金嬉老事件をご存知か 「ライフル立てこもり事件」の寸又峡温泉は秘境化していた
TABLO / 2022年5月9日 12時18分
すっかり秘境化していた事件現場。ゆっくりするのは良い場所です。
緊急事態宣言もまん防もない、フルオープンのゴールデンウィーク、いかがお過ごしだったでしょうか?
僕自身は久々にGWの旅行を楽しんだ。ここ2年、あまり出かけずにインドアで過ごしていたのだが、そろそろパーっとどこかへ行くか、GWの半ばにそう思い立ち、出かけたのだ。向かったのは静岡県北東部に存在する温泉郷、寸又峡温泉だった。
ここは高度成長期を代表する金嬉老事件が起こった現場。書くネタを探して日々生きているせいか、こうしたプライベートな旅でも、自然とキナ臭い場所に足を向けてしまうのだ。
登山客ぐらいしか来なかった寸又峡に温泉が引かれたのは1962年(昭和37年)。それから6年後の1968年2月20日、金嬉老(当時39)はライフルと大量の銃弾、そして大量のダイナマイトを持って寸又峡のふじみや旅館に押し入り、宿の経営者と客の合計13人を人質にとって、立てこもった。事件は日本中に報道され、全国のお茶の間を釘付けにした。
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東京から一路西へ。新幹線に乗って静岡まで。そこから東海道線の普通列車で金谷駅。そこからは、大井川鐵道に乗って南アルプス方面へ北上していく。大井川を遡上するかのように鉄道はどんどんと北上していく。終点の千頭駅でバスに乗り換え、終点で降りるのだ。
金谷駅に降りたったとき、僕は思った。大井川を遡るだけという、こんな中途半端な鉄道にいったい誰が乗るんだろう。お客さんはいるのだろうかと。
すると、小さい子ども連れの親子が目立つではないか。昭和40年代の払い下げ車両を走らせたり、蒸気機関車を走らせたり、近年では機関車トーマスの列車を導入したり。アイディアによって子どもたちの心を鷲掴みにしているのだ。
1時間あまり鉄道に乗って千頭駅で降りてからはバスで寸又峡へ向かう。対向車線のない山の斜面に張り付くような狭い道。バスがガードレール側に傾きながら走ったりするなかなかスリリングな道。グーグルマップで地図やニュースを見ていると、突然、電波が圏外となってしまった。
バスの運転手さんは大忙し。ハンドルさばきを間違えれば奈落の底に逆さまに落ちてしまいそうな中、声を張り上げて、停留所の名前を一つ一つ読み上げたり、「今、下の方には吊り橋が見えます」とガイドまでやってしまったりするのだ。
お昼に東京を出発して、寸又峡の温泉街のバス停入口に着いたときは午後5時を回っていた。温泉街は派手なネオンはなく、コンパニオンも一切いない。運営しているのは地元民。コンビニエンスストアすらなく、お店といえば夕方に閉まるお土産屋を兼ねた食堂しかなかった。すれ違う観光客は、大井川鐵道のトーマス列車に乗ったついでにやってきた親子連れとか、温泉から歩いて40分のところにあるパワースポット“夢の吊り橋”目当てのカップルや女性同士といかにも金嬉老事件の事を知らなさそうな人ばかりだった。
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事件の経緯について追記してみよう。
金嬉老を駆り立てたのは、在日ゆえに受けた理不尽な差別体験だった。戦前戦後、彼は在日故の差別や貧困に苦しむ人生を送ってきた。普通の人なら、それを地道な努力で乗り越えようとするものだ。しかし彼は犯罪に手を染めることで乗り越えてきた。本事件を起こすまでにすでに前科7犯を数えていた。
さらに彼は、立てこもり事件の直前、借金の取り立てをするヤクザ2人を同県清水市のクラブで殺害している。犯行に使った、望遠スコープ付きのライフル銃1丁のほか、約500発の銃弾、73本のダイナマイトを持って、寸又峡温泉へ移動、ふじみや旅館2階の6畳間に立てこもった。そして立てこもった翌日の21日だけで63発のライフル弾をぶっ放し、6回、ダイナマイトを爆発させている。
そうした暴力的な行動と裏腹に彼は、在日のヒーローとして世の中に祭り上げられていく。マスコミや警察を立てこもり現場に招き入れ、在日の人間が受けてきた差別を告発したからだ。そんな彼の発言に呼応したのが、進歩的知識人たちだった。彼を支持する声明を発表し、金嬉老本人に会っている。
事件を描いたいくつかの書籍や記事に目を通した上で、寸又峡温泉を訪れたわけだが、「ヒーロー扱いされるなんて信じられない」――という金嬉老に対しての僕の評価は変わらなかった。差別を受けても他の人は犯罪になんか走らないし、真面目に人生を営んでるじゃないか。人を何人も殺して温泉に立てこもった人がヒーロー扱いされるんなんて、間違っているのではないか。
実際僕が泊まった宿の女将さんは苦々しげに、こんなことを言っていた。
「あの男は義父が走って逃げるときに銃で打ったと聞いてます。でもその後、彼はあれは「電柱を狙って打っただけだ」と弁明していたんです」と。
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金嬉老は立てこもりから88時間後に警察に逮捕され、1999年まで刑期を務めた。その後日本には二度と入国しないと言う条件で同年7月、韓国に移住する。祖国では「差別と戦った民族の英雄」として迎えられた。
そんな彼だったが、まもなく馬脚をあらわすことになる。2000年9月までに窃盗と私文書偽造、殺人未遂に放火と、次々に犯罪に手を染めた末に逮捕、人気は地に落ちた。そして2010年に韓国で亡くなっている。
チェックアウトした後、2012年に廃業した、旧ふじみや旅館の建物の前で佇んだ。温泉街の坂道を上ってくるカップルや家族連れは、宿だった建物には誰も一瞥もせず、楽しげに通り過ぎていった。半世紀前に全国を揺るがせた現場だということに、気が付いて写真を撮る人は誰もいなかった。僕以外に事件について、関心を示す人は皆無だった。そのことにもどかしく思った。
と同時にこうも思った。彼のような酷い人物がヒーローとして祭り上げられないためには、こうして風化していくことがむしろいいのかもしれないと。(文・写真@西牟田靖)
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