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番長がいた時代 古書『ツッパリ』と東京都内を跋扈していた少年ヤクザ

TABLO / 2021年9月11日 6時0分

番長がいた時代 古書『ツッパリ』と東京都内を跋扈していた少年ヤクザ

『ツッパリ』。昭和50年代の「番長」たちをルポした作品。

先達には到底及ばないですがワニマガジン社に入社して『アウトロー伝説』といったムックの編集から始まって、『実話ナックルズ』やその他別冊、ニコニコ生放送などのネット配信を通じて、不良少年たちに取材も含めて会ってきました。

令和の時代、皆さんは「番長」という言葉にどういうイメージをもたれているでしょうか。アラフィフ、アラフォーの人々はヤンキー漫画・不良漫画に影響をうけている人が多いと思います。その一つは、不良漫画の革命的作品『BE-BOP HIGHSCHOOL』(きうちかずひろ著 『ヤングマガジン』講談社)です。

それ以前は本宮ひろ志先生の一連の番長漫画が少年たちを夢中にさせていました。番長漫画と不良・ヤンキー漫画の大きな違いの一つに「主人公の行動範囲」があります。番長漫画の場合、主人公の行動範囲は「日本全国」です。「日本一の番長になるんだ」というような広大な夢を持った番長が登場してくる訳ですが、『BE-BOP HIGHSCHOOL』の主人公たちの行動範囲はせいぜい数十キロといったところでしょう。日本中で喧嘩をしていたら身が持たないのと、不良少年の気質として地元を大事にするので、まずはそこを制覇するという、ロマン路線からリアル路線への転回が『BE-BOP HIGHSCHOOL』によって起こりました。

そして、「番長」という呼び方を否定する事で、余計にリアル路線を強く打ち出していきます。あるいは、当時流行していた、横浜銀蝿というロックグループのような暴走族のオマージュをことごとく潰していきます。主人公トオルとヒロシたちは「おう、番長じゃねえか。プッククク(笑)」といったようなセリフを口にし、当時の読者である少年たちは「番長って恥ずかしいんだ」とインスパイアされたものです。

恐らく、現在も「番長」という単語は使われず「番を張る」とか「アタマ」とか「トップ」といった言いまわしに代わっているはずです。そんな中、昭和56年発行の『ツッパリ』(秋元誠著)という本を入手しました。

絵本作家のぶみさんが池袋連合200人の総長だった件|文◎久田将義 | TABLO 

それには、理由がありまして自分の同級生の先輩が会長をしていた「関東番長連合憂誠会」について、調べたかったからです。そもそも「ツッパリ」も死語ですが、番長をこれほどまでに堂々と押し出していた時代があったとは感慨深いものがあります。

本の中には色々な中学・高校の番長が登場してくるのですが、「関東番長連合憂誠会」を見てみると二代目は浅草が総本部。構成員は本書によると1,000人。規模が現在と違います。その先輩の14歳の時の写真も掲載されていましたが、スーツにサングラス、パンチパーマ。中学生には思えず、いわゆる「少年ヤクザ」です。今でいう、半グレになるのでしょう。とは言え、中学生で愚連隊を作り、配下に1,000人の構成員というグループの会長(繰り返しますが中学生)というのは並みではありません。

その他にも、『ツッパリ』には大田連合、足立連合、品川連合、葛飾連合等々が登場。いわゆる、今でいう関東連合などの暴走族とは別に、学校で連帯した「連合」があった訳です。当時は、校内暴力も激しく著者の秋元誠さんは、少年たちの暴力性に興味があってこの本を上梓したのではないかと思います(その他にも不良少年・少女たちの著書多数)。

元関東連合・石元太一氏が答える 絵本作家のぶみさんが総長だった『池袋連合』について|久田将義 | TABLO 

当時、『ツッパリ』に掲載された少年・少女たちも今や50代半ば。きっと、多分、良い人生を過ごしているに違いないと願ってやみません。(文@久田将義)

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