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真相はどこに? 自殺者を生んだ「新宿署痴漢冤罪事件」の行方

TABLO / 2015年3月18日 18時0分

真相はどこに? 自殺者を生んだ「新宿署痴漢冤罪事件」の行方

 2009年12月11日、東西線早稲田駅で大学職員の原田信助さん(当時25)がホームから転落死した。自殺したとみられるが、その一因には前日に新宿署で行われていた痴漢容疑(迷惑防止条例違反)での取り調べが違法であったとして、遺族の母親、尚美さんが東京都を相手取り、損害賠償を求めている裁判(新宿署痴漢冤罪憤死事件)で、証人尋問の日程が決まった。提訴から約4年。ようやく事態が動き出した。証人尋問は3月9日、東京地裁で行われた。

 原告などによると、尋問をする証人は5人。新宿駅で原田さんを新宿署に痴漢容疑と伝えずに任意同行した警察官のH。原田さんは新宿駅のホームに向かう階段を上っていたときに、いきなり男に暴力を受けた。それに対して原田さんも男に暴力を振るった「相互暴行」の疑いだと思っていた。新宿西口交番では家族に電話をすることも拒否された。また、警察官Sも任意同行時に関わっている。

 また、新宿署は原田さんに痴漢容疑をかけていたが、被害女性の取り調べをしていた警察官のI。110番通報記録によると、被害女性は服装が違うとして、人違いの案件だった。しかし、原田さんにその旨を告げなかった。警察官のYは、新宿署内で原田さんの聴取をしていた。また、釈放時に痴漢容疑が晴れたことを告げず、「本日、暴力を受けたことで話をしましたが、呼び出しがあれば伺います」との確約書を書かせていた。

 さらに警部のH。原田さんの案件に対して、後日、法の定めのない「特命捜査本部」が立ち上がるが、その責任者。痴漢の案件は本来は生活安全課だが、なぜか、捜査課一課は強行犯(殺人、強盗、暴行、傷害など)を担当する部署だ。

 当時の新宿署長の尋問を求めていたが、すでに退職をしていることや、「特命捜査本部」の設置はH警部が責任者であったことから、9日の尋問を受けて、尋問をするかどうか決めることになった。また、原田さんの痴漢容疑のもとになった被害者とされる女性への尋問は「警察の不法行為と直接関係ない」ことを理由に却下された。

 このほか、警察が不法行為をしていることがわかったのは原田さんがICレコーダーで録音をしていたためで、そのレコーダーの音声を法廷で再現することを求めていたが、すでに正確に記憶が起こされていることなどから検証も却下された。

 訴えによると、原田さんは新宿駅構内のホームに登ろう階段を上っていたところ、突然殴られた。喧嘩となったが、自らの携帯電話から110番通報した。警察官が現場に到着した後、新宿署に任意同行で連行された。信助さんは喧嘩(相互暴行)の当事者として事情聴取を受けていると思っていた。

 しかし、新宿署に連行されたとき、理由が「痴漢の容疑」ということがわかる。しかも朝まで長時間、取り調べが行なわれた。駅構内で暴行され、信助さんは頭を打っていた可能性があるが治療されなかった。

 翌11日午前4時ごろ、署員から「もう帰っていいですから」と言われ、原田さんはどうして痴漢に疑われたのか? をわからないままでいた。始発まで待っていたのか、午前5時45分頃、新宿署を出る。疲れ果て、悩んでいた信助さんは午前6時40分頃、東西線早稲田駅の線路に落下。電車にひかれてしまった。自殺と思われている。

 写真は原田さんが書いていたノート。「話が合わないんだよ。どうなっちゃったんだ」などと書かれている。

Written Photo by 渋井哲也

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