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逝去した元赤軍派議長塩見孝也さんとの思い出

TABLO / 2017年11月15日 13時0分

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 左翼運動の指導者の一人、元日本赤軍議長塩見孝也さんが11月14日、亡くなりました。「日本のレーニン」と言われていた左翼ではカリスマ的存在で「よど号ハイジャック事件」の責任で獄中生活約19年を送りました。1989年に出所するのですが、僕は年代が違うので塩見孝也さんの事は、ほとんど知りませんでした。

 数年後、塩見さんを取材していた文筆家本橋信宏さんに「君の本で塩見さんを掲載しないか」と言われ、塩見さんに取材する事になりました。塩見さんを歌舞伎町にお連れして、感想を語ってもらうという企画でした。ワニマガジン社に在籍していた時期で、「実録・不夜城」というタイトルのムックで、でした。1998年ころの本です。
 純喫茶店、テレクラ、風俗、キャバクラなどにそれぞれ、取材依頼をしてみました。歌舞伎町の純喫茶「王城」では「ここでよく勉強したものだ」と言われいたのを覚えています。その「王城」はすでにありません。
 その後、テレクラではテレクラの社員から「塩見さんですか。僕も刑務所に入っていて尊敬していました」と声をかけられていました。さすが歌舞伎町。
 風俗嬢とは、「風俗労働として結託しよう」というような事を述べていました。塩見さんらしいな、と思いながらその風景をみていました。キャバクラではキャバ嬢たちに囲まれ写真を撮り、時勢の話題に花咲かせました。
 その模様は本橋さんの文章で鮮やかに描かれています。
 この記事の為、塩見さんシンパの中では「こんな取材に連れまわして」と僕らに批判が起きたという噂を聞きましたが、それでも塩見さんがこのような取材をよく受けて頂いたな、と今でも感謝しています。その後、何度かお会いしましたが、政治的な話は一切しませんでした。それでも清瀬市議に立候補した際にはやはり、政治運動家なのだなと思いました。細やかな思い出を有難うございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。(久田将義)


 

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