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問題作「REVOLUTION+1」は何を訴えようとしているのか 安倍元総理銃撃犯を描いた足立正生監督とは

TABLO / 2022年9月25日 17時0分

9月27日の安倍晋三元首相の国葬を控えて、一本の映画が制作されている。『REVOLUTION+1』(監督・足立正生)だ。安倍元首相を暗殺した山上徹也容疑者を描くこの映画は、8月末にクランクイン、早くもマスコミ向けラッシュ上映を終え、国葬前日の26日から、先行上映されるという。

監督の足立はピンク映画監督として多数の作品を制作。その時代、足立監督が活動の拠点としたのが、盟友・若松孝二が設立した若松プロダクションであった。いまだ伝説の映画監督として評価される若松は宮城県に生まれ、農業高校を中退して上京。一時は、やくざになり逮捕・収監を経験。デビュー作『甘い罠(1963年)』では、警官殺しを描き「警官を殺すために映画監督になった」と豪語した。そんな若松と、日大芸術学部出身の足立という奇妙な組み合わせの周りには、野心を抱えた奇人変人の若者たちが集まった。

足立の人生の転機は、1971年。若松とパレスチナで撮影したフィルムを編集し『赤軍‐PFLP 世界戦争宣言』という映画を制作、そのための上映組織として「世界革命戦線情報センター」を設立。その後、足立は1973年7月のドバイ日航機ハイジャック事件の際、犯人側から要請を受けたとしてパリで記者会見。1974年1月のシンガポール・シェル石油爆破事件ではセンター名義で「1・31シェル製油所爆破闘争万歳!」というビラを撒き、映画のタイトル通りに「日本赤軍とパレスチナ解放人民戦線を結ぶ過激派の支援者」として公安筋からマークされるに至った。

その後1974年に出国した足立は、重信房子率いる日本赤軍に合流。主にスポークスマンとして活動した。以降、1997年にレバノンで逮捕・収監。2000年に日本に強制送還されるまで、足立は「国際テロリスト」として新聞に名前が報じられる人物だった。当時の新聞記事をひとつ紹介してみよう。

「日本赤軍の幹部、欧州で暗躍 パレスチナゲリラに高性能爆発物を流す

日本赤軍の幹部で暴力行為容疑で指名手配されている元日大生、足立正生容疑者(50)が、偽造旅券を使って欧州諸国への出入りを繰り返し、昨年11月にはハンガリー国内でパレスチナゲリラ組織「PFLP-GC」(パレスチナ解放人民戦線総司令部派)のメンバーと接触、爆発物を手渡していたことが、4 日までに警察庁など公安当局が入手した情報で確認された。」(『読売新聞』1990年3月5日付朝刊)

そんな組織のメンバーだった監督の作品だけに、SNSでは公開前から「テロリストを賛美する内容なのか」という声もある。

内容もさることながら、関心が集まるのは圧倒的なスピード感。筆者は、駆け出しの風俗ライター時代に、日本に強制送還され、裁判を経て釈放された直後の足立にインタビューして以来、意気投合(1997年にレバノンで逮捕・収監の後に日本で起訴。旅券法違反で懲役2年・執行猶予4年の判決)。

そんな足立が山上容疑者の映画の準備をしていると、ある情報筋から聞いたのは7月下旬のことだった。
急遽、新宿の喫茶店で足立と会うことになり出向くと、スタッフとロケハン後の打ち合わせの真っ最中。国葬にぶつけて上映するために、8月末にクランクインするというので驚いた。足立は「若松プロでは1ヶ月くらいで映画をつくっていた」といい、即座に筆者に現場取材を許すと、こういった。

「よし、それを飲んだら帰れ。オレはまだ打ち合わせがある」

足立はこの勢いで精鋭のスタッフを集めていた。キャメラを回すのは撮影監督の高間賢治。金子修介、三谷幸喜のメジャー作品に参加してきた撮影監督だ。

足立や高間の若き日も映画化されている。若松プロダクションの青春群像を描いた白石和彌監督の『止められるか、俺たちを』だ。ここでは井浦新演じる若松の盟友として登場する足立(演:山本浩司)に対して、高間(演:伊島空)は、カメラマン志望の若者。ところが、高間は足立が「海外出張中」にメキメキと頭角を現し文化庁芸術家在外研修制度を利用してアメリカへ。ハリウッドとニューヨークの撮影現場を学び、日本で初めて撮影監督というパートを映画界に持ち込んだ。その高間と足立がガッチリと組んで現場を回す。それ自体が、映画的だ。

炎天下の現場で、73歳の高間は常に檄を飛ばし、スタッフを引き締めていた。取材に出向いた筆者の目に映った高間はすこぶる怖かった。
だから、ラッシュ上映の客席で高間をみかけた時も、少し話しかけるのをためらった。それでも、話を聞きたかった。足立から、どう参加を要請されたか聞きたかったからだ。おそるおそる話しかけると、現場とはうってかわって柔和な笑顔で高間はいった。

「お前、やるだろ……って」

そして、高間はこう続けた。

「青春時代が甦ってきたようだった」

どんな現場になるのだろうと期待で胸が躍ったことを高間は熱をこめて語った。足立が若松プロダクションで監督として映画を制作していた時、高間はまだ撮影助手だった。下っ端の若手だから仕事は多かった。ある時、若松プロダクションの仲間の引越を手伝った。ようやく荷物を運び終えると、すっかり夜になっていた。翌日も早い時間からやらなければならない仕事が頭に浮かんだ。一刻も早く休みたいと、まだ荷物の片づいていない部屋で、小さなシングルベッドのところだけが空いてるのを見つけて、横たわった。

「しばらくすると足立さんがやってきて、隣で寝始めたんだ。その後、さらにもう一人が横に寝転がって……狭いベッドで3人で寝た時のことはよく覚えてる」

足立との仕事で覚えているのは、当時若松プロダクションが製作を請け負っていたラブホテル用のブルーフィルムを任された時のことだ。『止められるか、俺たちを』の劇中でも描かれているが、若松は映画本編以外にも様々な事業に手を出していた。ブルーフィルムの制作も、その一つだった。映画のカメラマンを目指す高間にとっては不本意な仕事。不満を感じながら仕事をしていると、しくじった。

「16ミリで撮影するんだけど、35ミリじゃないからと舐めていたら、フィルムの装填を失敗していたんだ。現像すると1ロール、まったく映像が撮れていないのがあったんだ……」

青くなって足立にことの子細を伝えた。足立は怒るでもなくメモ帳を取り出して、ページをめくった。足立のメモには、そのロールにはどのシーンを撮影したのかが記されていた。

「このメモがあるから、そこだけ再撮影すればいいよ」

安堵して、無事に撮り直すことができた。足立がメモ帳に記録していたのは、そのロールの部分だけだった。

足立に「やるだろ」といわれて、様々な記憶が鮮烈に甦った。だから、イエスもノーもない。スケジュールが入っているので「9月7日までに終わるなら、大丈夫」とだけ、答えた。現場でも、どのスタッフよりも力が入った。
あの緊張感は、高間の思いが生み出していたのか、と筆者は納得した。そんな感想を述べると、高間は、また柔和な表情でこう語るのだった。

「監督が怒ったら、もっと怖いよ。撮影監督はスタッフを怒るのも仕事のうちだし、ボクは監督よりはずっと優しいよ」

事件から僅か2カ月あまりで公開へと至る瞬発力。それが、この映画の最大の魅力。それと同時に権力の介入を許す暇も与えず作り上げたことの怖さもある。それでも、83歳の監督と73歳のキャメラマンとは、止められるか俺たちを……の精神で駆け抜けている。(文・写真提供@昼間たかし)

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