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戦後60年、いまだ沖縄本島南部に残る「ガマの遺骨」

TABLO / 2015年4月10日 12時0分

戦後60年、いまだ沖縄本島南部に残る「ガマの遺骨」

 沖縄本島南部では掘り返すと、人骨が出てくることがまだある。中でも、2010年ごろの、おもろまち再開発に際しておこなわれた遺骨収集では170柱あまりが出てきたほどだ。場所によっては遺骨が眠ったまま、その上に建物を建てたというケースが珍しくない。

 昭和20年の3月末に米軍が上陸を開始し、沖縄本島では軍民入り乱れての戦いを繰り広げた。その中には女性や老人、子どももたくさんおり、米軍の勢力が増すとともに島の南端へと人々は撤退し、ガマ(自然洞窟)などに身を潜めた。しかし避難の甲斐なく、艦砲射撃などによる直撃弾が着弾したり、馬乗り攻撃という壕内全滅作戦が米軍によってなされたりして、夥しい死傷者が出てしまったという。

 地元ではサキアブと呼ばれている、山城本部壕も攻撃され、たくさんの犠牲者を出したところだ。昭和20年6月14日、米軍の艦砲射撃が直撃したことで数十人が死亡、その後、ガマの中で24人もの人が自決、つまり自ら命を絶っている。

●サキアブの中に入ってみた

 島の南端やひめゆりの塔にほど近いところにサキアブはあった。そこは、まわりを亜熱帯の木々に囲まれた公園のようなスペースで、目的があってこなければ、穴があることすら気がつかない、そんな場所だ。

 ドリーネ(すり鉢状の窪地)をようやく見つけて、恐る恐る降りていく。入る人が珍しくないのか、珊瑚質の石が階段代わりに置かれている。そこに足をのせて恐る恐る降りていく。石が途切れると、粘土質の濡れた土となり、滑って、簡単には歩けなくなる。それでも、高さ10メートルほど降りると、日の光がだんだんと届かなくなった。

 それより先は、懐中電灯なしには歩けなくなる。サメの口の中へと入っていくかのような洞窟の中には、靴の跡があり、誰か別の人が数時間以内に人が入ったことがわかった。その奥はかがまないとすすめないほどの高さしかなくなってしまう。このあたりで日光は完全に途絶え、空気は外にくらべてじっとりとしている。

 こんなところに潜んだ末に数十人が亡くなっていったという事実に思い当たり、恐怖で身体がこわばった。ここから先は池になっていて、行き止まりだった。これ以上行かなくていいということに思い当たり少し安堵した。懐中電灯のスイッチを切り、黙とうをした。

 出口近くまで戻ってみると、何か置かれていることに気がついた。それは、泥だらけの瀬戸物の破片であった。その横に何か置かれているので、何気なく視線を移した。するとそこには臼歯が3つついた立派な下顎の骨が置かれているではないか。びっくりして思わず息をのんだ。

 後で、ひめゆり平和祈念資料館に訊ねたところ、次のように答えてくれた。

「1カ月前にその骨はありませんでした。おそらく、個人で遺骨収集している人が掘り出したものでしょう」

 戦争に負けた日本がその後、アメリカの核の傘の下で高度成長したことをこの顎の骨の持ち主は知るはずがない。月並みな言葉かも知れないが、まだ戦争は終わっていないという思いを抱いた。安倍首相は、こうした事実を受け止めた上で、基地の開発を進めようとしているのだろうか。

Written Photo by 西牟田靖

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