福島第一原発事故 10年目で出て来た新事実 「フクシマ・フィフティー」のアナザーストーリー 第5回(インタビュアー│奥山俊宏、久田将義)
TABLO / 2021年3月12日 6時0分
事故直後の福島第一原発内。
1号機爆発。東電社員が「ブローアウト!」と叫ぶ。「パカーンみたいな、あんまり重い音じゃないんですよ。要はそれだけもろくできてるんで。抜けてもいいようにできてるんです」(福島第一原発作業員)
■12日午後、1号機爆発に遭遇
2011年3月12日午後3時36分、1号機の原子炉建屋が爆発した。
奥山:1号機が12日午後に爆発しましたよね。そのときはどちらにいらしたんですか?
マサ:12日の朝イチにやって、サーベイ受けてきて、「あなた方はちょっとこっちに行ってください」って言われて。で、汚染の度合いが、もうバックが上がりすぎて構内では計れないので、ぼくらだけじゃなくてけっこう何人もいたんですよ、ほかの業者の人たちも。10人、15人ぐらいいたのかな。
で、「みなさんは申し訳ないですけど、バックの低いところまで行って、身体サーベイ、もう1回やりますから」って言われて、12日の午前中のうちにバスに乗せられて、川内村まで行ったんです。バスに乗って。で、「ここでもう1回サーベイしましょう」っていうことで、川内村まで行って、バスから降ろされて。ひとりぐらい降りたのかな?、それで計ったんだけど、やっぱダメで。
【周囲の環境の放射線量が高いと、その中では、その人の汚染の度合いを測定できなくなる。福島第一原発構内はすでに線量が上がっていたため、個別の汚染の測定が難しくなっていた。「きれいになったかのサーベイがここじゃできない」と彼は言い渡され、バスに乗せられた。そして、福島第一原発から内陸に向かって20キロほど離れた川内村に線量の低い場所を探しにいくことになった。バスには20人ほどが乗っていたという。】
久田:ダメっていうのは高いってことですか?
マサ:やっぱ高い。汚染してる。
奥山:川内村のバックグラウンドはまだ高くないんですよね。
マサ:バックグラウンドは高くないですけど、こっちがダメで。「汚染してますね」っていうことで。構内にいると判断ができないものを、バックグラウンドが低いところまで行って判断できるようになったっていうことで、「ああ、やっぱりダメだね」っていう。
久田:川内村はまだ低かったんですか?
マサ:そのときはまだ大丈夫だったんです。そのときにはそのバスには東電の保安の放射線管理のほうの人がひとりついて、バスの中に15~16人。業者の人もいるし、東京電力の人もいるしっていう状況で川内村まで行って、「やっぱダメですね」って、1Fにもう1回戻ってきて、バスから降りたときにドーン。
奥山:1号機が?
マサ:免震棟の前の駐車場で。ぼくはまだ降りなかったんですけど、何人か降りたときにドーンって来て。で、座席のあいだにこう隠れて、窓から見たときに、もう窓の外じゅうはほこりと、あと保温材とかがブワーッとなってて。
久田:そのときはどういう気持ちだったですか?
マサ:そのときは何があったかわからなかったんで、「爆発?」みたいな感じですね。
久田:爆発するとかは想定してたんですか?
マサ:いや、全然してないです。ただ、そのときに中にいた東電の社員が、「ブローアウト!」って言ったんで、ああそうか、と。ブローアウトは知ってたんで。そういうことなんだと。
奥山:ブローアウトってなんですか?
マサ:ブローアウトっていうのは、原子炉の建物、RPV(原子炉圧力容器)の上の原子炉の建物の圧力が上がりすぎちゃったときに、逃がすために自動で開いちゃうんです。爆発して。そういうふうになってるんで。
奥山:パネルが外れるっていう。
マサ:そうですそうです、あれブローアウト。その状況だったんで。東電の一人が「ブローアウト!」って言ったときに、「そうなんだ、これ」っていう感じ。で、そのまますぐバスの中にもう1回乗り込んで。
奥山:ブローアウトって聞いて、それは安心する話なんですか?
マサ:そうですね、そのまま連続爆発が起こるわけじゃないし。そういうこと(連続爆発が起きるような事態)じゃないんで。圧力1回逃がしちゃってるんで。
奥山:そこでパッと理解したわけですか。
マサ:とりあえずは。でも、その保温材とかガレキとかホコリがブワーッと舞ってるのは、これ全部汚染してるはずだから、今ここにいちゃいけない、ということで、そこでも、だれかが叫んだんですよね、「バス出せ! バス出せ!」って言って、だれかが叫んで。
とりあえずバスの運転手さんも、「うわ、ここにいちゃいけないんだ」っていうふうになって、ブワーッとバスを構外のほうに1Fから外へ。そのときには東電の保安の人も乗ってたし、みんなまた乗ってたんで、東電の人同士が話をして、「どうするどうする?」みたいな話をしてるのを、ぼくらは聞こえないですけど、そこで話をしてて。そしたらその人が、「これからとりあえず2F(福島第二原発)に行きます。いったん避難のために2Fに行きます」っていうことで、2Fまで向かって。
奥山:それは放射線管理の人ですよね?
マサ:そうです。
奥山:爆発の音はどんな?
マサ:音はわりと軽いんですよね。パカーンみたいな、あんまり重い音じゃないんですよ。要はそれだけもろくできてるんで。抜けてもいいようにできてるんです。ホントに強固なものがそれ以上のものに壊されるみたいな感じではない感じなんで。ほんとに「抜けたなぁ」みたいな、いう感じですね。
奥山:ポコーン、みたいな、パカーン、という感じなんですね。
マサ:そうです。それのすごい大きい音。
【東電の当時の記者への説明によれば、1号機の原子炉建屋の最上階は鉄骨に鉄板を張り付けた構造になっており、爆発の被害を受けたのはそこだった。建屋の下部の鉄筋コンクリート造の部分に大きな損傷はないという説明だった。
彼がいた免震重要棟の前の駐車場は1号機の原子炉建屋から直線距離で350メートルほどの近さだった。】
奥山:バスの中で外にいろんなものが吹いているのが見えたっていうのは、それは何色に見えるものなんですか?
マサ:茶色ですね。茶色いものがこう、砂ぼこりみたいなのが茶色いものがバーンとなったあとに、あとから保温材みたいなのがフワフワフワーッみたいな。
奥山:保温材は何色みたいなんですか?
マサ:保温材も茶色っぽいというか。もともとは白系なんでしょうけど、そういうものがフワフワフワーっとたくさん舞ってるような。
奥山:衝撃っていうの?
マサ:衝撃はあんまりなかったですよ。免震棟の外側の駐車場で、こっちが1号機ですから、ここがドーンといったわりには、ここのバスの窓ガラスは全然割れないですし。
奥山:免震棟があってそのこっち側(免震重要棟をはさんで1号機とは反対の側)なんで、直接の衝撃は受けない。
マサ:そうです。
奥山:免震棟の屋根越しというか、上から。
マサ:そうです、上からブワーッと来る感じです。ぼくらはこう見上げてる感じですから。通路に下になって。
奥山:特に臭いとかがあるわけではない?
マサ:なかったですね。
奥山:「これはブローアウトだ」って言った東電の人は、同じバスに乗ってる人ですか?
マサ:乗っていました。
奥山:放射線管理の人?
マサ:じゃなくて、その人はメンテナンスのほうの担当の人間です。
奥山:その人は誰かから連絡を受けてそう判断したんじゃなくて?
マサ:自分で。本人が言いましたね。すぐ言いましたから。
久田:ブローアウトだからイコール安全だっていうことを言いたかったんですかね?
マサ:いや、違うと思います。その現象がブローアウトだっていうことだけだと思います。
奥山:それは音で判断したんですかね?
マサ:音で判断したのか、ある程度の「圧力が高まるよ」っていう情報があったのか、それはちょっとわからないですね。「圧力が高まりつつある」という情報を得てたのかもしれないし。ただ、彼は汚染してる状況なんで、ぼくらと同じ状況なんで、動けない状況にあったのかもしれない、ただ電話では連絡が取れたのかもしれない。そこはちょっとわからない。
奥山:原因が水素だっていうことは、その時点ではわからなかったんですか?
マサ:わからないですね、ホントにその「ブローアウト!」っていう言葉だけで、内容的にはそれ以上はない。
奥山:1号機かどうかっていうのは……何号機かは見えない場所ですよね。ただ、1号機だろうとは……
マサ:そうですね。まあ、一番近いところで一番近い形だったんで。向こうのほうじゃなかったんで。1、2、3、4といくとだいぶ遠くなっちゃうんで。免震棟の裏でドーンっていう感じだったんで、やっぱり1号機だと。
奥山:双葉町長が同じようなことをおっしゃってるんですよね。双葉町の役場って3キロぐらい離れてるんですかね。やっぱり断熱材みたいなのが雪みたいに降ってきたって。
【東京電力が2012年6月に公表した報告書(東電事故調報告書)は別紙の中で、1号機爆発時に現場にいた同社員の「現場の声」を次のように紹介している。
「消防車の窓が爆風で割れて,それからスポーンと(瓦礫が)とんできた」「ものすごい音で,爆音と共に,中が浮いたみたいな感じになった」
「なんの前ぶれもなく突然中央制御室全体がごう音とともに縦に揺れた」
「ドンと音がして,縦揺れがあって,天井が落ちてきた。地震かと思った」
「突然「ドガーン」とものすごい音と共に天井のルーバーが外れ中ぶらり」
門田隆将氏の2012年の著書『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』によれば、1、2号機の中央制御室にいた主任の本馬昇氏は「いきなり押しつぶされるような、ものすごいドーンっていう音と揺れ」に思わず床にへばりつき、免震重要棟の玄関右の待機室にいた自衛隊郡山駐屯地の渡辺秀勝曹長は「一門じゃなくて十門くらい並んだ火砲を一気にドーンと撃ったような感じ」に爆発音を聞いたという。
共同通信の高橋記者の2015年の編著書『全電源喪失の記憶』は爆発音について「ポンッ」という「大きな乾いた音」と描写し、免震重要棟の入り口近くで作業員の列に並んでいた梅松氏の言葉として「軽い音だった」と紹介している。
福島第一原発の免震重要棟と東電本店や福島第二原発、大熊町のオフサイトセンターなどをつないだテレビ会議の画面のうち、免震重要棟の緊急時対策室を映し出していた画面は、午後3時36分、縦に揺れた。あわてて上を見上げる人、頭の上から落ちてきた天井材をはらう人、天井の方を指さす人たちの姿がその画面に続けて映し出された。
東京新聞原発事故取材班の2012年の著書『レベル7 福島原発事故、隠された真実』によれば、免震重要棟にいた福島第一原発の角田桂一報道グループマネージャーは、突き上げるような激しい揺れに、またしても余震が来たと思いつつ、「でもちょっと揺れが違うな」と感じたという。
同原発から5キロ離れた大熊町役場では、東京新聞の『レベル7』によれば、鈴木久友・総務課長が「パーン」という乾いた音に思わず振り返ったという。
ジャーナリストの烏賀陽弘道氏らの取材に応じた井戸川克隆・双葉町長(当時)の話によれば、井戸川氏は双葉町役場で「ズン」という鈍い音を聞いたという。役場は1号機から北北西に3.4キロほど離れた場所にある。井戸川氏の話によれば、「数分して、断熱材(グラスファイバー)のような破片がぼたん雪のように降ってきた」という。】
マサ:あの日、けっこう風は吹いてるんで。北風か北西の風だったんで、たぶんあっち側には。
奥山:音については生で聞いた人はほとんどいない。
マサ:じつは軽かったんです。そんなに「すごい」っていう感じじゃなかった。
奥山:それは貴重なお話ですねぇ。
マサ:その音を聞いてビックリするとか、もうヤベえとか、ドキドキするとかっていう感じじゃなくて。その音があったおかげで、すぐ「ブローアウト」っていう話があって、「バス出せ、バス出せ!」って話になっちゃったんで、ぼくらは何もないですよね、流れに任せてるというか、それしかないんで。
奥山:で、2Fに行った。
マサ:それで2Fまで行ったんですけど、2Fの正門で、入れてくれないんですよ。また保安の人が話をしにいって、いろいろ話してるんですけど、入れてもらえない。とりあえず、ここで待機。正門の前のところで待機。で、誰かが「トイレ行きたい」とか、「外に出ても大丈夫?」って言っても、「いやいや、出ないでください」。出れない。で、そこにいるしかなくて。でもその時間は2、30分かな。3、40分かな、それぐらいしてから、その人がまた連絡を取って、「戻れるようです」という話になって、で、1F(福島第一原発)に引き返したんです。
奥山:なら2Fには入らずにですか。
マサ:入れない。入れてもらえなかったんです。
奥山:入れてもらえない理由っていうのは?
マサ:たぶん、ぼくらの汚染のオーダーっていうのは、それを広げるわけにはいかないので。たぶんバスの中だけで収めておきたいっていうことだと思うんですよ。ぼくらはオーダーとかも聞かされてないんですよ。どの程度っていうのを聞かされてないんで。だからぼくらはその状況でも隔離の状況にあって、外にも出ちゃダメだっていう。汚染を広げさせられない状況の中の、たぶんその15~16人です。みんな同じ状況。でもう、そのまま1Fに帰るしかなくて。1Fに戻ってからは、もう1回またその部屋に戻されて。
奥山:最初に隔離された部屋に?
マサ:そうです。部屋に戻されて、その晩は何もないですね、そのまま隔離状態。
奥山:11日の夜も12日の夜も泊まったわけですね。15日朝までずっといたわけですね。
マサ:ずっといました。
奥山:その晩、12日の夜はそこで泊まられて、13日は……。
マサ:で、13日の朝になって、「このまま俺らこうしててもしょうがないから、ちょっと東電と掛け合おう」と。このままじゃ、ここにいてもしょうがないんで、「今どういう状況なの? 自分たちの仲間のいるところに戻りたい」と。でもう、そのときには、これはまた想像なんですけど、ぼくらが汚染してるオーダーよりも全然上がってきちゃって、もうどうでもよくなった感じなんですよね。11日までは、「こいつらすごいヤバい」っていうのが、逆に環境のほうがヤバくなってきちゃって、「もうこいつらかまってらんないよ」みたいな感じになって、13日の午前中の9時か10時ぐらいに話をして、1時間ぐらいたってからは「もういいです、戻ってください」って言われました、何もなく。
福島第一原発構内では12日昼ごろから平常値の千倍に相当する時間あたり数十マイクロシーベルトの放射線量を測定するようになり、13日にはそれが恒常化し、数百マイクロシーベルトの線量を測定することも増えていた。
奥山:戻るのは、事務所に。
マサ:事務所っていうか、免震棟の中の会議室に。みんな仲間がいるところに戻っていいですっていうことで。
久田:そこにかたまって、そこからはみんな出てこないんですか?
マサ:その免震重要棟の緊急対策室には常時、人はいるんですけど、出入りとか自由ですし、何も制約とかはないです。
久田:吉田さんもそこにいたんですか?
マサ:吉田さんも当然いますし。吉田さんはタバコ吸う人なんで。で、その緊対室ではタバコ吸えないんで、で、そのときには喫煙室があったのかな?ひと部屋だけ。そこに来てタバコとか吸ってましたし、吉田さんも。
久田:深刻な感じでした?
マサ:いやぁ、言葉は発してないですね。何も言ってないです。
久田:一応、現場監督は吉田さんになるわけですよね。
マサ:そうですねぇ。ただ、情報としては1から6号機まで全部の情報をひとつに集めて、そのプラントごとの対策を練ってどうこうしようと思ったら、無理ですよね。吉田さん一人がいくら所長で頭にいるからといって、全部判断できるわけじゃないし。
久田:東電の本店には、それは上がってるわけですよね。
マサ:緊対室はテレビ会議とかできるシステムができてるんで。
(次回に続く)
〈インタビュー@奥山俊宏(朝日新聞編集委員 文責@久田将義(TABLO編集長)〉
福島第一原発事故 10年目で出て来た新事実 「フクシマ・フィフティー」のアナザーストーリー 第1回(インタビュアー│奥山俊宏、久田将義) |
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