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日本唯一の刺青専門資料館に行ってみて思う「りゅうちぇるのタトゥー」問題|Mr.tsubaking

TABLO / 2018年9月13日 11時50分

 タレントのりゅうちぇるがタトゥーをSNSで公開したことで、タトゥー文化の是非にまで賛否が及んでいる昨今。そこで今回は、珍スポットからその歴史に迫り、考えてみることにしましょう。

 横浜駅からほど近い場所に「文身歴史資料館」はあります。


 彫師の三代目彫よし氏が40年以上の時間をかけ、世界中からあつめた刺青に関するものを展示する資料館です。来館前日に電話をかけて訪問の旨を伝えると「では、その時間は開けておくようにしますね」との返答。
 珍スポットの多くは「肥大化した個人の趣味」であるため、ネットの情報を信じて訪れても、その方の本業を理由にフラれてしまう場合がよくあるのです。

 伝えておいた時間に、資料館の前から電話をすると、二階のタトゥースタジオから一人の男性が降りてきて、資料館を開けてくれました。
 少しのすえた匂いが鼻をつきます。パチパチっと男性が館内の電気をつけてくださいましたが、展示を見るための博物館のような照明ではなく、茫洋とした倉庫のそれによって展示品が照らされます。
 まず、入り口で迎えてくれるのがこちら。


 いかつい表情ながら、その奥に潜む子供のような愛らしさ。しかし、さらに見ていくとその愛らしさに隠れてズル賢さのまで感じられます。仏像ファンならば、一目でこれが籔内佐斗司作品であることに気がつくでしょう。そうでなくとも「せんとくんの作者」と言えばお分りいただけるかと思います。


 全身に紋々の施されたキティちゃんを眺めてすすむと、ヴィレッジヴァンガードかと思うほどに、大量の展示品がギチギチに詰まっているのが見えます。


 こちらは中国製の人形。
 中国における刺青の歴史は紀元前の呉越時代。およそ3100年ほど前の文献に、呉の国王が顔に刺青を施した記録が残っています。これは、中国南部に暮らした海民の「鯨面」という風習を真似たもので、国王が故郷である北部へは帰らないという決意を表したものでした。
 その後中国では、刑罰の一つとして刺青が使われるようになり、それが儒教とともに日本へやってきて、大宝律令や養老律令にも大きな影響を与えました。

 りゅうちぇるを批判する人の一部に通底する「刺青=悪」という思考のルーツはこの辺りにもあることがわかります。

 個人で集めたとは思えないほどに世界中の施術用の器具がならんでいるショーケースを過ぎると、ギョッとするようなものが見えてきます。


 刺青のはいった人間の頭部。ミイラとなっていますが生々しさが伝わってきます。
 見た目のインパクトはものすごいですが、人刺青のルーツを知る上で重要な資料でもあります。
 ポリネシア地方、中でもサモアでは属する部族、既婚や未婚、社会的地位、そして信仰する神様など、さまざまなものを刺青として顔や体に刻みました。これはトライバルタトゥーと呼ばれ、刺青のルーツの一つとされています。
 痛みとは切り離して考えられない刺青。古代ポリネシアの人々は、結婚するときや、社会的地位が変わるとき、また、信仰の深度が増したときなど、人生の節目にその痛みと向き合うイニシエーションを行い、自らの属性と個人性を作っていったのです。


 これは遠い昔でも遠い外国でもなく、ほんの数十年前の日本の写真です。りゅうちぇるを擁護する人々でさえも、この集団に出くわしたら怯んでしまいそうな写真ですが、ここからも、タトゥーへの賛否が分かれる歴史が見えてきます。

 日本は山と海の豊かな国土です。そのおかげで古くから、農民と海民が共存して暮らしていました。
 農民は田畑をつくり、作物を育て収穫し、その間に利用する水も水路を作って田畑へ導きます。つまり「制御された自然」とともに生きているのです。
 一方海民は、もっと荒々しい自然に向き合っています。落水すれば命の保証のない海へ漕ぎ出し、漁へでます。そこにいる魚は稲のように従順ではありませんし、まして海民の中には、糸や網を投げるだけでなく、自らの体を海に放り出し潜水して漁をする者もいました。荒ぶる海に直接さらされ揉まれる漁師の肌はもはや「自然の一部」。

 ここから、農民は自らと自然を分けて捉え、皮膚を「自然との境界線」と考えました。しかし、自らの肌を自然の一部と感じながら生きる漁師は、その境界線に針で穴を開け大胆なデザインを彫り込んで、野性的な自然の力を体内に侵入させたのです。

 この農民的感覚と海民的感覚の違いもまた、賛否が分かれるルーツとなっているのです。


 日本においては、沖縄県を中心に「針突」という刺青の文化がありました。
 女の子が12〜13歳になると手の甲や肘に竹針で刺青を入れはじめ、結婚するタイミングで完成に至るという、女性の通過儀礼です。女性差別や虐待に感じる方もいるかもしれませんが、決してそのようなことはなく、魔除けや地域の誇りとして入れられ、はじめて針突を施す際にはお祝いをしたといいます。
 琉球王朝時代からのこの伝統も、明治時代には禁止令が出されました。しかし、文化はすぐに死ぬことはなく、昭和の初め頃までは密かに続いていました。そんな針突を入れた女性も2016年に最後のお一人が亡くなり、今では見ることができません。

 現代、タトゥーの賛否を語る場では「個人の自由」について多く議論されます。どちらの意見にせよ、それだけでは不足があるのです。なぜなら、世界各地で形や思いを変えながら連綿と繋がってきた文化でもあるからです。それを感じられる珍スポットでした。(Mr.tsubaking連載 『どうした!?ウォーカー』第17回)


■文身歴史資料館
神奈川県横浜市西区伊勢町3-123
火曜休館
入館料:1000円

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