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平成・昭和のライブイベント文化の衰退が数字で如実に コロナ前の野球観客数のピークは1166万人以上! 

TABLO / 2022年8月14日 7時0分

平成・昭和のライブイベント文化の衰退が数字で如実に コロナ前の野球観客数のピークは1166万人以上! 

写真はイメージです。

昭和と平成の大きな違いは、ライブイベントのあり方である。特にプロ野球がそうだ。自分の記憶がある昭和の時代(昭和53年・1978年~昭和62年・1987年 ※88・89年はアメリカにいたため日本の状況は知らない)、極端なことを言えば、大観衆となるのは巨人戦と阪神戦だけだった。清原和博が入団した後の西武戦や、「トレンディエース」と呼ばれた日本ハムのイケメン投手・西崎幸広が投げる試合もそれなりに客は入っていたように記憶している。

ガラガラ球場の象徴はロッテオリオンズが本拠地としていた川崎球場だ。あまりに客がいないため、外野席で麻雀や流しそうめんをする光景が有名である。あとは『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』(フジテレビ系)の定番は、外野席でイチャイチャするアベックの姿であった。あまりの不人気ぶりに川崎球場(というかロッテか)は子供に対し、おまけをつけた。

1977年から1979年までTBS系で『ヤンマーファミリーアワー 飛べ!孫悟空』という番組をやっていた。ザ・ドリフターズが三蔵法師御一行となる人形劇だが、ロッテvs(恐らく)日ハムの試合を見に行った時、この人形劇に登場するキャラのビニール人形セットをもらったのだ。どう考えても当時の価格で500円はするような代物だったが、野球観戦の子供料金とさほど変わらないほどのものをタダで配るほど集客に苦労していたであろうことが予想される。

あとは南海の本拠地・大阪球場と近鉄の日生球場および藤井寺球場も客が少ないことが多かった。観客数を「5000人」と発表することが多かったが、実際は500人もいなかったのでは、という試合もあったはずである。

そんな時代を経て平成・令和に時代は進み、スタジアムには大勢の観客が押し寄せるようになった。セ・リーグは1977年は911万4000人、平成元年となる1989年は1223万9000人、新型コロナ騒動前年の令和元年(2019年)は史上最高の1486万7071人。パ・リーグは1977年は411万4000人、1989年は876万8000人、2019年は史上最高となる1166万9891人だ。

これを野球人気の情報と考えるのは違う。かつては巨人戦が毎日地上波で放送されていたが、視聴率の低下から放送回数は激減。もちろん神戸のサンテレビのように阪神戦を中継する局はあるし、今はDAZNや各チームのファンクラブが配信する中継チャンネルなどはあるものの、ライブで楽しむ需要が増えた。

音楽フェスや海外アーティストのコンサート、Jリーグなども含め、平成はライブイベントが花盛りになった時代といえよう。それは2010年代になってより顕著になった。2000年代は神宮外苑のあたりを夕方に歩いていて、神宮球場のカクテルライトが点いていたら、「きれいな風景の屋外ビアガーデンがありますね」「ちょっとビールでも飲んでいきますか」と、外野自由席の一番安い券を買い、外野席で野球を特に見るでもなく涼しい風が吹き、緑色のフィールドを見ながらビールを簡単に飲むことができた。

その後、ライブ人気は爆発し、外野自由席の券を当日買うことも困難になった。それはそれで民放での中継回数が激減し、放映権料が減ったであろうNPBにとっては良いことであろうがもはやプロ野球は気軽にフラりと入れる空間ではなくなった。

かくしてコアファンが行列を作って自由席のチケットを買うなど、ライブイベントは過熱を増していったが、コロナ以降、無観客試合や観客数制限をするようになった。音楽フェスも続々と中止に追い込まれ、平成の時代に花開いたライブイベントがこの2年間で後退した感がある。

賃金が上がらぬ日本は益々衰退国となり、もはや海外の人気アーティストやサッカーのビッグクラブが来ない国になるのかもな……といった不安もあるが、興行主におかれてはなんとか音楽やスポーツ、そして落語や歌舞伎、相撲といった文化を守っていただきたいものである。(文@中川淳一郎 連載「俺の平成史」)

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