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バイトがモテモテだった平成時代 『FromA』でバイトを探していた頃

TABLO / 2022年9月19日 22時37分

バイトがモテモテだった平成時代 『FromA』でバイトを探していた頃

写真はイメージです。

今や都会のコンビニや飲食チェーン店は人手不足もあってか、外国人の労働者を雇うようになっている。しかし、平成初期の頃、まだバブルの薫りが若干残っている頃は「フリーター」がもてはやされていることもあり、学生を含めた若者がバイトを獲得することはまさに「争奪戦」のような状態だった。

バイト情報誌は「an」のほか、「FromA」があったが、いかに当時これらバイト情報誌にニーズがあったかをwikipediaの表記から見てみる。

〈創刊当初から1989年初頭までは、毎週火曜日発行(首都圏版)であったが、バブル景気を受けての求人広告増加に対応させるため、1989年春に毎週金曜日発売となる「From A to Z」(首都圏版のみ)が創刊され、事実上週2回の発行となった。また「季刊」として、観光地・リゾート地での期間限定求人に特化した増刊号を発売したこともある〉

火曜日や金曜日の早朝1時や2時頃になると若者はコンビニに集まり始める。そして売り切れる前に「FromA」、「From A to Z」を手に入れるのだ。家に帰ると、やりたい仕事の候補を探し、それらの雇い主の営業が開始した朝9時や10時に電話を開始する。

まさに当時流行っていたテレクラの逆バージョンのようなものである。テレクラは、電話が鳴るや否や受話器を取る競争をし、なんとかして女性と喋ろうとする。一方、バイトの場合は話し中になる前にライバルに先駆けて電話を相手に取らせる。

この競争はなかなか激しかった。時給1000円を超える仕事や、安定的に長期間働ける仕事はすぐに「もう枠が埋まりましたー!」と言われることばかりだったのだ。当時の学生や若者はとにかくバイト情報誌を一早く手にし、そして翌朝にソッコー雇い主に電話をし、なんとかその仕事を獲得すべく粉骨砕身していたのだ。

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令和の時代のように、バイト登録サイトに登録していたら「あれ、返事あったよ」といった感じではない。そこそこ高い時給のバイトには多くの若者が群がり、なんとか少しでも条件の良い仕事を取るべく魑魅魍魎のバトルが繰り広げられていたのだ。

さて、そんな中、私はクリスマスのシーズン、JR新宿駅のケーキ販売店でのバイトを無事獲得できた。自分が行っていた大学名を言うだけで「じゃあ12月22日から12月31日まで働きに来てね」とあっさりと採用された。さらには「あ、ALTAの地下の我が社の経営する喫茶店にも1月2日から1月5日までウエイターとして働いて」と言われた。

なんと、14日間もの仕事をGETできたのである! この仕事は8時間8000円だったのだが、結果的に12万2000円を2週間で稼ぐことができた。これは大学1年生にとってはかなり「おいしい」仕事である。しかも、当時のバイトは緩く、余ったシュークリームやらケーキを持って帰ることができたのだ。これらがその後のメシになり、これまた助かった。

令和に入り、「時給を30円上げなくてはマズい……」などと言っているが、日本が好景気だった頃はバイトをすることさえかなり高倍率だった時代があったのである。そこまで日本は没落国に落ちぶれているのだ。(文@中川淳一郎 連載「俺の平成史」)

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