存命だったらどんな政権批判をしていたのか 竹中労の伝説

TABLO / 2020年9月5日 5時30分

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写真はイメージです。

武闘派作家をランキングした先の記事「文学界『ケンカ最強』は誰だ!」(8月23日)を書くにあたり、最近の若手作家の暴れっぷりが知りたくて30代前半の編集者に訊いたところ、「誰が喧嘩が強いかなんて話題にもならない」と、テーマ自体を一蹴されてしまいました。

現在のカルチャーシーンでは、拳を交えるコミュニケーションなんて、もう過去のものかもしれないと思い知らされつつ、でも気を取り直して、しつこく喧嘩伝説にこだわりたいと思います。

今回は、「作家」という枠組みからは少しばかり外れる人の武勇伝を、番外編的に紹介します。

 

参考記事:文学界「ケンカ最強」は誰だ! 中上健次、梁石日などそうそうたる作家が挙げられる中、やはり1位は“あの人”しかいない! | TABLO

 

かつて、権威に刃向かう反体制の物書きには、喧嘩自慢がたくさんいました。「ケンカの竹中」と異名を取った無頼のルポライター、竹中労はその代表的な存在でしょう。水道橋博士や武田砂鉄なども自ら熱心な竹中読者だと公言しているように、いまだに一部でカリスマ視されている存在です。あだ名からして、さぞや激しい喧嘩屋だったのだろうと思わせられます。

よく知られているのは、1975年に新宿コマ劇場で行われたシンポジウムで、竹中労が「政界の暴れん坊」ハマコーこと浜田幸一を挑発、それに応じたハマコーとあわや喧嘩になりかけたというエピソード。これについて竹中労は後年、「つかみ合いを演じたハマコーには、ちょい親近感がある」と漏らしています。

映画と古本のミニコミを発行するフリー編集者のFさんに聞きました。

「僕は労さんの実際の喧嘩は見たことがないんですが、70年代に労さんの若い衆として行動を共にしていた人の話では、とにかく恫喝する声の迫力が凄まじくて、気迫で圧倒する喧嘩だって言ってましたね。たしかに僕も、80年代後半、ある勉強会で労さんが当時の『朝日ジャーナル』編集長だった伊藤正孝さんの若干失礼な質問に対して、凄まじい啖呵を切るシーンを見ています」

なるほど。でもそれでは、「ケンカの竹中」とは口喧嘩の凄みを表す異名でしかなくなってしまうような。

「いや、実際に強かったと思いますよ。70年代の労さんの写真を見ると、往年の悪役プロレスラーのディック・ザ・ブルーザーみたいな体をしてる。そういえば、労さんは力道山とも喧嘩になりかけたらしいんです」

ええっ!? それはあり得ないでしょう。戦後を代表するプロレスラーで、不意打ちとは言え木村政彦を圧倒した力道山に勝ったとなれば、これは物書き最強どころか、日本最強になってしまいます。

「これは労さん自身がプロレスについてのエッセイで書いてるんですが、『ラテンクォーター』で若き日の労さんと勝新が飲んでたら、挨拶に来ないという感じで力道山がイライラしていた。それを見て、さすがの強気の勝新も『どうしよう』と不安顔。労さんは『気にしなさんな』と勝新をいなして、『そのとき私は、場合によってはやってもいいと胆を決めていた』とか書くわけです。労さんが言うには、『喧嘩は度胸の問題であって、体格や格闘技経験とは、紙一重に関係ない。いきなり睾丸を蹴上げるなり、ビール瓶で頭をカチ割るなりすれば、必ず勝つ』と」

喧嘩屋ならではの言葉という気はしますが、しかし相手は力道山ですからね。その場はどう収まったのでしょう。

 

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「力道山は、労さんたちのテーブルにやって来て、一言、『オウ!』と凄んで帰っていったそうです。労さんにまがまがしいものを感じたのか、それ以上相手にする気がなかっただけなのか、わかりません。光と闇を同時にまとうヒーローだった力道山の魅力を、労さんならではの『芸能の感性』は当然理解していたと思いますが、夜の社交界で権勢を誇って荒れていた力道山を、苦々しく感じていたところがあったのかもしれません」

竹中労のリアル・ファイトを記憶している人、またそれについて書かれた文章はないのか、Fさんに聞いてみました。
「労さんは権力との闘争や体制側の人との論争がテーマなわけで、梶原先生のように自分の武闘について書く人ではなかったので(笑)。でも50歳くらいのときに、故郷の山梨でヤクザの親分をぶちのめして、『これで喧嘩一代の店じまい、土付かずでメモワールを残したい心境だ』と綴ったエッセイはあります。

それと、映画監督の足立正生さんが『映画/革命』という本で語ってるんですが、70年代初頭、労さんは沖縄のヤクザが本土の広域暴力団の傘下に入ることを悲しんでいて、足立さんと平岡正明さんを連れて、沖縄のある高名な親分と会ってるとき、『ヤマトの組の軍門に下りやがって、このクソ親父が』と言って、机をひっくり返したそうです」

それは凄い。しかし、そこまでのことをやって、どうなったのでしょうか。よく無事でしたね。

「足立さんは、労さんがいきなり派手な立ち回りをやるんで平岡も自分も驚いたと書いてましたが、たぶんその親分も、労さんが沖縄に対して並々ならない一体感を持ってる人だということは分かってたんじゃないでしょうか。そこは伝わっていたんじゃないかな」

なるほど。喧嘩でも言霊って大事なんですね。

竹中労の喧嘩屋ぶりを、意外な人が目撃していました。前回、文学界の武闘派第4位にランクインした梁石日です。かつて人文系出版社に務めていたBさんが話してくれました。

「梁さんは1987年にリビアで開かれた『国際革命家フォーラム』というシンポジウムに、竹中さんと一緒に参加してるんです。他のメンバーは、元『楯の会』の阿部勉さんと、牧田吉明さん。中上健次さんも行くことになっていたそうですが、直前にキャンセルになったそうです。梁さんは『ワシがいるんで止めたんやないか』と言われてました。その旅には某キー局の撮影クルーが同行していたそうなんですが、パレスチナを弾圧しているイスラエル側の視点が番組でそれなりに扱われることが分かって竹中さんが激怒したらしい。

ディレクターに対して竹中さんは諸肌脱いで背中の刺青を見せて、『てめえ、砂漠に埋めるぞ』と、凄い見幕だったそうです。梁さんは『刺青見せて怒るなんて、遠山の金さん以来や。迫力あったよ。ワシもあそこまでようやらんわ』と言ってました。竹中さんは、梁さんに対してはとても紳士的で、いろいろと繊細に気づかってくれるかただったそうです」

というわけで、竹中労の知られざる「喧嘩伝説」を紹介してきました。話を聞いていると、口喧嘩も肉弾戦も、同じ喧嘩のうちではないかと思えます。竹中労の言葉には、それだけ本当の怒りがみなぎっていたのでしょうし、肉体感があったのでしょう。それはルポライター・竹中労の原点のような気がします。改めて竹中労の本を読みたくなりました。(文◎編集部)

 

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