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さようなら安室奈美恵 昭和時代に東京へ移住した沖縄人たちを勇気づけた大スター

TABLO / 2018年9月17日 10時15分

namie amuro Final Tour 2018 ~Finally~


 翁長沖縄県知事が亡くなった時、安室奈美恵が「沖縄の為の尽力して頂いた」旨の追悼文を出したところ、ネットでは「安室は反日」とか「在日」という書き込みが散見されました。この辺りは、カルトのような考え方で愚かだなと思います。
 逆に見ると、安室奈美恵の影響力の大きさを知らしめた感があります。
 そして、東京在住の「沖縄人」(とあえて呼称します)にとっても安室奈美恵、の影響力は大変大きかったのです。
 特に昭和世代の人にとって。

 僕の元上司は親御さんが沖縄出身で、東京の足立区に移住していました。今でこそ沖縄と言うと、芸能人、スポーツ選手など綺羅星のごときで、沖縄差別など考えられません。しかし、昭和30年代にはあったと言います。

 足立区の某所では沖縄集落のような場所があったようで、元上司はそこに住んいでいました。名前も沖縄で最も多い名前という事もあり、からかわれていたそうです。

 沖縄集落がそうなのか、当時の足立区がそうなのか、昭和30年代では雨水で荒川が氾濫すると、荒川が道にあふれイカダで通学したようです。信じられない話でしたが、僕は資料写真でそのもようを見た覚えがあります(新聞社の資料だった記憶が......)。自動車を見た事も小学生半ばが初めてだったそうです。

 そのほかにも「足立区あるある話」を聞かせてくれました。
・足立区の自転車はスピードが速い。足立区が平地だから
・足立区住民は夏になるとアツアツのマンホールで目玉焼きを焼く
・足立区住民は風呂と歯ブラシを同時にする

 などでした。

 沖縄独特の名字でもそうですが、家でゴーヤチャンプルが出てくると遊びに来た友達が「あいつの家の料理、苦い」とイジメのような事もあったと言います。

「今じゃ考えられないけど、沖縄出身ってだけで結構いじられたよね」と元上司は言いました。
「沖縄がルーツっていうのが言いにくい時期があったんだよね」
「でも沖縄って今、観光地でもあるし芸能人もたくさん出ているじゃないですか」と問いかけます。
「いや、それってほんっっとに最近だからね」と元上司。
「じゃ、具志堅用高がボクシング世界チャンピオンになった時に沖縄のイメージが上昇したんですか」と言いました。すると、苦笑いしながら、
「逆だよ。からかわれたよ。『ちょっちゅねー』って言ってみろとかね」との事でした。
「えー。じゃあ、いつ頃ですか。沖縄出身と堂々と言えるようになったのは」


「安室奈美恵が出てからだよね」


 即答でした。
 それから元上司は沖縄に行って、自分のルーツを探り、自分と向き合ったと言います。安室奈美恵の影響力は昭和時代、差別にあっていた東京在住の沖縄の人にとっても大きかったのです。そういう意味では芸能史だけでなく、実は歴史に残るような「歌姫」であったと言えるでしょう。(文◎久田将義)

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