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BUCK‐TICK櫻井敦司さん逝く 仲間である有名ミュージシャン達からの惜しむ声

TABLO / 2023年11月1日 8時53分

写真

ステージ上で倒れる……。

人気ロックバンド、BUCK-TICKのボーカル、櫻井敦司さんが、10月19日、脳幹出血のため、57歳で急逝しました。 19日 に、KT Zepp Yokohama横浜で開催されたファンクラブ向けライブのステージで倒れ、救急搬送されたままを崩し、搬送されたが、同日午後11時9分に息を引き取りました。 葬儀は遺族の意向により近親者にて家族葬として執り行われたことを24日に事務所が発表しました。

LIVEの観客によれば、1曲目を歌い終えたところでふらつき、転倒。 2曲目で座り、3曲目まで歌ったものの、スタッフの肩を借りてステージの袖に消え、そのまま帰らぬ人になってしまいました。

音楽業界からは悲しみの声が広がっています。

東のYOSHIKI、西のKENZIと呼ばれたビジュアル界のカリスマKENZI(THE DEAD P☆P STARS/アンチフェミニズム)。

「90年代、X JAPANのHIDEちゃんに、BUCK-TICKの横浜アリーナ公演に連れて行ってもらい、打ち上げで紹介してもらいました。 世の中にこんなにかっこいい美男子がいるんだって衝撃的でした。 『櫻井敦司です』ってカッコいい声の自己紹介にも感動しました。 優しい方でした。カリスマボーカルの先駆者。 35年もメンバー変更もなくずっとやっているバンドは尊敬します。うまく言えませんが、BUCK-TICKこれからも頑張ってください。僕らは生きて生きて生きまくるしかないです。ご冥福をお祈りいたします」

ロックボーカリストの森下玲可。

「先ずは、櫻井敦司さんの急逝にあたり、心よりお悔やみ申し上げます。 あの BUCK-TICK櫻井さんがステージで倒れた、 え? まさか??と、嫌な予感を感じつつも、きっと元気になって復帰されるで あろうと思っておりましたが、願い虚しく帰らぬ人になってしまわれて、本当 の意味で『伝説の人』になってしまったと感じます。

『あっくん』『あっちゃん』と、周りからはそう呼ばれていましたが、素顔の櫻井さんは本当に物腰が柔らかで穏やかで優しい方でした。 櫻井さんとの思い出、出会いは、2001 年くらいだったと思います。 私が連載を持っていた雑誌の対談記事に出ていただきました。

当時、私は飲食店の経営もしており、雑誌の企画上、そこで私の作る料理を食べながらゲストの好きなお酒も飲みながら、近況をインタビューするという対 談でしたが、店に入って来られた時のそのオーラにスタッフ一同、息を呑んだ 記憶があります。 私も初めてお会いする櫻井さんと、至近距離でお話するのでとても緊張しまし たが、それがそれが、とても優しい雰囲気を出されたことで、こちらが逆に落ち着いたのも覚えています。 本当に紳士的で物静かな佇まいですが、一方で笑顔も素敵でとても上品な方でした。 ステージでは、COOL な印象が強くて怖そう!って思っておりましたが、全く違ったのを覚えています。 あの日、ゆっくりと飲みながらお話が出来て本当に良かった。ブッキングしてく れたスタッフに改めて感謝です。私の中で宝物のような思い出です。 櫻井さんと私とはデビューの時期は違いますが、年齢もほぼ同じくらいで、好き な音楽も近く、とても話しが弾みました。 あれから約20年ですが、これからも、もっともっと活躍されることだったと思 います。 惜しい方を日本の Rock 界は失くしました。 ご冥福をお祈り致します」

ロックミュージシャン撮影の巨匠、カメラマン加藤正憲氏。

1987年BOØWYとのツアーの車中で同じ群馬からカッコいいボーカルのバンドがメジャーデヴューすると耳にしました。それが桜井くんボーカルのBUCK-TICKでした。 撮影時はいつも彼ら独特の、立て髪で、その後、流行ったビジュアル系の先駆者と認識しています。柔軟かつ、ぶれない繊細な精神力 が、長きに渡り、オリジナルメンバーでの ゴシックロックを奏でてきたと思っています。 類稀な、容姿と、ボーカリストとして天性の感性と人としても愛される方でした。 似てる美意識のISSAYくんとのセッションは独特な世界感を創り出しました。 残念です。夜空に、輝くスターがまた一つ増えました。ご冥福をお祈りします」

櫻井さんもファンであることを公言していた DER ZIBETのヴォーカリストISSAYさんは、8月5日不慮の事故により永眠。

BOØWYの布袋寅泰、高橋まことが在籍したこともあるAUTO-MODのボーカルGENET(ジュネ)。

「BUCK-TICKは、ある意味不思議なバンドだ。 BUCK-TICKの絶頂期は、決してデビューした当時のバンドブームの頃では無い、 丁度数多のバンドが絶頂を迎え、解散、活動停止に追い込まれる中、20年前頃から、新たな若いファンが客席に見え始め…その音楽は、毎回コンセプトを変えながら、決して古臭くなる事は無く、しかしマニアックな音楽になる事も無く、分け隔てない客層に最高にカッコいい音を聴かせて来た。

そして、僕が思うに、BUCK-TICKの絶頂期はまさに今なんじゃないかとおもっている。他のバンドが、過去の栄光を維持するのに必死になって行く中、デビューから35年も経ちながら更に進化し、そして周りの勢いも更に加速して行く…こんなバンド他に見る事はない。それはメンバー個々の音楽的技量、超センス、音楽的知識があってのモノであり、又ヴォーカルの櫻井敦司の超個性があっての賜物なんじゃないかと思ってます。

あの男でさえ惚れるような艶っぽさ、あの歌声、そしてあの歌詞の世界観、どれをとってもあっちゃんしか出せない、オンリーワンな物ばかり。 正にロックの神に愛された男なんだと思っていた。そんなあっちゃんと4人の男達が作り上げたBUCK-TICK絶賛現在進行形の今、突然の悲報… あまりの衝撃に僕は声を失ったよ… いつもこれ以上ない様な優しさで声をかけてくれていた君が、先に逝ってしまうなんて… 今正に絶頂期の君が召されてしまうなんて… ロックの神様は、それ程彼を愛していたのか… それにしてももう少し待ってられなかったのか… 神の意思には誰も贖う事は出来ないのかも知れない… でももう少しだけ… あっちゃん、ありがとう、君が優しく接してくれた思い出は忘れないよ。 残念ながら、僕はそれ程ロックの神様に愛されていない様なので、もう少しこちらで歌っていきます。あっちゃん、安らかに… 合掌」

櫻井さんの背中を見てデビューした氏神一番(カブキロックス)は、櫻井さんに遭遇した 日々を偲びました。

「深夜の六本木のロックバー『ブーフーウー』でLÄ-PPISCH (レピッシュ)のMAGUMIさん、の紹介でご挨拶させて頂きました。 いつも、アイスミルクをカウンターでクールに飲んでいた櫻井さんは、ステージのままの近寄りがたいカッコ良さ、カリスマ性があったでござる。当時、酒豪伝説はありましたが、身体を気遣ってミルクで体調を整えていらっしゃった と感動しました。LIVEをGIGという呼び名に した先駆者でした。櫻井さんの背中を見て、その後にメジャーデビューできたでござる。 最期まで歌い続けた姿真のロックスターのご冥福をお祈りします」

元ZIGGYのドラマー大山正篤 。

「後輩なのに兄貴のような存在でした。デビューが同期で一時期はプライベートでも良く遊んでいました、彼は間違いなく日本の、いや世界の音楽シーンの宝でした。友よ安らかに」

REDZ(AURA、湾岸の羊)。

「貴方は最後まで美しきロックアイコンロックスターでした。心からリスペクト!。櫻井敦司さんご冥福をお祈り致します」

筆者も東京・池尻大橋付近のレストランバーで、深夜にBUCK-TICKのメンバーと遭遇したことがありました。 仲の良い同級生のように仲睦まじく、メンバーと談笑していらした櫻井敦史さんの笑顔は名作映画のように脳裏に焼きついています。 ご冥福をお祈りします。 (文@霜月潤一朗 写真@加藤正憲)

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