【壮絶すぎる人生】萩原流行&まゆ美夫妻の共著『Wうつ』読了|ほぼ週刊吉田豪
TABLO / 2015年5月8日 17時0分
発売当時に買ったまま読めずにいた萩原流行&まゆ美夫婦の共著『Wうつ』(09年/廣済堂出版)、読了。いま読むといろいろ考えさせられる一冊だったので、気になった部分を引用してみたい。
まず最初に、もともと鬱になったのはまゆ美夫人が先だったわけですが、当時の萩原流行は心の病に対して何の理解もなく、余計に彼女を追い込むようなことばかりしていたんだそうです。
「本当に神経症という病気なんだろうか? 病院に通い始めてからも朝はちゃんと起きてコーヒーを淹れてくれるし、ご飯もつくってくれる。ひょっとして、僕に文句を言って怠けたいだけじゃないだろうか? そんな考えが頭に浮かんでから、少しずつ僕はまゆ美さんと正面から向き合うことを避けるようになっていった。発病から一年が過ぎ、薬やカウンセリングのおかげでだいぶ彼女も落ち着いてきた頃、僕はもうほとんど家庭を顧みなくなっていた。理由は極めて単純、ほかに好きな人ができてしまったのだ」
この浮気があっさりバレたため、「たまたま早く家に帰った日、まゆ美さんが血まみれで立っていた」という事件が勃発。それでも彼は「リストカットか!? なんていうことをしたんだ!」「あのときの僕の目には、それが"当てつけ"としか映らなかった。あの日、彼女は僕を罵倒するような言葉を口にしたと思うが、よく覚えていない」という、いちばん駄目な対応をしてしまい、なんとか関係が修復されると今度は彼が鬱になっちゃった、と。
そして、「自分の生い立ちについては、これまでほとんど語ってこなかった。なにを聞かれても辛い話しかできないので、取材の折に父母や家族の話題になると、やんわり断るか、『両親とももう死にました』と嘘をつくか、あるいは笑ってはぐらかしてきた」彼が、彼が心を病んだ原点には家庭環境が影響しているんじゃないかということで、幼少期について初めて語っていくわけです。
「父にはすでに家庭があったので、母は今でいう愛人という立場で、兄貴と僕を産んだ。兄が生まれた頃、親父は全国的に名前の売れたバンドのギタリストとして、羽ぶりのいい生活を送っていた。自由が丘に家を2軒もち、愛人とその息子、つまり僕と兄にもずいぶん贅沢をさせていたそうだ。(略)だが、生活はめちゃくちゃだった。仕事が終わると芸者さんを何人も引き連れて箱根へくり出し、そこから母に電話して『おい、坊主も連れてタクシーで箱根まで来い。金は着いたら俺が払ってやるから』。こんな日があったかと思うと、ポーカーで負けて母を住まわせていた家を失い、母と兄はどこかに間借りしたり、そしてまた家を買ってもらったりと、まるでジェットコースターのような暮らしを強いられていた。だが、僕が生まれてから、暮らしむきはずっと下降線だった。(略)僕が父と初めて会ったのは、小学校に入る少し前だったと思う。そのときのことは、今でもはっきり覚えている。生まれて初めて"父親"を認識したその日、その男は母に暴力をふるっていた。その次も、そのまた次のときも、父は家に来ると母親を殴っていた」
なるほど、これは生い立ちを封印するのも当然だなあ......と思ったら、話はその程度では終わらなかった。
「僕が高校に進学してからも、親父の家庭内暴力は止まらなかった。高校2年生の6月だったと思う。土曜日の半日授業を終えて家に戻ると、そこら中に物が飛び散っていた。なにごとかと思って奥へ行くと、お袋と兄貴が顔を血だらけにして放心している。その横に立っていた親父と目が合った。チクショー、お前がやったんだな! もう許せねえ! ぐわっと頭に血がのぼった瞬間、親父をボコボコにしていた。腕力なら、もう僕のほうが勝っていた。おやじの前歯を全部折ったが、それでも僕の気持ちは収まらない。とっさに台所へ行き、出刃包丁を取り上げた。殺してやる! 親父に向かって進み、刺そうとしたところで、お袋と兄貴にすがりつかれた」
つまり、比喩表現じゃない「父殺し」をする寸前だった......!
「ふと我に返ると、強烈な自己嫌悪に襲われた。カッとなると、見境なく暴力に訴えてしまう。これじゃあ、親父とそっくりじゃないか。僕には間違いなく、親父と同じ呪われた血が流れているんだ......。もういやだ、なにもかも終わりにしたい! 僕は財布だけ持って、家を出た。もう死ぬしかない。そうだ、海に入って死のう。向かったのは鎌倉だった」
これが彼にとって最初の自殺未遂であり、まゆ美夫人と同棲することになるきっかけも、この家庭環境が影響していた模様。
「まゆ美さんとつき合い始めた21歳の頃、僕は大田区で家族と暮らしていた。(略)夜のアルバイトを終えて家に帰ると、誰もいない。それどころか家具類もほとんどなくなっている。なんだこれ!? 朝、家を出て行くときは普段どおりだったはずだ。僕だけに知らせず、うちの家族は夜逃げしたのか......? 家族の誰がどうやって決めたのか、今も僕には謎だが、萩原家はこの日をもって一家離散となったのだ。間の悪いことに、僕はこの日、風邪で40度近い高熱を出していた。でも、家には僕の布団さえ残っていなかった。とっさに思い浮かべたのは、まゆ美さんの顔だ」
こうして2人は一緒に住むことになり、結婚へと至った、と。
そんな感じでトラブルこそ多かったけど、お互い鬱になったことで「ほんとうの愛」を手に入れた......という結論になったかと思えば、こんな話が飛び出すわけですよ。
「20代のときにも『死にたい』と思ったことは何度かあった。舞台でずっとやっていた役を他の役者と交代させられ、しかも彼に『芝居をつけてやってくれ』と演出家に言われたのだ。僕はとにかくショックだった。『死んでやる!』とマンションの屋上に上がり、金網をまたいで手を離した。けれど次の瞬間、とっさに金網につかまっていた。やはり20代のとき、車ごと壁にぶつかって自殺しようとしたこともある。このときはウイスキーを1本空け、かなり酔った状態で車に乗った。何度も『今だ!』と思いながらも、いざ壁が近づくと、怖くなってハンドルを大きく切っていた」
車ごと壁にぶつかって自殺......!「うつ病になってからは、生きていることそのものが辛くて、ときどき『死にたい』と考える。でも、実際に死のうとしたことは、一度もない」とのことだったんですけど、最後にそのスイッチが入っちゃったのかどうかは、いまとなっては知る由もないです......。
Written by 吉田豪
Photo by Wうつ
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