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今国会中に法案提出される「ヘイトスピーチ規制法」の危険性

TABLO / 2014年11月4日 18時20分

今国会中に法案提出される「ヘイトスピーチ規制法」の危険性

 特定の人種や民族に対する憎悪表現、いわゆる "ヘイトスピーチ" に関して、超党派の議員連盟が法規制へ向けて動いている。現在はまだ試案の段階で、ひとまず『人種差別撤廃基本法案』という仮称が付けられているようだ。

 この議連には民主・共産・社民といった野党と公明党などの議員が参加しており、今国会中の法案提出を目指している。

 現状の試案には罰則が設けられていないようだが、特定の個人や属性(人種・民族など)に対する差別的言動を違法行為と認知させる事を目的としている。

 さて、この手の話題は過去に何度か取り上げたが、この "ヘイトスピーチ規制" には大きな落とし穴がある。それも差別者が得をするといった話ではなく、弱者がより酷い立場に追い込まれ兼ねないという欠陥だ。

 まず理想型から先に述べておくが、このヘイトスピーチ規制をまともな形、特に弊害のない形に整えるには、必要以上に拡大解釈される可能性を可能な限り潰す必要がある。これが第一だ。

 次に、法案の内容に触れる議員らが素人考えで暴走せぬよう各界の専門家(識者)をバランスよく集め、なおかつ彼らの判断に重みを持たせ、世界に通用する「差別とは○×である!」という定義付けを行う事も必須である。

 では、この2つが上手く行かないと、どういう結末が予測されるだろうか?

・拡大解釈

 これについては高市早苗の言動を取り上げれば事足りる。彼女は "ヘイトスピーチ規制" という考え方に対して「国会周辺でのデモに適用できるようにしよう」と口走ったのだ。

 これは自民党のヘイトスピーチ対策プロジェクトチーム(座長・平沢勝栄)の会合での発言で、憲法にある表現の自由は守るとした上で、「口汚く罵るような行為は誇りある日本人として恥ずかしい。人種差別的な言論は世界的に法規制の流れになっている」と始まったのに、何故か「仕事にならないから国会周辺でのデモ活動も一緒に規制しよう」という超展開をぶちかました。

 現在の日本の与党はこの有り様だという現実を踏まえた上で考えて欲しいのだが、ヘイトスピーチ規制法案が無事に議題に挙がって諸々通過したとしよう。ではその法案は今現在ヘイトスピーチの法規制に向けて活動している人々の意に沿った形になると思えるだろうか?

 私には到底そうは思えず、あれもこれもと拡大解釈できる非常に危険な形になってしまう予感がしてならない。 その前例が 「子供を虐待や性被害から守ろう、救おう」 として立ち上がったはずの "児童ポルノ法" である。これも散々東京ブレイキングニュースに記事を掲載させて頂いているので詳細は省くが、児ポ法は改正案で単純所持にも罰則が設けられたが、未だに「何をもって児ポとするか?」の定義付けがあやふやで、子供を守るどころか「ポルノか否か、わいせつか否か、マンガやアニメはうんぬん」といった点ばかりがフィーチャーされている。お陰で子供を守るor救うための具体案など何もなく、単なるわいせつ物の取り締まり法と化している。

 ヘイトスピーチ規制法もこのままでは児ポ法と同じ道を突き進む事が目に見えているが、そうなった場合は救うべき弱者を置いてきぼりにして、ただ単に耳障りな言葉を潰すだけの法に成り下がるだろう。

 最悪の予測としては、社会的弱者が追い詰められたあまりちょっと感情的に主張をしただけで「ヘイトスピーチだ!」とされてしまい、何故か弱者が取り締まられるというジョークにもならない事案が起きるかもしれない。強者による弱者の迫害や差別だけではなく、弱者もまた言葉を発せなくなるという事だ。

 これは言葉狩りと全く同じで、目障りな単語をメディアから消し去っても、人の悪意までは消せない。ではどうなるかというと、狩られた言葉を使う事なく、より陰湿な記号や合図といった形で差別やイジメが続けられるのだ。迫害・差別・イジメがより地下に潜ってしまって手の打ちようがなくなってしまう。

 果たしてこれを防ぐための細やかな法律文作りが今の政府に可能なのだろうか?

・定義付け

 上でも少し触れたが 「何をもってヘイトスピーチとするか?」の定義付けが狂えば、何の意味も持たないどころか、社会にとって悪影響しか及ぼさない悪法と化すおそれがある。

 例えば、反レイシズムを掲げ、ヘイトスピーチの法規制に向けて運動しているとある一派は

「オタクは迫害されて当然。それが嫌ならオタクをやめればいい。やめたくてもやめられない属性に対する攻撃だけが差別だ」

「レイシスト死ね! レイシストには何をしたって構わない!」

「ちなみにレイシストの定義はオレらが勝手に決める(キリッ」

 ......といった超理論をぶちまけて敵ばかり増やしているが、そんな暴論を社会が認めてくれる訳がない。彼らの言動も立派なヘイトスピーチである。

「相手は○×だから我々がいくら攻撃してもいい」という自分勝手なルールで暴力的な言動に及ぶ事がまさに差別だと思うのだが、その手の人間は「マジョリティによるマイノリティへの攻撃のみを差別とし、ヘイトスピーチ規制法の対象とする」 などという噴飯物のオレルールをひけらかすばかりだ。ヘイトスピーチの法規制に向けて運動している、特に目立つ場所にいる連中ですらコレなのだから、到底世間が納得するとは思えない。むしろ危機感を持たれて法案自体が潰されるのが関の山であろう。

 また、もし仮に多数派が少数派を非難しただけで差別だヘイトスピーチだとされる世の中になったとしたら、何が起きるか想像できるだろうか?

 私の鈍い頭で考えるに、まずヤクザがマイノリティ利権をかっさらって行くに違いない。私が昔取材したとある関西のアウトローは、暴力団員でS学会員でK同盟員で在日朝鮮人という数え役満状態で、それぞれの立場の名刺を見せてくれたが、その手の人間にとってはこれ以上なく強い武器になるだろう。自分を少数派の立場に置けば、ヘイトスピーチ規制法が守ってくれるのだから。

 彼らがそうした優位なポジションを利用して何をするか容易く想像できるのだが、今のところそうした悪用を防げるような「コレ!」という具体案にはお目にかかれていない。

 この辺りの不安を取り除いてくれ、なおかつ適切に守るべき対象を守れる法案を作ってくれる人物がいったいどこにいるのだろう?

 私には道端で警官に対して「オレが○×だからって差別するのか! うわー助けてくれー! 警察官にヘイトスピーチされたー!」と騒ぐヤクザ者が続出する光景しか頭に浮かばない。

 ヘイトスピーチを減らす最良の薬は、他人にウンコを投げ付けないと鬱憤晴らしも出来ないような追い詰められた国民を減らすことである。何でもかんでも規制すればいいという考え方をしている時点で、表面的にはヘイトスピーチがなくなったとしても、別の形で人の悪意が暴発するに決まっている。

Written by 荒井禎雄

Photo by pasuay@incendo

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