死者からの電話|川奈まり子の奇譚蒐集・連載【十四】
TABLO / 2018年9月9日 20時0分
皆さんは、2002年前後に世間を騒がせた現金自動預け払い機(ATM)荒らし事件を憶えているだろうか?
それは東京、神奈川、静岡、千葉など一都五県で連続して発生した重機を使ったATM窃盗事件で、全57件、被害総額約8億1000万円という犯罪規模もさることながら、銀行や信用金庫のATMブースをパワーショベルで破壊して中の現金ごとATMをトラックに載せてかっさらっていくという大胆不敵な手口が世間の耳目を集め、当時、盛んにマスメディアに取り上げられた。
中には模倣犯による事件も多少混ざっていたそうだが、大半の犯行は神奈川県のとある暴走族が行ったと言われている。
その暴走族の中に、たまたま土木作業員として働いていたことがあってパワーショベルの操作やトラックの運転に慣れた者がいた。族のリーダーは別の男だったが、彼がいなければ成し得なかった犯罪だった。
しかしこの男は結局、窃盗容疑で公開指名手配されたあげく、警察発表によれば、静岡県富士川町で拳銃自殺した。被疑者死亡で送検となってしまったため、犯行を最初に思いついた首謀者が誰なのか今ひとつ曖昧なまま現在に至っている。
枕が長くなってしまったが、今回、体験談を寄せてくださったのは、この自殺した容疑者に繋がる人物だ。
現在は30代後半になるというその人の風貌や肩書からは、荒っぽい連中に結びつきそうな雰囲気は微塵も感じられなかった。昔の交友関係について、どこにもバレないように気をつけてほしいと私に釘を刺したうえで、こんなふうに話しはじめた。
「私の友だちの梶原という男は、元は暴走族の幹部でした。でも、ハタチの頃に足を洗って、まともな職につきました。
2006年の冬の夜のことです。
そのとき梶原は30歳になる少し手前で、昔は不良だったのが嘘みたいに、すっかり普通の社会人として生活していました。いつものように仕事を終えて、自家用車を運転して自宅に帰る途中だったそうです。と、そこへ助手席に置いていた彼の携帯電話に非通知で電話がかかってきました......」
怪訝に思いながら、わけもなく胸騒ぎを覚えて、梶原さんは路肩に車を停めて電話に出たのだという。
「はい。どちらさまでしょうか?」
しかし電話の向こうは応えない。呼吸をしている気配があるばかりで、その息遣いが妙に荒い。全力で走ってきたばかりのようでもあるし、ひどく興奮しているかのようでもある。
とにかく尋常ではないから、不気味だ。
梶原さんは「悪戯なら切りますよ」と言った。
だが、初めに感じた胸騒ぎが収まらず、ひょっとすると、助けを求めて電話をかけたものの、喋ることもできないほど苦しんでいるのではないかと想像してしまって切りづらくなり、
「大丈夫ですか? もしもし? 誰ですか? もしもし!?」
と、何度か強く呼びかけた。
すると、弱々しい声が。
「助けて」
若い男性のようだ。ああ、やはり救助を求めて電話をかけてきたのだ。番号を知っているのだから、きっと自分の知り合いだろう。
「きみの名前は? どこにいるんですか? 答えてくれないと助けられないよ! もしもし?」
梶原さんは一所懸命に相手の名前や所在地を聞き出そうとした。
ところが電話の向こうの声の主は彼の問いかけには少しも答えない。
「助けてください! イヤだ! 助けて!」
「だから、きみは誰なんだよ? いったい何が起きてるんだ?」
「お願いします! ごめんなさい! すみません! 助けて、助けて!」
「おい? ちょっと! 大丈夫か? もしもし!? もしもし!!」
何かわからないが、電話の相手は、非常事態に巻き込まれているようである。誰かに脅されて命乞いをしているとしか思えない。
「ごめんなさい! イヤだ! 助けて、助けて、助けて!」
問いかけても答えず、一方的に助けを請われるだけだから、ただもうハラハラしながら聞いているしかない。そのうち、梶原さんはなんだか昔の知り合いにこんな声の奴がいたような気がしてきた。
――暴走族仲間だった山下。
「山下? もしかして、山下、おまえなのか!?」
しかし相手は、あとはもう、「助けて」と繰り返すばかりだった。
鼓膜が破れそうな死に物狂いの大音声を張りあげて、
「助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助け」
そして、唐突にパンッと乾いた破裂音がして電話は切れた。
梶原さんはドキドキしながら、すぐに古い友人のTに電話した。
Tは、梶原さんが知るかぎりでは、山下と最も親しかった。それは昔の話だったが、もしかすると今でも繋がりを持っている可能性があると考えたのだ。
しかし、Tの口から出たのは意外な話だった。
「山下なら、3年前に自殺したじゃないか。ATM荒らしで指名手配されて、富士の樹海の近くで」
あまりのことに梶原さんが絶句すると、Tは続けて、「おまえだけじゃないよ」と言った。
「え?」
「電話がかかってきたの、梶原だけじゃないんだよ。山下が非通知で電話をかけてきて助けてくれと言ってひとしきり泣き喚いたかと思ったら、最後はパンッと音がして切れる。みんな同じだ。何人もいるんだよ」
「Tも聞いたのか?」
「うん。俺のところにもかかってきたよ。でも山下は自殺したんだ! 3年も前に死んでるんだ! だから俺は忘れることにした。おまえも、もう忘れろ」
「待ってくれ! 自殺? 最後のあの音は? 山下は拳銃で自殺したのか?」
「......らしいな。ともかく忘れろ!」
誰かに処刑されたのか――
梶原さんはいつもニュース番組や新聞の報道はヘッドラインを押さえておく程度で済ませていた。そのため、重機を使った窃盗事件があったことは知っていたが、自分が知っている人間が犯人の一味で、しかも拳銃自殺したなんて、思いもよらないことだった。
だから半信半疑でインターネットで検索して事件について調べてみた。
すると確かにTさんが話したとおりだとわかってしまった。そこで、あらためて衝撃を覚えたのだった。
梶原さんがよく知っていた暴走族の少年・山下は、山下容疑者として、3年前に拳銃で胸を撃って死んでいた。心臓を撃ち抜いて、ほとんど即死に近い状態だったそうだ。
さらに、梶原さんは、山下が暴力団の関係者になっていたことも突き止めた。そして、もしかしたらヤクザに処刑されたのではないかと、想像してしまったのだという。
それまで調べ物をする間、あの電話の声がずっと鼓膜にこびりついていた。
「ごめんなさい! イヤだ! 助けて助けて助けて助けて!」
自殺が有力説のようだが、死にたくなかっただろうと思わないわけにはいかなかった。
そのうち、山下の哀れな叫び声が夢に侵入してきた。
その悪夢の中では梶原さん自身が必死で命乞いをしていた。そして手にはずっしりと重い拳銃があり、銃口を自分の胸に押し当てていた。
「......パンッと撃ったところで、悲鳴をあげて目を覚ますのです。冷たい汗をびっしょりとかいていて、しばらく胸の動悸が止まない、そんなことが何度かあって、梶原は携帯電話を機種変更して番号も変えてしまったんだそうです。
それで山下の霊を振り切れるかどうかは、わかりませんよね? でも効果はあって、電話を変えたら、悪夢にうなされることはなくなりました」
私は、「あなたが梶原さんなのでは?」と訊ねたい気持ちをこらえた。機嫌を損ねてこのインタビューを台無しにすることを恐れていた。それにまた、そんなことを確かめても意味がないと考えた。
「もう、再びそういう電話がかかってくることはありませんか?」
「はい。......そう聞いています」
「そうですか。たいへん興味深いお話をお聞かせいただいて、本当にありがとうございました。取材させていただいた御礼をお送りしたいのですが?」
「結構です。要りません」
私は、この人は私からの連絡を拒むつもりだろうと思った。彼は、過去を断ち切る最後の仕上げとして、私にこの話をしたのだ。
山下容疑者と思しき男から非通知の電話が梶原さんにかかってきた日は、もしかすると2月28日だったのではないだろうか。
冬のある日だというし、2003年のその日が山下容疑者の命日なのだ。
いや、2月の末なら春かしら......。
まあ、いい。偶然の符号を追い求めても仕方がない。
私が独自に調べるうちに山下容疑者が右翼系の政治結社を組織していたことがあり、その政治結社の中では警察が発表した彼の死の経緯に疑義が唱えられていることもわかった。
また、職務質問に遭って車で逃走し、車中に7時間余り籠城したことも、立て籠もる間ずっと「家族に会いたい」と包囲する警察官たちに訴えていたことも、事件当時の報道で読んだ。
しかし、山下容疑者が殺されたのか自殺したのか、一介の怪談作家にすぎない私が知ったところで何がどうなるという話でもあるまい。
梶原さん......もとい、この話を語ってくれたあの人は、話の途中で、「自業自得」と吐き捨てるように言っていたっけ。
「あいつがどんな死に方をしたところで、もう誰にも助けられないし、自業自得なんですよ!」
ああ、この人は、自業自得と言われるような破目に陥らないように、暴走族をやめてから、並々ならない努力をしたのだ、と私はそのとき思った。
Tさんをはじめとする電話を受けた他の仲間も、きっとみんな苦労して人生を立て直したのだろう。
でも全員が、一歩間違えたら自分も重い罪を犯し、悲惨な死に方をしたかもしれないと思わずにいられなかったはずだ。
いつものことだが、このお話に登場する人名は、故人も含めて、すべて仮名だ。年月日と事件の概要は、新聞報道と警察発表に基づいている。(川奈まり子の奇譚蒐集・連載【十四】)
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