ニッポン隠れ里奇譚「津山三十人殺し」が起きた岡山県貝尾集落を訪ねて

東京ブレイキングニュース / 2014年5月5日 17時10分

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 "廃村"と"田舎"の境界に位置する"村"のことを、僕は勝手に"隠れ里"と呼んでいる。時には時代に取り残されて、時には過疎化が進んで、また時にはある"因縁"や"事件"ゆえに行き着いた果てに、"隠れ里"は存在している。

 僕はそんな"隠れ里"を訪ねるのが好きだ。そんな"隠れ里"と、その土地に隠された"奇譚"を、これからいろいろ紹介するとしよう。

 まず最初に紹介する"隠れ里"は岡山県と鳥取県の県境に近い山間にひっそりと存在する「貝尾(かいお)」だ。貝尾と聞いて、すぐにピン!とくる人は、ある意味、事件ものの"通"と言っていい。

 そう、貝尾の集落では、今から七十七年前の昭和十三(一九三八)年五月二十一日未明の闇の中、村に住む二十二歳の若者が、日本刀と猟銃を駆使して、村の半分近くの家を襲撃。村人の三分の一以上にあたる三十人を一時間半ほどの間に殺害する"津山三十人殺し"が発生したのだ(死者のうち二人は隣村の住人)。

 犯人の名前は都井睦雄といい、犯行直後、近くの山に逃れ、山頂で猟銃自殺を遂げた。睦雄の出で立ちは、黒襟詰の学生服風で、足元はゲートル(脚絆)で固めていた。右手に日本刀、左手に自分で改造した特殊猟銃を持ち、頭にはハチマキを締め、額の両側にナショナルの懐中電灯を固定していた。

 そう、横溝正史の金田一耕助シリーズの『八つ墓村』に登場する大量殺人犯の格好にそっくりなのである。

 実際、横溝正史は"津山三十人殺し"をヒントに、『八つ墓村』を書き上げたと言われる。正史は太平洋戦争中、岡山に疎開していたからだ。

 犯行の動機や経緯については、犯人が自殺してしまったこと、そして戦争中ということもあって、謎が多い。しかし、睦雄の残した三通の遺書などから、村に残る"夜這い"や"姦通"の習慣が、少なからぬ影響を与えたのではないかと言われている。たしかに睦雄は、村の中の十代から四十代までの十人余の女たちと性的な関係を持っていたといわれており、事件の被害者の多くは、睦雄と関係した女たちと、その係累だったからだ。

 この事件や犯人像の詳細については、今年二月に発売された拙著「津山三十人殺し 七十六年目の真実」(学研)の方を参照していただければ幸いである。これまで語られなかった証言や証拠をもとに、祖母と睦雄の間に血縁関係がなかったことが判明したことなどから、従来とは異なる事件の"真実"を提唱させていただいた。

http://n-knuckles.com/discover/img/thumbnail/2014/05/kaio02-thumb-500x375-3183.jpg

かつて睦雄が暮らした家につながる細長い路地。

 

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