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野党オールスターが実現した平成・民主党 今見ると凄いメンバーです 自民の支持率低下だが野党も伸びないのが世論

TABLO / 2021年6月22日 6時0分

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勢い王がないですね(撮影・編集部)

今年は解散総選挙の年だが、果たして政権交代はあるか? 日本は常に「空気」によって社会が変わっていくが2009年8月30日の衆院選では政権交代が達成された。民主党は193議席増の308議席で自民党は181議席減の119議席である。

2007年の参院選で民主党が大勝利し「ねじれ国会」となっていたが、その勢いと「政権交代」という新時代の幕開け的雰囲気が2009年夏の日本には漂っていた。

自民党はその数年前より「安倍首相政権投げ出し」「柳澤伯夫厚労相『生む機械』発言」「松岡利勝農水相光熱費問題で『ナントカ還元水』発言」「赤城徳彦農水相が事務所費問題発覚で絆創膏を顔面にベタベタ貼って会見」「福田康夫首相『あなたとは違うんです』逆ギレ辞任会見」などがあり、逆風が吹いていた。

そんな中、民主党は明るい日本の未来を「マニフェスト」という新しい言葉で示し、有権者の支持を集め、歴史的対象を果たした。マニフェストは要するに「公約」であるが、なんだか新しそうな語感があったため、メディアも国民も絶賛した。

高速道路無料、八ツ場・川辺川両ダム中止、天下り先法人の廃止、補助金改革、子ども手当の全額支給など様々な明るい未来を示した。民主党は公共事業の無駄遣い=悪、という図式を作りその後は「事業仕分け」を行なうなど庶民目線に立っているように見えたのだが、わずか3年で3人の首相が就任するなどドタバタの連続で結局2012年に再び下野する事態となった。

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東日本大震災という未曽有の災害があったことは不運ではあったものの、初期の頃の民主党は確かに期待があった。最初の組閣された内閣は「オールスター内閣」と呼ばれた。2007年の参院選での勝利以降勢いのあった民主党だが、自民党が失敗を続ける約2年の時間をかけ、ついに政権交代を成し遂げたのだ。その間、民主党の議員は国会で厳しく与党を追及。その中でも「ミスター年金」こと長妻昭氏は存在感を示した。

かくしてタジタジの与党を追及する民主党議員、といったイメージが完成し、「オールスター内閣」の誕生に至るのだ。この時は連立内閣として社民党と国民新党も加わった。この内閣の主だった面々を振り返る。

鳩山由紀夫(総理)
菅直人(副総理・経済財政政策特命担当大臣)
小沢一郎(幹事長)
仙谷由人(官房長官)
原口一博(総務大臣)
岡田克也(外務大臣)
藤井裕久(財務大臣)
長妻昭(厚生労働大臣)
前原誠司(国土交通大臣)
亀井静香(内閣府特命担当大臣・金融)
福島瑞穂(内閣府特命担当大臣・少子化対策等)

これらの人々は総選挙の前に多数メディアに登場し、自民党を厳しく追及した。だからこそ我々愚民は彼らの発する言葉一つ一つに感激し、民主党を支持した。そして蓮舫氏や枝野幸男氏といった若きスターも登場し、民主党は我々の希望となった。

この空気感が当時の政権交代に至った経緯である。

そして今はどうか? 残念ながら、あの時ほどの熱気は野党に対してはない。「オールスター内閣」は確かに名前がすぐに浮かぶほどのビッグネームが続出したが、今の立憲民主党・国民民主党には当時の民主党ほど(イメージ的に)期待できる政治家が見られない。

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ちょっと今回の衆院選、自民党、また勝つのでは……という予感がビシビシと湧いてきている次第である。政治の緊張感というものは、一時期の良き政治をもたらす。だから政権交代は時々あるべきなのに日本は一切変わらない。アメリカのように案外交互に政権が変わる方が国民にとって良いのでは。
今回も与党は「まぁ、ワシらの勝ちだなw」的高笑いをもはやしているように感じられる。そういう意味では2007年参院選、2009年衆院選は案外奇跡の選挙だったのでは。(文@中川淳一郎 連載「俺の平成史」)

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