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【東日本大震災の悲劇】大川小学校遺族の裁判が行われる by渋井哲也

TABLO / 2014年6月12日 14時12分

【東日本大震災の悲劇】大川小学校遺族の裁判が行われる by渋井哲也

 東日本大震災の大津波で児童74人が亡くなった宮城県石巻市の大川小学校の遺族が宮城県と石巻市を相手取った国家賠償請求訴訟の第一回口頭弁論が5月19日、仙台地裁(高宮健二裁判長)で行なわれた。訴えたのは児童23人の19遺族。このうち7遺族が意見陳述をした。

 石巻市は「過去の経験上、釜谷地区(*著者注:大川小学校が設置された地区)まで津波は達成しておらず、大川小学校に津波が到達するとは予想できなかった。釜谷地区の住民も予想できず、住民の8割以上が犠牲になっている。教職員が予見できなかったのはやむおえない」など、過失はないと主張している。

 宮城県も請求棄却を求めている。同日の記者会見で村井嘉浩知事は「県は給与の負担をするという責任のみで、教職員に対する服務監督権、また、子ども対して指導する、教育するという権限はない」などと述べている。

 原告側の弁護士は「教職員は、児童の命を守るため極めて厳格な安全確保ないし保護義務が課せられているのであって、近隣住民の方々と立場が全く異なります」といい、課外授業中に引率した児童が足を滑らせて沼に転落したら、たまたま通りすがった近隣の住民には救護義務はないが、引率した教職員は児童を救護する義務がある、との例を提示した。そして生存教諭の証人尋問と、3月11日に現場検証することを要望した。

 裁判を巡っては、未曾有の大災害であり、想定外の大津波が発生し、教職員も犠牲になったことで、裁判までしなくてもよいのではないか、遺族は「お金が欲しい」だけではないのか、といった声がなくはない。「訴えても子どもは帰らない」という他の遺族もいる。そうした声があるのを承知で、19遺族は訴える選択をした。

 遺族が訴訟という手段に出たのはいくつかの理由がある。

 市教委から遺族への説明会があったが、唯一生存した教諭は「津波をかぶった」と、「水に濡れていなかった」という地域住民の目撃証言とはちがった内容を話している。また遺族がまだ説明を求めていたにもかかわらず、会合終了後に市教委がマスコミに対して「遺族は納得した」などと答えたこともあった。さらに震災後に市教委が生存した児童に聞き取り調査を行ったが、その際に記したメモを破棄した。メモを元にした報告書には、児童が言ったことが書かれていなかったーーなどがある。

 これらのため、一部の遺族と市教委が対立していた。そのため、第三者の「学校事故検証委員会」(委員長、室崎益輝・神戸大名誉教授)が設置された。遺族が求めているものの一つに、地震が起きてから子どもたちが津波にのまれるまで、一体、何があったのか?という詳細な事実の解明だ。

 教職員も学校に避難してきた地域住民の多くは亡くなっている。市教委の聞き取り調査では一部のやりとりの証言があるものの、「検証委」の最終報告書では、当日の詳細な動きは示さなかった。生存教諭の証言の矛盾についても整合性を追求ことはなかった。再発防止のための検証であり、責任追及ではないというスタンスは、結局、事実を詳細に検証するものではなかった。

 当時三年生の健太君を失った佐藤美広さん(50)は、訴訟に関し批判的な意見があることに、「子どもたちはどうなるの?先生と一緒にいながら黒い波に飲まれて行ったんだよ」と話した。また、裁判で事実の解明はどこまですすむのかは未知数だが、「私は難しいことを考えていない。知りたいのは、生存した先生のとった行動なんだよね。子どもたちはどういう状況だったのかを教諭に教えてほしい。生で見た状況を言ってもらいたい」と、生存した教諭の証言を求めている。これまで生存教諭が遺族の前で説明したのは11年4月のときだけだ。

 佐藤さんは意見陳述でこう述べた。

「この3年間、石巻市・石巻市教育委員会と話し合いをしてきましたが、私たち遺族の気持ちをわかってもらえず、息子が死んだ理由が何一つ明らかになりませんでした。どうしてもそれを知りたくて、最後の場所である、この法廷に立っています」

Written Photo by 渋井哲也

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