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「論破」がカッコイイとされる風潮にそろそろ終結を 「真実とは何か」を追求すべき│プチ鹿島

TABLO / 2022年10月11日 9時0分

「論破」がカッコイイとされる風潮にそろそろ終結を 「真実とは何か」を追求すべき│プチ鹿島

写真はイメージです。

昨年末にこんな記事がありました。

『歴史修正主義を扇動した「論破」文化 感情に訴える言葉の危険性』(2021年12月6日 朝日新聞デジタル)
《相手を言い負かした方が正しいと思わせる「論破」という言葉がいまネット上にあふれています。社会学者の倉橋耕平さんは、この言葉の持つ効果を巧みに利用したのが「歴史修正主義だ」と指摘しています。1980年代末に生まれた「論破カルチャー」が社会にもたらす負の影響について、聞きました。》

ここで紹介されている倉橋耕平氏の「歴史修正主義とサブカルチャー」(青弓社2018年)は面白かったです。第二章は『「歴史」を「ディベート」する』でした。

いわゆる歴史修正主義者は討論ではなくディベートを好むという。真実よりも説得性が重要視されるからである。事実を相対化し、他者を言いくるめることそれ自体が目的の中心になる。こうした言説のうちには、「論破」への執拗なこだわりがみられると。

記事では倉橋氏はこんな解説もしています。

《そもそも歴史とは、史料をもとに専門家が論じるものです。ところが、ディベートの土俵にのると、研究者が歯牙(しが)にもかけない歴史観が、対抗する言説であるかのように格上げされます。長年かけて培われた先行研究の蓄積がゼロにされてしまうのです。》(同前)

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「論破」と聞くと、私は子どもの頃の風景を思い出します。落ち度を指摘されると「それ、何時何分何十秒? 地球が何回まわったときー?」と言ってごまかす子どもがいた。

引用した記事の例で言うと、専門家もいきなりこの手で話をずらされると閉口するのだろう。でもそれは「論破」ではなく呆れられているだけだ。「大人はそんなこと言わない」と驚かれているだけだ。だから別に「論破」はカッコいいものではない。

さて昨年末のこの記事ですが、この記事をツイートする人がここ数日おられる。なぜわかるかといえば私はこのデジタル版の記事にコメントしているからです。今まで書いてきたようなことをコメントしていたのですが、改めて紹介してくれる人をまた見かけます。

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「論破」という言葉がここ数年あふれているといいますが、それに夢中になるよりは、興味を持ったテーマがあったら専門家の本などを読み直す時間に充てたほうがよいと思います。(文@プチ鹿島 連載「余計な下世話」)

●参考記事

※『歴史修正主義を扇動した「論破」文化 感情に訴える言葉の危険性』(2021年12月6日 朝日新聞デジタル)

※『大学ゼミの討論で「はい論破!」を繰り返す痛い学生たちが増殖中』(2021年7月1日 マネーポストWEB)

 

 

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