなったケースとしては日本の歴史上、類を見ない。「1000年に一度の大震災」「想定外の大津波」などの認識の前に、自然災害のために「仕方がない」といった見方も少なくない。

 これほどの大津波に対するマニュアルを整備していた学校は少ない。しかし、マニュアルがなくても多くの学校では、学校管理下では子どもたちを助けた。佐藤敏郎さんは「マニュアルだけは命は救えない」と言っていた。

 なぜ大川小学校だけが避難が遅れ、これほどの犠牲者を出したのか。なぜ避難の決断が遅れたのか。理由を知りたい遺族にとっては新事実はない。そして、報告書の提言は、一般論の羅列に見えるだろう。「亡くなった子どもが見えない」。遺族の一人はそうつぶやいた。

Written Photo by 渋井哲也

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