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福島第一原発事故 10年目で出て来た新事実 「フクシマ・フィフティー」のアナザーストーリー 第6回(インタビュアー│奥山俊宏、久田将義)

TABLO / 2021年3月13日 6時0分

福島第一原発事故 10年目で出て来た新事実 「フクシマ・フィフティー」のアナザーストーリー 第6回(インタビュアー│奥山俊宏、久田将義)

ボロボロになった建屋。

実は第一次被害で犠牲者が出てもおかしくなかった。「3号機爆発は、命拾ったなですよ。瓦礫が当たっていたらダメだった」(福島第一原発作業員)

 

■14日、3号機爆発に隣の建屋で遭遇

3月12日夜から13日朝にかけて、1号機に続いて3号機の原子炉が冷却不能に陥った。12日昼までは、3号機は全電源喪失を免れて直流電源や緊急炉心冷却装置(ECCS)が機能したが、12日夜にバッテリー切れになったらしく、炉内の監視や制御が難しくなった。13日未明には注水が止まり、圧力が高まり、水位も下がっていった。13日朝には炉内の燃料が空気中に露出し、溶融を始めた、とみられた。1号機と同様に3号機も水素爆発を起こすのではないかと心配された。
以下の彼の話で「13日」と述べられているのは誤りで、正しくは14日のことであると思われる。

奥山:13日はそのあとどうされたんですか?

マサ:13日は9時か10時に「戻っていいです」と言われて、みんなのところに戻って、すぐ「じゃ、次の仕事」っていう話で東電さんから話がきて。今度は2号機のタービン建屋の壁に穴をあけて、電源車からケーブルを通して、で、その通したケーブルを、パワーセンターっていう電源なんですけど、そこにつないでくれっていう仕事がきて。その仕事ともうひとつ、その奥のほうにいったところの、MCCっていうもうひとつちっちゃい電源の健全性を確認してくれっていう、ふたつの仕事がきて。それをチームを組んで、10人ぐらいいたかなぁ、そのくらいの人数で車3台に乗って。で、その2号のその時点では大物搬入口があいちゃってるんで、普通のアクセスじゃなくて大物搬入口から中に入っていって。

奥山:タービン建屋の中に。

マサ:はい、中に入っていって。

【発電所内には大小さまざまな機器があり、それらを機能させる電気も高低3種類あった。6900ボルトの高電圧、480ボルトの低電圧、そして、一般家庭の電気コンセントと同じ100ボルト。1、2号機には、6900ボルトの高圧電源盤(M/C、Metal-Clad Switch Gear)が12台あったが、2号機の7台はすべて水没し、1号機の5台も水をかぶり、いずれも使用不能になった。480ボルトの低圧電源盤などをコンパクトに収納したパワーセンター(P/C)も12台あり、このうち8台は津波で使用不能になったが、2号機タービン建屋1階にあった4台(P/C 2A、P/C 2B、P/C 2C、P/C 2D)はベース部に水をかぶっただけで、「給電元のM/Cが使用不可のため受電不可」ではあるものの何とか使えそうな状況だった。MCC(Motor Control Center)は小容量の100ボルトの所内低電圧回路に使用する電源盤を指す。

福島第一原発の対策本部は、使用可能な2号機の低圧電源盤(P/C)と外部から来援した電源車を用いて、原子炉への高圧注水が可能なほう酸水注入系などの電源を復旧しようと考えた。電源車からケーブルを敷いて、2号機の低圧電源盤につなぎ込む作業が進め、12日午後3時半ごろ、準備が完了した。ところが、1号機の原子炉建屋が爆発し、敷設したケーブルが損傷し、低圧電源盤(P/C 2C)の受電が停止してしまった。彼は14日、その復旧に携わった。】

マサ:ぼくの担当は、外からつないでるやつを中につないでくれっていう仕事で。だから午後一、お昼として、午前中の遅い時間からやり始めて。で、もうひと班の健全性確認のほうと一緒に仕事をして、終わったら戻りましょうっていう話になってて。で、そのときに終わり際に、今度3号の爆発にあたって。仕事は終わってるんですよ。

奥山:3号の爆発は14日の午前11時。

マサ:13日に解放されて、3号(の爆発)は14日でしたっけ?

奥山:14日の昼前。

マサ:じゃあそうすると、半日だけ記憶があれしてるかもしれないですね。でも、逆からいくと、3号の爆発の前にその仕事をやってた。

奥山:14日の午前なんですけど、そのときは2号のタービンの建屋の中で、パワーセンターにケーブルを引く作業を。

マサ:つなぐ作業ですね。

奥山:もともと、ケーブルは12日にずっと作業をやってて、穴あけて通したところで1号の爆発があって、それが壊れたっていう話になってるみたいなんですけど、それを直す作業を?

マサ:そうです。たしかに、ダメな部分を切って、つないでるのが日立か東芝のメーカーがやってて。つないだものを、さらにつなぐのがうちの仕事なんです。

奥山:最終的にパワーセンターにつなぐ作業?

マサ:それはうち。そこのケーブルのジョイントをするのは、たしかメーカーさんの仕事です。

奥山:パワーセンターそのものは、2号機のタービン建屋に生き残ってるものがあったわけですよね?

マサ:そうです。

奥山:MCCも生き残ってたんですか?

マサ:MCCはたくさん群(ぐん)があるんで、その中のリアクター(原子炉)の……わかんないですけど、注水系のバルブをあけたいために、そのバルブの電源がMCCにあるんで、その健全性を確認して、よければ入れてあけたいっていう、たぶんそういう状況だったと思うんですけど。その電源の健全性の確認。

奥山:それは2号の?

マサ:それは2号です。

奥山:それをやってる途中で……。

マサ:やって、こっちも終わって、ぼくらも終わって、「じゃあみんなで出ようか」っていうところでドーンと3号が爆発したんで。で、みんなでまたタービン(建屋)の奥に戻って。

奥山:(タービン建屋を)出る前に爆発したわけですか?

マサ:出る前でよかった。ホントに出る前でした。

奥山:隣ですもんねぇ。

マサ:ぼくなんかのほうがちょっと早く終わったんで、ホントは出ようと思ったんだけど、出たほうが線量が高いんで。中にいたほうが線量が低いんですよ。だから待ってたんですよね。こっちが来るのを。そのタイミング外してたら、たぶんガレキに当たってたと思うんで。

奥山:2号のタービン建屋の天井とかに(ガレキが)突き刺さったようになってますもんね。

マサ:そうですね。2号があって、3号があって、ここが大きい道路で隔たれてるだけなんで、何もないです。ぼくらはここから車でこういうふうに来て、2号のほうで作業して、車に乗ってこれを通って、この3号とのあいだを通って帰ろうとしてたんで。

奥山:そのとき音はどうでした?

マサ:3号のほうが建物の構造上、大きいんで。あと壁厚とかも厚いんで、3号はホントに、もうほんとに、聞いたことがないというか、経験したことのない爆発音です。建屋の中にいたんで響いたかもしれないですけど。ホントにもうすごいです、ドカーン!と。

久田:映画でいう爆発みたいな?

マサ:ホントに映画みたいな。

奥山:耳をつんざくという感じですか?

マサ:それよりも、もっと低い音ですね。

奥山:ドーンという音ですか?

マサ:音的な種類でいえばドーンなんですけど、もっと速い感じですね。ドーンじゃなくて、ダーンッ!いう。

奥山:隣ですもんね。

マサ:そうですね。

奥山:衝撃は?

マサ:それはなかったですね。

奥山:音だけ?

マサ:音だけ。

奥山:目に見えるものはないわけですよね、タービン建屋にいたから。

マサ:そのときは。でも大物搬入口がもう抜けてますんで。で、ぼくらがこっちに入ってて待ってるときに、帰ろうとしたときにドーンっだったんで。で、いったんまた中に入って。で、大物搬入口は見えるんで、直線なんで。向こう側が海で。見えるんで外が。

奥山:東側に向かってあいてるわけですね?

マサ:ええ、外は見えるんで。そのときはブワーッていう真っ茶色な、外は。すごい状況になってて。は見えましたね。ドカーンのあとにその状況は。

奥山:そのときも何が爆発したのかはわからないわけですよね。

マサ:わかったのは、「3号だろう」っていうことだけですよね。

奥山:それはブローアウトかどうかっていうのは。

マサ:いや、音の質が違いすぎたんで、わかんなかったですね。

奥山:その現場には東電の人はいたんですか?

マサ:いましたよ。

奥山:何がなんでどんなふうに爆発したのかっていうのは。

マサ:いや、何もないですね。それはあまりにも衝撃と音が近すぎて、「どうすんだ? どうすんだ?」っていう。

久田:パニックですか?

マサ:パニックっていうか、固まってますよ。「え、何?」みたいな。みんなでかたまっちゃって。

奥山:3号が爆発するんじゃないかっていう話は、爆発の前からあったと思うんですが。要するに1号と同じようになるんじゃないかっていうのは。その話としては当時は?

マサ:ないですねぇ。ぼくらは全然そういう感覚的なものがないんで、情報がないんで。

奥山:1号がダメになって、今度は3号がポンプが止まって注水が止まったとかっていう情報っていうのは?

マサ:わかんないです。プラントの情報は一切わかんないです。

奥山:2号は当時はポンプがまだ回ってたと思うんですけど、そういう情報もなかった。

マサ:ないですね。プラントの情報は一切ない。

【3号機は、13日に冷却できなくなったため、1号機と同様に炉心で水素ガスが発生し、原子炉建屋内にそれが溜まって、爆発する恐れがあるとの認識があらかじめ東電社内外に広く共有されていた。建屋内の水素ガスを外に出す方法として、「ウォータージェットによる原子炉建屋壁への穴開け」が検討され、14日午前零時ごろ、そのための機器がメーカーに発注されていた。
大物搬入口というのは、機器を搬出入するトラックが出入りできる大きさがあり、原子炉運転中はシャッターで閉じられている。彼がいた2号機タービン建屋の大物搬入口は建屋の中でも最も3号機に近い場所にあり、道路を挟んで3号機タービン建屋の並びにある。3号機原子炉建屋の北東角との直線距離は80メートルほど。】

奥山:3号が爆発する恐れがあるっていうこともご存じなかった?

マサ:わかんないです。あれねぇ、東電の賠償になんか足してくれないかなとか思ってて。そんなとこに行かされたぼくらは(笑)。

奥山:そうですよね。しかも、知らされもせずに。

マサ:冗談じゃねぇなと思って。

奥山:自衛隊の人がケガして、なんにも知らされてなかった、ということで。

マサ:自衛隊の人もいましたし。3号の爆発のときには、ぼくら、それから、メーカーの人、それから、自衛隊は注水やってた人、それぞれいて。逃げるルートは同じとこなんで、みんなで一斉にいろんな人がそこのところを、2号と3号のあいだのガレキの上をみんなで走って逃げて。

奥山:それは、しばらく収まるまでどれくらいの時間を置いたんですか?

マサ:あのときドカーンといったあと逃げて、「なんなんだ」って外を見たときに真っ茶色になってたんですけど、ちょっと様子を見てるうちに、あのとき風が強かったんで、フワーッとなんにもなくなったんですよ。きれいになって。で、誰が言ったかわかんないですけど、「今だ!」っていう声が聞こえて、一斉にそこから逃げた。

奥山:その2号と3号のあいだにほこりがワーッともやってたのが、風で?

マサ:そうです、たぶん消えたと思うんです。ぼくらは大物搬入口しか見えてないですけど、なくなったんで、「今だ!」って誰かが言ったので、そこから屋外のガレキに。

奥山:2号と3号のあいだを走ったわけですか?

マサ:走った。たしかに、そのときには何もなかったですね、ほこりもなにも。きれいな感じでしたね。いい天気だったんですよ。覚えてます。全然、目の前はガレキだらけだったけど、ほこりとかは一切なかったです。そこをとにかく走って逃げるばっかりで。

奥山:3号の建屋は見ました?

マサ:見てないです。見えたのは、自分たちが乗りつけた車がガレキでグジャグジャになってるのだけは見えたんです。そのときは3号は見なかったです。一目散に前だけ見て、坂を歩きましたね。

奥山:2号と3号のあいだを抜けて。

マサ:そう、免震棟側にずっと、とにかく行くしかない。免震棟に帰るしかないんで。そのときも、ぼくら含めて40人から50人ぐらいの人数いますから、2号と3号のあいだをみんなで走ってるんですけど、あちこちからみんな持ってるアラームが鳴ってて鳴っててすごいです、あっちもこっちも。

久田:ピーピー鳴ってるんですか。

マサ:そうです。その音しか記憶にないですね、音的なものは。あとは自分の呼吸音と。マスクしてるんで。自分の呼吸音とまわりのアラームの音しかない。

久田:他の皆さんのも鳴ってるわけですよね。

マサ:鳴ってたと思う、自分のはわかんないですけど。でも、マスクつけてそんなに走れないんで。30メートルちょっと、ガレキを越えたぐらいのところでみんな、「もう走れねぇ」みたいな感じで。あとは歩きましたけどね。それが14日ですね。俺、半日か1日かちょっとあれがあるんですけど。

奥山:ちょっと話は戻るんですが、2号のケーブルの接続は、ほぼでき上がってたわけですよね。

マサ:それはもう終わってました。終わって帰るときの話なんで。

奥山:実際に電気を通すっていうところまではしてなかった?

マサ:それは2号と3号のあいだに電源車を置いて中に引いてるんで、3号が爆発した時点で全然使えなくなっちゃった。やったことは全部無駄になっちゃった。

奥山:電源車も壊れた?

マサ:そうですね、あとから行って見たときには、電源車から建屋に引き入れたケーブルにガレキが突き刺さってて、とてもじゃないけど使える状況になってなかったです。だからミッション的には何も成果なしです。

奥山:3号機が爆発しなければ、2号機をその電気で救えてたかもしれないですね。

マサ:たぶんできたかもしれないです。

奥山:1号機の爆発で壊れたものを直したっていうことですよね。

マサ:ぼく、5日間で自分が行った現場で、成果はひとつもないんですよ。1回目は途中で帰ってきてるし、2回目は爆発でダメになっちゃうし。なんにもないです。

奥山:2号のディーゼル発電機がダメだったとか、あるいはバッテリーも直流電源もダメだったとか、そういうのは?

マサ:ないですないです、全然わかんないです。ぼくらは実際、なんの目的でこれをやってるのかは、あんまりよくわかってない。この電源を生かす、あれを調べてこいって言われたときに、それは何のため、何を目的としてやってるのかっていうのは説明されてないです。そんな時間もないというか。

奥山:2号のRCIC(原子炉隔離時冷却系)という炉に注水するポンプは、まったく制御のない状態だったんですけど、自然に動いてたらしいんですが、それは14日の爆発の前後ぐらいに止まったようなんですけれども、そのあたりは当時お話は聞いてました?

マサ:わかんないです。ホントにプラントの中の情報っていうのは、ひとつもわかってないんで、ぼくらは。

奥山:2号のタービン建屋の中にいて、爆発音を聞いたけれども、その衝撃、身体への振動があるわけではなかった。

マサ:ないです。ぼくらはもともと震災のような大きな地震があったとしても、どっかの事務所とかにいるよりは、建屋の中にいたほうが安全だと思ってますんで、もともと。

奥山:そのあと走って逃げて、免震棟に戻られてっていうことになる?

マサ:そうです。14日の午後に戻って、その段階で、それ以上はもう仕事はなかったですね。

2012年2月15日に久田氏のインタビューを受けた際には、彼は3号機爆発のときの経験を次のように振り返っている。

久田:どの程度の衝撃でした?

マサ:1号機って、モノがちっちゃいし古いんで、ブローアウトも薄いんすよ、すごく。だからあんまり大きいドッシリした音じゃなくて、わりと軽い、パカーンみたいな音でいっちゃうんですけど、3号は違うんで。ホントに爆発です。ドカーンッていう。

久田:1号機はブローアウトだから?

マサ:3号も同じブローアウトなんですけど、でも、つくりがちょっと違うんで。3号のほうが全然重いんですよ。僕らは隣の2号にいて、その大物搬入口の隣がすぐ3号ですから。だから2号から出ていくタイミングがもし間違ってたら、これに当たってたんですけど、たまたま当たらなかったんで。

久田:よくそこで犠牲者出なかったですね。

マサ:出なかったですねぇ。

久田:出てもおかしくはなかった?

マサ:そのときにみんな外に出てた状況だったら、みんなガレキに当たってました。でも、たまたま中にいたので。

久田:それはいま思い返せば、「命拾ったな」みたいな感覚ですか?

マサ:「拾ったな」ですよ、ホントに。あのときはタイミング的には自分の仕事は終わってたんで。車でそこまで来てたんで、戻ろうと思ってたんですよ。でも中でやってる人間がまだ終わってなかったんで、様子見に戻ったんですよ。それで助かったんです。

久田:同僚のかたもみなさん同じような感じだったんでしょうかね、九死に一生じゃないですけど。

マサ:逆に外に出てたほうが線量が高いんで、建屋の中にいたほうが線量が低いんで、待つなら中で待ってたほうがいいんです。だから終わっても中で待ってて。みんなが終わったら出ようねと待ってたんです。それで助かったんです。

久田:ホントにギリギリですよね。

マサ:ギリギリです。

久田:爆発がすごいって聞いたんですよ。飛び散った瓦礫が突き刺さってるし、みたいな。

マサ:だから乗ってきた車は3台全部グチャグチャですね。屋根はつぶれてるし。

久田:当たったらホント死んじゃいますね。

マサ:死にますよ。ドーンといったあとに、外が見えるじゃないですか。そこが一瞬ブワーッとすごいホコリだったんだけど、そのとき風がけっこう吹いてたんで。そのときにうちの会社の人間じゃないんだけど、放射線管理やってる人間もいて、「いま出ちゃダメ」って言われて。で、煙がうわっと風でなくなったときに、「今だったら行けるから」って言われて、それでみんなで一斉に逃げたんです。

14日の3号機の爆発について、東電事故調の報告書は「風圧はなかったが,風船をバンとやったみたいな音だった」「すさまじい爆発音とともに,埃が舞って真っ白になった」「ドンと音がして揺れた」「すさまじい衝撃音」などと複数の現場社員の声を紹介している。共同通信の高橋記者は編著書『全電源喪失の記憶』の中で、2号機タービン建屋にいた東電の松本光弘氏(復旧班電気設備担当)が建屋のすぐ脇に止めた業務車に向かう途中、「ズドォォォォォォン」という「重く大きな爆発音」があり、「もの凄い衝撃に体が吹き飛ばされそうになった」と描写している。
14日、爆発に遭遇して免震重要棟に戻ってきた後、彼は「もう一回、現場行ってくれる?」と頼まれたという。彼は「もう行かないよ、冗談じゃないよ!」とそれを断ったという。

(次回に続く)
〈インタビュー@奥山俊宏(朝日新聞編集委員 文責@久田将義(TABLO編集長)〉

福島第一原発事故 10年目で出て来た新事実 「フクシマ・フィフティー」のアナザーストーリー 第1回(インタビュアー│奥山俊宏、久田将義) |

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